珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

真っ向から書きます5

2018-11-08 | S教団関係
S教団のアンチがうんざりするほど(あまりにもしつこい。しつこいにも程がある)繰り返す理屈に、こういうものがある。

自分の人生を自分で否定するなんて、恐ろしすぎてできるわけがない。

いいえ、全然できますよ(笑)
できる人もいっぱいいます。
それは単なる個人の性格でしょう。
それか本当に満足してるんですよ。だから否定する理由がないだけ。
ちなみに私は極端なのかもしれないけど「なるほどねえ」笑いました
( ;∀;)

こんなことはS問題に限らず、生きていれば山ほどあることで、何かに気づいて反省すればたいていの人は「改めよう」と思うのでは?
「恐ろしすぎてできない」なんて人の方が、少数な気がします。
いや少数かどうかはわからないけど、これはSに関係なく性格の問題でしょう。
 

彼らは、お金と時間を奪われただけであって、幸せになった会員などいるはずもないのだけど、その現実に目を向けることができない。

これもズルイ言い方で、信じている時は「奪われた」なんて言い方はしなかった。
「有意義に使った」「幸せだ」と譲らなかった。
これは事実なのに、今は否定したいあまり、過去の「その現実に」目を向けられないのはどちらだろうか。

一度信じたものを否定して考え直すなんて、私はしょうちゅうだけどなあ…(スイマセン!!(__))

※批判などではなく、ただただ単純にそう思う。
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好きな季節

2018-11-08 | 日記
気がついたら、もう11月。
個人的には、秋の終わりというか冬の始め頃が一番好きな季節である。
これからクリスマスや大晦日や正月を迎えるが、これを楽しめるかどうかが、凡人の解りやすい幸せのバロメーターであろうか。
冗談でなく、この日を辛く「上の空」で過ごした時もあれ、残りの人生の年末年始はハッピーでありたいと願う。

思えばいろんなクリスマスや正月があった。
皆さまにもあったと思う。

子どもの頃、バタークリームの安ケーキに胸を躍らせて、珍しく両親が喧嘩しないでいてくれたクリスマスがあった。
シャンパンを抜いたらコルクが頭上の電灯の蛍光管を直撃して、ケーキにガラスの破片が飛んできたことがあった。
それでも表面のクリームをとって必死にケーキを食べた遠い記憶もある。

独身時代のクリスマスに、私がワインを買って夫のマンションで「彼氏」の帰りを待ちわびていたら、スロットに夢中で閉店まで帰って来ず、大喧嘩したこともあった。
(彼は「クリスマスってそんな特別な日?クリスチャンでもあるまいし」と言いやがった。確かにそうなんだけど( ;∀;))

娘が本気でサンタを信じてくれていた時は、サンタに手紙を書いたり、ミルクやクッキーを用意してはしゃいだりしたもんだ。

一つ、つまらない思い出。
ある年のクリスマス・イブに街に出てコンビニで買い物をしたら、レジがてんぱった感じのおじさんだった。
お釣りが90円のはずが900円渡されて、一瞬混乱したが、私が間違えたのかと思った。
店を出てから「そんなはずはない」と戻ろうとしたら、レジは長蛇の列。
いやいやあの人、申し出た方が絶対混乱する。
二度とは行かないであろう店だし、と言い訳してそのままにしてしまった。
ただその現金を持っているのが嫌で、近くのショップでそれを900円のスノードームに代えた。

トナカイのその小さなスノードームをツリーの横に飾る時、毎年汚れなき?良心が痛む( ;∀;)
セコイことはするべからずである。

 気が早いけれど、皆さまの年末年始にどうか幸あれ。




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