乾鮭(からざけ)も空也の痩(やせ)も寒の中(うち) 芭蕉 元禄3年
句郎 この句には「都に旅寝して、鉢叩きのあはれ なる勤めを夜毎に聞き侍りて」と前詞がある。
華女 京都の街中を夜ごと念仏を唱え、鉢を叩き修行する空也僧の姿を想像して芭蕉はこの句を詠んでいるのね。
句郎 京都の真冬の夜は寒い。今のような防寒具の無かった時代、寒さは骨身に沁みた。底冷えのする京都の真冬の寒さを表現した句が、芭蕉のこの句ではないのかな。
華女 この句を読むと私、六波羅蜜寺の空也僧の尊像を思い出すわ。高校生の頃、学校の図書館で見た時のこと、忘れないわ。強烈な印象が残っているのよ。美しいものを見たということじゃなく、少し気持ち悪くなるような薄気味悪さかしら。
句郎 この世の地獄を見たような印象かな。
華女 言ってみるとそのような印象なのかもしれないわ。大判の写真集でしか見た経験はないの。実物を見に行きたいと思ったこともないわ。
句郎 胸骨の浮き出た痩せ
こけた僧侶が胸に金鼓(こんく)を、右手に撞木(しゅもく)、左手に鹿の角の杖をつき、念仏を唱える息から六体の阿弥陀が吐き出されている像だよね。
華女 平安時代から鎌倉時代にかけて、生きた庶民はまさに地獄のような社会の中に生きていたのかもしれないわ。そのような民衆をリアルに表現した彫刻が空也像なのかもしれないわ。そんなことを今、ふっと感じたわ。
句郎 冬の夜、京の街中を鉢を叩いて念仏を唱え歩く鐘と声を聞き、干からびた乾鮭を芭蕉はイメージしたのかもしれないな。
華女 芭蕉は空也像を見ていたのかしら。
句郎 それは分からない。だが、芭蕉が鐘の音と念仏の声を聞き想像したイメージは空也像そのものだったのではないかと思う。
華女 飢えと寒さに耐え、大声で念仏を唱える声から想像するイメージは裸足に草鞋、汚れた薄着に袈裟を着けた若い僧侶の姿だったように思うわ。
句郎 飢えと寒さが身を引き締める。生命力が漲る迫力が真冬の京の夜には宿るようにも感じる。
華女 空也僧の鐘の音と念仏の声に芭蕉は身の引き締まる思いをしたのかもしれないわ。
句郎 京の寒の底冷えに身の引き締まった乾鮭を芭蕉は想像したのだと思う。
華女 芭蕉自身が身の引き締まる思いをしていたのよ。きっとそうなんだと思うわ。
句郎 きっとそうだったんだと思う。でもすっと口から出た言葉が句になったわけではないようだ。『三冊子』に「師のいはく、心の味を云とらんと、数日はらわたをしぼると也」とある。京の寒に命を宿したい。芭蕉は句吟した。「寒(かん)」と「乾(から)」、「空(くう)」、京の寒を乾鮭と空也の痩せで表現できると芭蕉は考えたのだと思う。
華女 この句は三句切れではないかという人がいるわ。
句郎 そのような解釈はどうかな。私は「乾鮭も空也の痩も」とが一つになっていると解釈しているんだけど。
華女 そんな風にも解釈できないこともないようにも思うわね。
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