たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠 芭蕉 元禄3年
句郎 この句には「応ズ二定光阿闍梨之覓ニ一(じょうこうあじゃりのもとめにおうず) あなたふと、あなたふと。笠も 貴し、蓑も貴し。いかなる人が語り伝へ、いづれの人か写しとどめて、千歳の幻、今ここに現ず。その形あるときは、 魂またここにあらん。蓑も貴し、笠も貴し」と前詞がある。
華女 高僧、定光阿闍梨の求めに応じて、芭蕉は画賛をしたということね。
芭蕉はいかなる人が語り伝えたものなのか、いづれの人が描きとめたのか分からないが、千年前の人の姿がここに描き とめられている。その方が生きておられたときの魂がここに表されている。蓑と笠を着けている姿が貴いということ で、いいのかしら。
句郎 「定光」とは三井寺の別院定光坊の住職実永阿闍梨のことのようだ。
華女 芭蕉は大津の三井寺に参拝しているね。
句郎 そう、三井寺に蓑を着け、笠を被った老婆の絵があった。この老婆は
誰ですかと、問うと阿闍梨は年老いた小野小町ですよと教えられた。
華女 「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」を詠んだ小野小町を描いた絵だったのね。
句郎 老婆になった小野小町は卒塔婆に座っていた。
華女 あっ、分かったわ。芭蕉は謡曲『卒塔婆小町』を思い出したのね。
句郎 才色兼備の小野小町は年老いても貴いと芭蕉は詠んでいる。
華女 女は男の視線に曝されているのよ。男の視線が女の子を女にしていくのよ。女が老いるということは、男の視線に 曝されなくなっていくということなんだわ。それとともに老いた女は中性化していくの。
句郎 確かにそのような一面はあるとはあるとは思うけれど、男も女も死ぬまで男は女を求め、女もまた男を求めて行く 気持ちのようなものはあり続けるのではないかとも思うけどね。
華女 「花の色はうつりにけりな」の歌は、容色の衰えを嘆いているのよ。その裏の小町の気持ちはまだまだ私は女とい う気持ちを言っているとも言えるということよね。
句郎 芭蕉の女性に対する視線は優しさに満ちているように感じる。「たふとさや雪ふらぬ日も蓑と笠」。この句が表現 していることは、年老いて容色の衰えた小町が雪降らぬ日も蓑と笠を見に着けている姿は気品に満ちていると芭蕉は見 ている。
華女 男の心に焼き付くものが女のお色気というもののように思うわ。女のお色気に男の気持ちというものが吸い付いて くるのよ。
句郎 古びた蓑と笠であってもそれを見に着けた小野小町の姿には女の色気があった。それが貴いと芭蕉は感じたのかもしれないな。
華女 真冬に外を出歩くのはとても寒かったのよ。だから雪降らぬ日も蓑と笠とを見に着けていたのよ。きっと。
句郎 身に沁みる空っ風は寒いからな。だから蓑を着けているときっと暖かだったのかもしれない。琵琶湖の上を吹く真 冬の風の中、ゆったりと蓑を着けている小町の姿に芭蕉は美を見つけていた。
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