醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  14号   聖海

2014-11-28 09:59:08 | 随筆・小説

「座の文学とは」 句郎(くろう)と華女(はなこ)のおしゃべり

句郎 俳句は「座の文学」だと言われるけれど、それはどんな意味なのかな。
華女 句会があるから句を詠むのよ。句会がなければ、句を詠む楽しみはな
   いわ。仲間がいるから句が詠めるのよ。仲間で創作して文学になるこ
   とがある文芸が俳句かしらね。文学になってない俳句がいっぱいある
   のよ。だから「座」なのよ。座とは笑い楽しむ所なの。笑いとは仲間
   がいてこそなのよ。そうした笑いの中から生まれた文芸が俳句なんじ
   ゃないの。
句郎 庶民はいつの時代も笑いに飢えている。笑いを求めて人が集まってく
   る。笑い合える仲間たちができる。笑い合う仲間が創作した文芸が俳
   句ということなのか。
華女 そうなんじゃない。俳句は共同で創作しても作者がはっきりしている
   のよね。ここが面白いわ。
句郎 そうなんだよね。個人が創作したものであると同時に仲間たちが創作
   したもの。ここに「座」というものの特徴があるのかな。
華女 「座」とは仲間たちが作ったものなのに、その「座」が一人一人にの
   参加者たちに俳句を詠ませる力を生むのね。「座」とは凄いわ。
句郎 「座」とは、座るという意味だよ。
華女 漢字の意味としては「座」は確かに「座る」という意味ね。
句郎 昔、貴族の位階を表す言葉に公爵とか、侯爵、伯爵、子爵、男爵とい
   うのがあったじゃない。
華女 今でもイギリスやフランスには伯爵令夫人なんていう人がいるんでし
   ょ。お城みたいなところに住んで、良いわね。
句郎 貴族の位階を表す「爵」という字のもともとの意味は大きな盃を表す
   言葉だった。古代中国では王様を中心して酒盛りをした。燕をかたど
   った大盃・爵で酒を回し飲む。位の高い者から順に爵(大盃)で酒を
   飲む。王様に近い所に座る者は位が高い。遠くなるに従って位が低く
   なる。
華女 分かったわ。座る場所が貴族の位階を表すようになったってわけね。
句郎 そうなんだ。盃だった「爵」が貴族の位階を表す言葉になった。座敷
   に座る者、板の間に座る者、廊下に座る者、庭の白砂に座る者、どこ
   に座るかがそのものの位階から身分をも表すようになった。だから
   「一座」とは同じ身分・位階の者たちが同じ場所に座る者という意味
   なんだ。
華女 日光・東照宮を拝観した時、嫌な思いをしたことがあったわ。説明役
   の禰宜が皆様の今座っている場所は十万石以上の大名でなければ座れ
   なかった場所ですと侮蔑されたように感じたことがあったわ。
句郎 封建制社会は身分制だったからね。今でもこのような身分意識は強固
   に残っているようだよ。例えば、位の高い国会議員は位の低い議員と
   公的な場では同席しないとか、ということが不文律として今でも残っ
   ているようだよ。
華女 へぇー、そうなの。そういえば、お茶会なんかに行くとそんな雰囲気
   があるわね。
句郎 強固な身分制社会であった江戸時代、俳諧に遊ぶ者は公的な姓を名乗
   らず、名だけを唱えて、身分の違った人々とも同席した。これが「座」
   というものなんだ。同じ座敷に座る。これが仲間の創作意欲をかきた
   てた。「座」には活気があふれていた。
華女 その「座」での遊びが俳諧だったわけね。
句郎 そうなんだ。柳田國男が発見した「ハレ」と「ケ」で世界を分ければ、
   俳諧とは「晴」の世界で詠まれた遊びの文芸ではなく、「褻」の世界
   で詠まれた遊びが文芸になった。俳諧の「座」とは仲間ではあるが、
  「褻」の世界での仲間なんだ。「晴」の世界に出て来ると個人になる。