醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  928号  白井一道

2018-12-06 17:08:07 | 随筆・小説


  のざらし紀行について


句郎 「おくのほそ道」の他にどんな紀行文が芭蕉にはあるのかなァー。
華女 「野ざらしを心に風のしむ身哉」。高校生の頃、習わなかった?
句郎 習ったね。僕はこの句が心に沁み込むようにすんなり覚えられたような記憶が残っているよ。
華女 へぇー、そうなの。私は何か、暗そうな感じが嫌だったわ。句郎君はネクラなのよね。
句郎 「野ざらし紀行」にある最初の句だよね。
華女 そうみたいね。「野ざらし紀行」は習わなかった気がするわ。ただ「野
ざらし┅┅」の句だけを先生が教えてくれたような気がするわ。
句郎 僕もそうだったような気がする。その時、先生は深夜、月下の理想郷に行くようなつもりになって旅立った。旅の食糧をどうしようかというような事に心を煩わすことなく旅立ち、やがては道野辺に自分の髑髏が風雨にさらされている。そぞろ寒げな風が心に沁みる。「野ざらし┅┅」の句にこのような解釈をしたように覚えている。この解釈にしびれてしまった。旅中の食いものや寝る所な
ど、なんの準備もなく、ただ旅立ちたいという気持ちだけで旅立つ。ここにロマンを感じたんのかなと、今にして思うな。
華女 句郎君も男の子だったのね。女の子はそんな風には思わないわ。だって、危険でしょ。女の子は無茶なことはしないものよ。そうでしょ。
句郎 今は違うよ。キチンと準備万端整えてから旅には行くと思うけどね。
華女 若者の無鉄砲さのようなものが芭蕉にはあったのかしらね。
句郎 そうかもしれない。芭蕉が「野ざらし紀行」の旅に出たのは四一歳、貞享元年(1684)八月のことだった。三百年前の四一歳というのはもう初老だった。初老の男が旅にロマンを求めて、旅中の細々としたことに捉われることなく旅立つ。凄いことだよね。
華女 芭蕉は詩人だったのね。女は現実的だから、詩人とは一緒に住むことはできないわね。私だったら嫌だわ。家に残る女のことなど何も考えない勝手な男など、受け入れる事なんてできないわ。
句郎 高校生だったころ、古典の授業中、雨が降ってきた。この雨を眺めて教師は言った。「今日、傘持って来なかったな。どうしよう」と、思うような者には文学が分からないだろう。この言葉が今でも僕の心の中にある。
華女 私はおしゃれだったから当然傘の用意がなかったら、どうしようかしらと心配するわ。当然のことでしょ。つまらない事を言う先生から句郎君は授業を受けてしまったものね。
句郎 僕は全然、雨が降ってきても心配するタイプの人間じゃなかったけれど。若かったからね。
華女 現実を大事にしなければ人間は生きていけないわ。平凡な現実を生きる文学者だってたくさんいるんじゃないの。
句郎 今の文学者と呼ばれる人たちの大半は皆、平凡な日常生活をおくる人たちなんじゃないかな。日常生活を踏み外すと日常生活から反撃され、破滅していかざるを得ない。山頭火なんていう俳人や尾崎放哉は破滅型の詩人なんだろうね。でも彼らの詠んだ句には人間の真実があるように思う。だから今でも読者がいる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿