徒然草65段『この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり』
この比(ごろ)の冠(かむり)は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶(かむりおけ)を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。
近ごろの冠は、昔よりはるかに丈が高くなっているのである。昔の冠箱を持っている人は、その縁を継ぎ足して用いているのである。
この兼好法師の文章を読んで感じることは、いつの時代の人も、少し自分の社会的地位が高くなったと自覚すると、更に高くなりたいと思うからなのだろうか。自分に与えられた冠の縁を少しでも高くして俺は偉いんだと自慢する輩がいたということなのだろうか。
人間の哀しい性を冠の縁が少しづつ高くなっていくようだと兼好法師は観察していた。現代サラリーマン社会にあっては、役職によって椅子が違う。係長より課長の椅子は立派、課長の椅子より部長の椅子は立派、上に行くにしたがって椅子だけではなく、机までもが立派になっていく。そのようなことに一喜一憂する哀しい男の喜びと哀しみがある。