神楽坂遺産

神楽坂界隈は、伝統とモダン、喧騒と静寂が織り成す独特の雰囲気を持っています。その魅力を調査し登録しています。

筑土八幡神社(2)

2024年09月15日 | 神社仏閣
【令和6年9月某日 調査・登録】
 「御祭神は「應神天皇」「神功皇后」「仲哀天皇」で、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に創建と伝えられる古い社で、伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る時に、筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡宮と呼ばれるようになった。牛込東部の産土神である(東京都神社庁HPより)。
 筑土八幡神社(1)はコチラです。




★筑土八幡神社
 所在:新宿区筑土八幡町2-1

圓福寺(1)

2024年01月06日 | 神社仏閣
【令和6年1月某日 調査・登録】
 圓福寺は、文禄5(1596)年9月に加藤清正公により創建された日蓮宗の寺です。江戸時代末期、徳川家の祈願所となり、魔・鬼といった因縁を祓った徳川家・大奥ゆかりの寺です。明治維新には、江戸城で徳川家および大奥の怨念、魔などを鎮めるために祀られていた夜光鬼子母神・七面大明神・妙見大菩薩が圓福寺に奉安されました。そのような縁から、徳川家の葵紋の使用を認められた由緒ある寺です(圓福寺ウェブサイトより)。


★圓福寺
 所在:新宿区横寺町15

毘沙門天善國寺(22)

2022年04月13日 | 神社仏閣
【令和4年4月 調査・登録】
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 例年より少し早く、藤棚で藤の花が咲いています。
 毘沙門天善國寺(21)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

毘沙門天善國寺(21)

2021年08月22日 | 神社仏閣
【令和3年8月 調査・登録】
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(20)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

赤城神社(6)

2021年08月01日 | 神社仏閣
【令和3年8月某日 調査・登録】
 伝承によれば、正安2(1300)年、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。御祭神は「岩筒雄命(いわつつおのみこと)」です。
 赤城神社(5)はコチラです。




★赤城神社
 所在:新宿区赤城元町1-10

毘沙門天善國寺(20)

2021年04月11日 | 神社仏閣
【令和3年4月11日 調査・登録】
 毘沙門天善國寺の藤棚で藤の花が咲きました。
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(19)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

毘沙門天善國寺(19)

2020年08月16日 | 神社仏閣
【令和2年8月某日 調査・登録】
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(18)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

毘沙門天善國寺(18)

2020年08月06日 | 神社仏閣
【令和2年8月某日 調査・登録】
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(17)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

赤城神社(5)

2020年05月23日 | 神社仏閣
【令和元年5月某日 調査・登録】
 伝承によれば、正安2(1300)年、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。御祭神は「岩筒雄命(いわつつおのみこと)」です。
 赤城神社(4)はコチラです。

<大鳥居>


★赤城神社
 所在:新宿区赤城元町1-10

毘沙門天善國寺(17)

2020年05月17日 | 神社仏閣
【令和2年5月某日 調査・登録】
 今日は令和2年の初詣です。毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(16)はコチラです。




★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

毘沙門天善國寺(16)

2020年01月05日 | 神社仏閣
【令和2年1月某日 調査・登録】
 今日は令和2年の初詣です。毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(15)はコチラです。


★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36

筑土八幡神社(1)

2019年05月25日 | 神社仏閣
【令和元年5月某日 調査・登録】
「御祭神は「應神天皇」「神功皇后」「仲哀天皇」で、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に創建と伝えられる古い社で、伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る時に、筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡宮と呼ばれるようになった。牛込東部の産土神である(東京都神社庁HPより)。


<拝殿>


<宮比神社>




<百度石と庚申塔>


<由来説明板>


★筑土八幡神社
 所在:新宿区筑土八幡町2-1

赤城神社(4)

2019年05月25日 | 神社仏閣
【令和元年5月某日 調査・登録】
 伝承によれば、正安2(1300)年、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。御祭神は「岩筒雄命(いわつつおのみこと)」です。
 赤城神社(3)はコチラです。

<大鳥居>


<手水>


<拝殿>


<狛犬>


<拝殿>


<螢雪天神>御祭神は菅原道真公です。


<あかぎカフェ>


<御朱印>


★赤城神社
 所在:新宿区赤城元町1-10

船河原町築土神社(2)

2018年09月17日 | 神社仏閣
【平成30年9月某日 調査・登録】
 以下、築土神社のHPより転載
 「船河原町はもともと江戸城内の平河村付近(現 ・千代田区大手町周辺)にあったが、1589年江戸城拡張の際、氏神の築土神社と共に牛込見附(現JR飯田橋駅)付近へ移転。さらに1616年築土神社が筑土八幡町に移転後、同町も筑土八幡町近くの現在地へ移転した(平凡社 『郷土歴史大事典』参照)。ところが戦後、築土神社は千代田区九段に移転。他方で船河原町は現在地に留まったことから、地理的に神社から最も遠い氏子となってしまった。そこでここに飛地社を建て、築土神社の氏子であることを冠したものと思われる。」
 船河原町築土神社(1)はコチラです。


 入口左側に掲示されている「掘兼の井」の説明板


★船河原町築土神社
 所在:新宿区市ヶ谷船河原町9番地

毘沙門天善國寺(15)

2018年08月10日 | 神社仏閣
【平成30年8月某日 調査・登録】
 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
 毘沙門天善國寺(14)はコチラです。


 本堂左右には石虎が鎮座しています。その右側「阿形」の台石正面には「不」に似た刻印が施されています。これは「几号(きごう)水準点」と言います。「几号水準点」は、明治初期に高低測量を行うために設けられた基準となる測量点で、イギリス式の測量法に従って全国各地の恒久的に残るであろうと思われたものに刻印されました。しかし、その後、ドイツ式の測量法が採用されたため、この基準点は役割を終えました。




★毘沙門天善國寺
 所在:新宿区神楽坂5-36