普天間基地の移設先を巡って民主党が動揺を繰り返す中、
豪を煮やした?名護市民が「県外移転」へ鳩山首相の背中を押した。
鳩山総理は、『選挙結果を踏まえて』という趣旨を選挙戦に入る前から(昨年から)発言していた経緯もあるので、ここは決断を行って欲しいものだ。
以下の見出しは讀賣新聞とは思えない前向きな見出し!
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稲嶺さんに県民世論の追い風、賛成派はぼう然
読売新聞 2010年1月24日(日)23:50
「もう基地は造らせません」――。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設受け入れの是非を争点に、24日投開票された沖縄県名護市長選。県外移設を求める県民世論の追い風を受け、初当選を果たした稲嶺進さん(64)は力強く宣言した。
移設受け入れに「ノー」を突きつけた市民の審判で、辺野古案は頓挫する可能性が高まった。
市中心部の稲嶺さんの事務所で、移設反対派の住民らは抱き合って喜んだ。反対派が過半数を占めた市民投票から13年。 嘉陽宗義 ( かようむねよし ) さん(87)は「満ちあふれる喜びを感じている。政府は住民の声を尊重すると言った。基地は来ないと信じている」と話した。
辺野古地区の住民は、経済振興策への期待から容認派が多いが、鳩山政権誕生を受け、「やはり騒音はないほうがよい」「移設を止める最後のチャンス」と次々に反対へ回った。
一方、移設賛成派の地元建設業者らでつくる「代替施設推進協議会」のメンバーたちは「基地が来なければ、すたれるばかり」「これまで積み上げてきた事はどうなる」とぼうぜんとした表情で語った。
稲嶺さんは1972年に名護市役所に入庁。99年12月に岸本建男・前市長(故人)が辺野古への条件付き受け入れを表明した際は、総務部長として、飛行ルートの制限や使用期限の設定など、「事実上の受け入れ拒否」とも言われた7条件の策定に力を尽くした。
沖縄米軍基地に反対する一坪反戦地主でもあり、「市職員時代から、心の中では、いつも移設に反対していた」と話す。立候補を表明した昨年3月時点では「これまでの経緯は無視できない」と慎重に言葉を選んでいたが、昨年8月の衆院選を転機として11月に共産党と候補者を一本化。移設反対の姿勢を鮮明に打ち出した。移設見返りの振興策では生活水準の向上を実感できない市民の不満の受け皿となった。
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