珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

打算的な人

2018-11-10 | 思うこと
以前職場で、超・打算的な人付き合いをする人を見たことがある。
明らかに嫌っている相手ながら、損得を考えて「使える」となった時に、巧みにすり寄って心にもない言葉を言える人である。
歯の浮くような白々しい言葉に、また相手がコロッといくことに驚いた。
その人が「使えなくなった時」冷酷に切り捨てるのも見事なものだった。

いいわるいじゃなく、それも生き方の一つであり、価値観とは思うが、私とは対極と思った。

ここ数年でいろんな心境の変化はあったけれど、こればかりはつくづく変わらないと思うこの頃。
好き嫌いと本音と行動が一致していないと、極端に落ち着かない私も相当偏っていると思うが。
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ブログにない声4

2018-11-10 | S教団関係
美容院で雑誌記事の「イクメン特集」のような記事を読んでいて、こんなん実際にはどのくらいあるんだろうか?と美容師さんに訊いたら、こう言われた。
自分の知り合いに雑誌の編集者がいるんだけど、
「記事はとにかく徹底して仕上げること」
「取材対象も載せる内容も半端じゃいけない」
「読み手をくすぐらさせらるような、インパクトを持ってくるのが肝心である」
それが発信するにあたっての基本なんだと言われているそうだと。

わかる気がする。
素人のブログ程度でさえ、発信している側の端くれである私も、言いたいことは何であれ「薄ぼんやり」ではなく明確に書くことが大事と思う。

人の最も強い感情は「怒り」であるそうで、嘆きや悲しみは平穏や愉快なことより強い衝動がある。
まして「ふうん、そうなんだ」「まあどっちでもいいけどね」
なんて曖昧で平穏で地味な感情は、刺激にはならず、取り上げられず、主張もされない傾向にある。

私が度々取り上げているS問題であるが、
ブログに好んで載せられる情報が全てと錯覚しがちではないかと思う。

言っとくけど、メディアから発信されて注目される情報って、だいたいが刺激的なテクニックを使っているからね……
 

話し合いをしただけで修羅場になるような現場が、果たして全てだろうか?
寄せられる声がそれだとしても、寄せられない声だっていっぱいある。

シンパであれアンチであれ、この前に黙ることしかできなかった過去を思い、書かれない声を私は出しゃばって書きたいと思う。

つまらない故にかき消され、後に上書きされ、盛られて爆発して、トグロを巻く前に。
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