徒然草69段
『書写の上人(しょうにん)は、法華読誦(ほっけどくじゅ)の功(こう)積(つも)りて、』
書写の上人は、法華読誦の功積りて、六根浄(ろっこんじやう)にかなへる人なりけり。旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎(うと)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。
書写山性空上人(しょしゃさんしょうくうしょうにん)は、法華経を長年読誦した功績が積もり、人間に備わった六根を清浄にした人であった。旅の途中、仮の小屋に立ち寄ったところ、豆の殻を焚きて豆を煮ている音がつぶつぶと鳴るのをお聞きなさって、「親密であるべき貴様たちのくせに、恨めしくも我を煮て、辛い目にあわせるものよな」とおっしゃった。焚かれている豆殻のばらばらと鳴る音は「我が心から発していることではあるが、焼かれることはどんなにか耐え難いことではあるがやむをえないことではある。それほど恨みなさるな」と聞こえているぞ。
法華経の思想には山川草木悉皆成仏という思想がある。山も川も草や樹木もことごとく皆すべて仏になるという思想のようだ。自然にあるすべてのものに仏が宿っている。このような考えに基づき新しい哲学を打ち立てようとしているのが梅原武氏のようだ。梅原氏の主張を紹介したい。
「草木国土悉皆成仏」は「草木国土悉(ことごと)ク皆成仏ス」と読み、「涅槃経」にある言葉だそうです。これに関連して、哲学者の梅原猛教授は雑誌に、「人類哲学の使命」と題する随想を寄稿されています。以下に示します。
私は、独自の哲学を創造するにはやはり日本の文化、宗教、歴史について西田幾多郎や田邊元より深く学ばねばならないと思い、日本研究を志したが、愚鈍の身ゆえ日本研究に五十年の歳月を要した。そして日本の思想の本質が、鎌倉時代の三つの新仏教、浄土、禅、法華仏教の前提となった「草木国土悉皆成仏」という思想にあることを見出したのが二十年ほど前である。
また私は人間とは何かを問い続けてきたが、プラトンやデカルトやニーチェとは異なる人間観を見出した。それは人間とは戦争すなわち大量の同類殺害をせざるを得ない動物である、という人間観である。
人間以外の動物は、種の末永い存続を図るため基本的に同類を殺さない。(中略)
人間はどうしてそのような大量の同類殺害を行ってきて、今もなお行おうとするのか。私はその原因の一つに言葉があると思う。人間は、国や地域によって言葉が異なるが、自己と異なる言葉を話す人間を同類とは認め難かったのであろう。
しかしもっと根深い原因がある。それは、人間は自然の破壊者であったことであろう。人間以外の動物は決して自然を破壊しない。(中略)
私は、このように自然を破壊し、多くの生物を殺した人間が、人間同士の殺し合いである戦争を行うのは必然的であったと考える。そして殺人兵器の技術が進歩し、ついに原爆、水爆の開発にいたった。そのような人間の運命を変えなければならないと私は思う。
数年前、私は「人類哲学序説」を上梓し、「草木国土悉皆成仏」」という理念が新しい人類の理想になるべきだと語った。しかしそれは序論にすぎない。本論では、この人類文明を飛躍的に発展させた西洋哲学に対する厳しい批判をしなければならない。それを書くにはまだ十年ほどの時間が必要であろう。十年経つと私は百歳を超えることになるが、少なくとも百歳までは生きて、新しい哲学を創らねばならないと思っている。