北千住の居酒屋に芭蕉を偲ぶ
夕暮れて狭い路地に赤提灯が灯ると仕事を終えた男たちが集まってくる。
赤いネオンのロケーションに昭和レトロの雰囲気が漂う。北千住の飲み屋
街には庶民の温もりが残っている。
「奥の細道」に旅立った千住の街に芭蕉を偲び、一人酒を飲みに来た。目
的地がはっきりしている男たちは自宅の玄関の戸を開けるがごとくに居酒
屋に消えていく。私も細い路地の奥にある五・六人も入れば満杯になる居
酒屋の戸を開けた。夕暮れ時の居酒屋は男たちのオアシスである。
日光街道筋の宿場町として繁盛した北千住には、往事の庶民の俤を偲ぶ
よすがないが、土地にしみついた人情が夕暮の気配に漂っている。狭い路
地、赤提灯を灯した小さな居酒屋の数々、猥雑な賑やかさに昔は小便の匂
いが漂っていたのかもしれない。
「奥の細道」に旅立つ芭蕉と曾良を見送る一行は、元禄二年三月二十日、
現在の暦に換算すると一六八九年五月九日深川、小名木川沿いにあった芭
蕉庵から舟に乗り、隅田川をさかのぼった。現代の電車が江戸時代の水運
だった。曾良旅日記によると巳の下刻(午前十一時ごろ)千住に上がった。
およそ一時間ぐらいの舟であったろう。
日和を見ると、この日は仏滅である。千住に上がった芭蕉たちはここで
大安の日がくるまでの日和を見ては水杯をかわした。水杯ならぬ酒を飲ん
では芭蕉は住む家を人手に渡した決死の思いを曾良と語り合い、気持ちが
充実するのを待った。見送る一行は泪を流し酒を飲んでは陸奥への思いを
述べた。路上に死ぬ覚悟を芭蕉と曾良は暗黙の裡に確認しあった。陸奥へ
の旅に気持ちが集中するのに七日間という日数が必要だった。ここに元禄
時代の時間があった。ゆっくりした時間は経過は強く堅い気持ちを築いた。
ゴールデンウィーク後の夕暮、勤めの帰り東武伊勢崎線北千住駅に途中
下車した。駅前を出ると自動車道路の上が広場になっている。電車で北千
住駅を通過したことは数えきれないくらいあるが下車した経験は数回しか
ない。友人の一人が馴染している居酒屋に一人でむかった。その居酒屋は
細い路地の行き止まりにある。暖簾をくぐると口開けだった。七人が腰掛
けるといっぱいになってしまうカウンターだけのそれはそれは狭く小さな
居酒屋である。一度、友人と二人で来たことのある。馴染の客しかこない
店である。あやじは私の顔を忘れていた。私はOさんといつぞや一緒にき
た者ですと、挨拶をした。「あっ、そうですか。それはそれはどうも」。
あやじは返事をしてくれたが何にしますか、という問いをしない。私は新
潟塩沢の地酒「巻機」を注文した。「口開けの時間、生ビールの中ジョッ
キ一杯はサービスですよ」とおやじがぼそっと言う。「自分で注いで下さ
い」と言った。私は慣れない手つきでジョッキを持ち生ビールのコックを
捻った。泡の多い生ビールになってしまった。私の後に入ってくた客がお
やじと挨拶を交わすや勝手にジョッキを取り上げては樽からビールを注い
でいる。午後六時までに入った客は、中生一杯が馴染みさんへの出血サー
ビスのようであった。
新しい客が入ってきた。新参の客が店にいる客に挨拶をかわした。おや
じは黙って下を向いて包丁を動かしている。その客もまた自分で生ビール
の中ジョッキを取ると独りで生ビールを注いだ。「今日はいい天気だった
ね」、「ビールが旨い」。男たちは、自宅にいるような気安さで話し始め
た。職場の人間関係から解放され、父親から解放され、夫からも解放され
た男たちは、ただ一人の男としてここにいる。この空間に居心地の良さを
発見した男たちが集まってくる。一人で行くことができる。そこにはそこ
だけの仲間がいる。日常の会話を楽しむことができる。酒はその話の潤滑
油である。
一人づつ、客が入ってくる。「Kさん、今日はそっちに座っているの」。
「うん、今日はなんとなくね、いつもと違った席もどうかなと思ってね」
馴染さんには指定席があるようだ。六時間際になると店は客でいっぱいに
なった。それでも七人である。その中の二人が地図を取り出し、話しこみ
はじめた。温泉旅行の話のようだ。この居酒屋の客だけでいく温泉と酒と
蕎麦を楽しむ会のようだ。候補地を酒を飲みながら探すことが楽しくてし
ょうがない様子だ。これが酒のつまみになっている。
私は生ビールに喉癒したあと、「巻機」を楽しんだ。新参の私には話の
相手になってくれる人がいない。私は独り、地酒を傾け「奥の細道」へこ
の地から旅立った芭蕉の気持ちを思っていた。