【平成30年8月某日 調査・登録】
毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
毘沙門天善國寺(14)はコチラです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d4/11e46d104ce738b0ad12432eb1f0d36f.jpg)
本堂左右には石虎が鎮座しています。その右側「阿形」の台石正面には「不」に似た刻印が施されています。これは「几号(きごう)水準点」と言います。「几号水準点」は、明治初期に高低測量を行うために設けられた基準となる測量点で、イギリス式の測量法に従って全国各地の恒久的に残るであろうと思われたものに刻印されました。しかし、その後、ドイツ式の測量法が採用されたため、この基準点は役割を終えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/94/ae636eae36080760d67fe5b5ca41e93e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c3/67899985f40a961e8914b1a8fd6038ac.jpg)
★毘沙門天善國寺
所在:新宿区神楽坂5-36
毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4(1595)年に創建されました。毘沙門天はサンスクリット語の「ビシュラバナ」で「全てを聞く」という意味だそうで、古来よりインドで信仰されてきた財宝の神です。
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本堂左右には石虎が鎮座しています。その右側「阿形」の台石正面には「不」に似た刻印が施されています。これは「几号(きごう)水準点」と言います。「几号水準点」は、明治初期に高低測量を行うために設けられた基準となる測量点で、イギリス式の測量法に従って全国各地の恒久的に残るであろうと思われたものに刻印されました。しかし、その後、ドイツ式の測量法が採用されたため、この基準点は役割を終えました。
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★毘沙門天善國寺
所在:新宿区神楽坂5-36