珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

蓼食う虫も好き好き

2018-03-11 | 日記
結婚当初のこと。
セールスウーマンが訪ねてきて(ダスキンだったか)、夫が出たら速攻でこう訊かれた。
 

「お母さんは?」

童顔というか雰囲気が「そんな感じ」の夫は昔からよく「そんな目」に遭っていた。
やはり新婚時代、盲腸の手術で入院してベットで漫画読んでいたら、看護師さんに
「わあ、その漫画息子も読んでる。どこの高校?」(ちなみに20代半ば)

男はそれがいいことではないらしくて、成人過ぎても喫煙してたら注意されたとか、明らかに年下からタメ口を聞かれたとかロクなことはないらしい。
おっさんくさいより全然いいと思うんだけどね。

歳取ると、ジャラジャラ持ちたがるのがおっさん。
何となくだけど、私のおっさんのイメージはこんな感じ。
金ピカの時計とブレスレッドと数珠玉を手首に巻き付けながら
金持ってます。
株券、ゴルフ券持ってます。
部下と車数台とスーツ何着持ってます。
家持ってます。
別宅と愛人も持ってます。
贅肉と持病としがらみも持ってます…

いやただの個人的な妄想ですが(笑)
タメ口はきかれないだろうけどさ、持ちすぎるのもなんだなあという話。

夫のスカスカのクローゼットには高校時代から愛用のジーパンがまだ現役で入っている。

食べさせてないんと違う?
アンタ何でも捨てるのはいいけど、旦那様は捨てないように。

いろいろ言われるが、はい「そんなんが好き」な趣味なので、大丈夫かと。
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母乳と母性の関係

2018-03-10 | 日記
こんな個人的な話は誰も興味ないでしょうから、読みたくない人はすっ飛ばしてください。
なんで書くかというと、私の場合いろんなことが人と違っていたようだったから。

まず私が結婚したのは20代半ばで遅くなかったのに、いわゆる高齢出産だったというと、10人が10人
ああ授からなかったのね
と思っていることに驚いた。
腫れ物にさわるように口には出さなかったけど。

「いえ、そうではないんです。欲しくなかったんで、絶対にできないようにしていました」
と婦人科で、ハキハキと口にしたらとんでもないことになった。
その場が凍り付いたというか…え?私、何か不道徳なことでも言いましたか?
こういうことは「産」にまつわるところではダブーなんだと慌てて察した。

さて、タブーも高齢初産の自覚もなかった私は、ツワリに苦しみながらも出産10日までフルタイムで働いて、元気いっぱいの早産をした。
赤ちゃんは泣かずに生まれた。
別にぐったりしていたわけでなくて、キョトンとして生まれたのだ。
赤ちゃんが泣くのは真っ暗な世界から明るい世界に出てびっくりするからと聞いたけど、だからキョトンとして生まれたのか。
私も生まれた赤ちゃんを見て涙ぐんだりしなかった。
あまりにも疲れたので「赤ちゃん?あとでゆっくり見るから、ちょ一人にさせてーーー」と思った。(怒られるな(笑))

ママたちは動けるようになったらまめに授乳しに、赤ちゃんの部屋に行った。
退院するまでひたすら寝てていいと思っていた私は、その過酷さに慄いた。
授乳室にいったら、ママたちのグラビアアイドル(なんてもんじゃなかった!)も真っ青の巨乳っぷりに更にビビった!!
そんなことに無縁だった私は、病院では貧なオッパイ以上に小さくなっていた。
母乳をグビグビ上げると褒めたたえられて、出ないとめちゃくちゃ怒られるからである。
もう鬼のように。
大袈裟じゃなく、近年こんなに怒られたことがなかった。
出ないものしょうがないじゃないとあっさり「ミルクをください」と言うと、若くてやさしい看護師さんはすぐくれたけど、おばちゃんの世代は激怒した。
なんでこの人たちは、母親の私が悩んでいないのにここまで深刻になるのか本当に不思議だった。

そんな私だったけど、並んでいる7、8人の赤ちゃんの中で我が子だけがとびぬけて可愛く見えた。
どんなに冷静に見つめても、どう目を凝らしてもそうとしか見えない。
母乳になるべきホルモンは私の場合、全てこのフィルターに集まったようであった。
これで育児ができた。

母性ってうまくできてる。
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騎馬戦の思い出

2018-03-09 | 娘と夫の話
娘の小学校の行事はそれなりに参加した。
言われるままに、PTAの役員も引き受けた。

確かに時々参観日を忘れたり、さぼったりはしたけど、給食袋に入れる給食当番の帽子と
パンツを間違えて入れたこともあったけど、母なりに頑張った。

そして娘も、6年間見事に、断固手を挙げなかったけど、廊下に特別に選ばれて貼られた絵や習字や作文は一枚もなかったけれど、夏休みの読書感想文は、
私がテキトーに書いたものを丸写しして提出していたけれど、家庭科の裁縫は全部友達が縫っていたみたいだけど、それでも不登校にもならず卒業しようとしている。
充分である。

そんな小学校生活だったけど、ただ一度だけ、誇らしいと思った瞬間があった。
それは最後の運動会の騎馬戦だった。
華奢な娘は騎馬の上に乗ることになった。
対戦は一対一のルールで、学年でいちばん気が強いと言われている女の子と当たることになった。
ハーフで、顔立ちも性格もはっきりしている生徒だった。
勝負事には熱くならない娘が、めずらしく思うことがあったらしく私に言った。
「ママ、練習台になって!」
娘は細い腕で必死で私につかみかかって、負けまいとした。

 そして本番当日。
一斉に騎馬がスタートして、 娘と対抗する女の子を乗せた騎馬も闘志むき出しで駆け寄ってきた。
勝負は意外に長引いて、全部の騎馬の勝負がついても、その二つの騎馬だけが終わらなかった。
父兄も児童も先生方も一斉に注目して、大声援になった。
あの、普段教室でいるかいないかの娘が、圧倒的に目立っている女の子と掴み合って闘っているのを私は不思議な感覚で見つめていた。
そして娘が相手の帽子を掴んでうれしそうに手を上げた時、場内にものすごい拍手と歓声が沸き起こった。
親バカ全開で感動した私に、娘が涼し気に言った。
「××に勝つと、皆がとくべつに喜んでくれるの」

その時の写真が先日パソコンに上がってきた。
卒業前に、最後の思い出の購入しませんか?というセールスである。
ピノコはもう勝敗なんかどうでもいいようだった。
ただ「××の顔がこわい!!」とゲラゲラ笑っていた。
私には本気で勝負しようとしている真剣な顔に見えたけどね。

一方で、娘のヘラヘラしたしまりのない顔にズルッときて、感動するほどでもなかったなと思った。
やはり体温の低い娘であった。
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必ず現れる人

2018-03-09 | 日記
ある人気ブログでの話。
そこは管理人の記事というより、コメント者同士の対話とコミュニケーションが中心のサイトだった。
とにかくひっきりなしにコメントが入る中で、あることに気づいた。
「落ち込んでしまいます」「気持ちが晴れません」的な、具体的に答えようのないお悩みコメントが入ると、100%、いや120%、いや200%必ず現れる人がいた。
別にその人の職業がカウンセラーというわけでもないようなんだけど、皆勤賞で現れる。

それである時からお悩みコメントが載ると、その内容より「くるぞ、くるぞw」と私は一人穿った読み方をしてしまうようになった。(正確にいうと今でもしている(笑))

人のことを心配して親切にするのはわるいことではないだけに、それの何がいけないの?と言われれば言葉にするのは難しい。
(私の根性が曲がっているだけと思います。今回は(も?)曲がった記事です)

以前、あるサークルのようなものでリーダーだった人が、すごく人望があって親切な人だなあと思っていた。
でもそのサークルをやめた時、そのリーダーだった人はさばさばと打ち明けた。
「あれは立場上、責任感で一生懸命やっていただけ。私はそんないい人じゃないわ」
その人は、自分が偽善だったように言ったけれど私はそうは思わなかった。

ブログに現れる人は、会ったこともない人に片端から、うんうん!と話を聞いて同情する。
そして毎回、流暢に励ましたり元気付けたりする。
誰に頼まれたわけでもなく、自分がやりたいからやっている。
根から好きなんだろうなあ、他人の不幸を覗くことが。
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なぜ示談にするのか?

2018-03-08 | 日記
何か事件が起きた時、被害者が裁判で徹底的に争わずに示談にする場合があるのは、何故か?
突然だけど、これをご存じだろうか?

もしかして、こんな答えが返ってくるかもしれない。
裁判にしないで示談にしたってことは、被害者は加害者を許したというか、寛容な目でみたのだろうか?
或いは、示談というものを裁判より穏便にみている人もいるかもしれない。

いやそうではなくて、裁判というのは一言でいえば時間と労力がかかるのである。(話を聞いて5分でうんざりした)
気の短い私にはとうてい無理に思えた。
さっさと忘れてしまいたい不愉快なことのために、そんなことに長期にわたって関わりたくないと思った。
そして私の性格上、自分の娘(まあ自分と同じです)に起こったことを司法といえ、他人任せにすることが嫌だった。
他にも幾つかあったけどこれが理由だった。

ちょうど一年前の今頃。
「加害者の両親に会わせてください」(加害者は未成年だった)
と言ったら、最初弁護士さんは驚いた。
ふつうは先方が謝罪のため面会を申し込んでも、断る人が圧倒的だそうである。

そういうわけで前にちょっと書いたけど、娘が通り魔被害のような事件に遭って、こんなドラマのようなことが自分の身の上に起こるんだ?と驚きながら、ついでに加害者の両親と会って話すという、もっと希少なことを体験した。

場所は双方の弁護士を交えての、こちら側の弁護士の事務所だった。
私はまっすぐに彼らを見つめて、率直な思いと質問をぶつけた。
父親は憔悴しきっていた。
母親の方は知らない。(女は図太いんだなあと思った)

ちなみに「慰謝料」というのは司法で裁くとシビアである。(これは刑事ではなく民事裁判)
被害者やその家族が、事件によって実質の被害を被った金額の妥当性を領収書を提示して要求する、ということに私の心は納得しなかった。
お金で心は買えるはずはないが、私は一定額の支払いを要求した。

生々しいけど、これが示談というものだった。
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好きなブロガーさん

2018-03-08 | 日記
ある人気のブロガーさんが書いておられた。
その人が作る動画は人気があってよくコピーされて拡散されるのだけど、
自分の名前がついていなくても全然かまわない。内容が評価されシェアされればいい
また
YouTubeやブログで収入を得たくないのは、真実を伝えることに“金儲け”をなるべく絡めたくないから。自分にはなにか不自然なこと、不純なことに感じられる

私なんかが口を挟むような、チンケな内容を書かれている方ではないので大変僭越ながら、このような考え方に私は単純に魅かれる。
いいわるいじゃなくて、ただ好きか嫌いのアンテナが反応する。
金や知名度を圧倒的に凌駕するものがある。
そういう幸福度は、わからない人には説明してもわからないと思うけど。

ブロガーには、ネットで人気者になりたい人と純粋に書きたい人がいるんじゃないかと思う。
書きたい、伝えたいと思うなら、宣伝よりまずおもしろいものを書け!!
アクセスを励みに書くんじゃなく、一人内容に集中するのである。

それに尽きるんじゃないかなと思う。
例え最初は、ネットの海で独りぼっちで漂流しているように思えても、本当におもしろいものは必ず誰かの目に留まる。
2、3桁読めば引きこまれるし、読み続けられる。
そのくらいの力があるし、そんな気概があるからこそおもしろいのである。

まだ何も書いてないのに、人気ブログに乗っかって「ブログ始めました。見に来てください」と売名すれば アクセスはくる。
そうではなくて、ただ内容を書くことだけにしか満足できないブロガーさん。
そんなブロガーさんに、もっともっと出会えたらうれしいと思う。
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自由は愉し

2018-03-07 | 娘と夫の話
娘の中学校のカバンを買いに行った。
地元の公立中学に通うのだけど、カバンは自由なのである。
毎日使うカバンが自由!!
自分で考えて選ぶ。
これぞ教育だ。
すばらしい!!


私の行った中学なんて田舎の公立中学なのに、今思うと軍隊並みのガチガチのクソみたいな規則だらけで、そのおかしさはクルクルパーのレベルだった。
靴下は無地で白。
黒も紺もグレーもワンポイントもダメ。
その白の無地を止める、当時はやったソックタッチも禁止だった。
ホワイ?
靴下がずり下がらないように止めるという意味しかない、スティック状の糊がなぜいけないのか?
ソックタッチはいけなくて、工作糊で止めるのならいいのか?
洗濯しても落ちないぞ。
靴下のずり下がりを止めるだけのことを、色気づいた不良の一歩みたいに得意満面に没収する教師たちは、今思うと思考停止の権化だった。

前髪が眉毛にかかるのもダメ。(なつめちゃんみたいのが理想)
それはなぜ?
目にかかるなら健康上問題があるかもしれないけど、なんで眉毛?

カバンは黒い指定の学生カバンで、サブバックは指定の変な緑色のナップサック以外は一切認められなかった。
そしてどちらにもストラップ一つ、付けてはいけなかった。

これには自分のものを見つけにくくすること以外に、何の意味があったのか?

そんな支配された日々と違って、いい学校だなあと思っていたら女子の今の流行りはリュックだと聞いた。
近所の同じ中学校に通う女子生徒を見ていたら、本当だ。
10人が10人リョックをしょっていた。

カバンのコーナーに行ったら、リュックの他に黒と茶色のショルダーバッグがあった。
ピノコはリュックには目もくれず、茶色のそれを選んだ。
リュックじゃなくていいの?と聞いたら、「これがいい!」と嬉しそうに目を輝かせた。
制服には全く興味を示さなくて、面倒くさそうに採寸していたのに。

その調子で、好きなことを自分の目線で選ぶ人生を生きていけ~。
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当たり前ではない

2018-03-07 | 日記
以前、ブログを書いていた時私は天涯孤独ですというコメントを頂いたことがある。
夫の仕事仲間にも、まだ若いのにそんな方がいる。
家族がいても、そりが合わなかったり事情があったりで疎遠の人もいる。
血縁を恋しく思う人のように、厭わしく思う人もいる。
見えていないだけで、そういう人はふつうにいる。
ざらにいる。

震災の話が出ると、愛する人を失った悲しみに同情や励ましが必ず寄せられる。
間もなく訪れるそあの日も、おそらくそれ一辺倒が語られることは間違いない。
そうでもない人がいなくなった解放感については、決して語られないことも。

幸せ=家族が健在で仲良し、というのはあくまで一つの側面にすぎないのに、そんなアピールばかりが強い人に、想像力をもたせるのは難しい。

まずは簡単なことから想像してみることをお勧めする。
クリスマスやお正月というと家族と和やかに過ごすのが当たり前、ではない。

そして人は自分の体験した境遇によってどちらかに偏りがちで、家族思いか極端に冷たいかになる。
両方をよくよく理解している人は、なかなかいない。
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すばらしき家族愛

2018-03-06 | 日記
子どもをお持ちの方は、運動会などのいわゆる「場所とり」というものをご存じと思う。
イベントで、家族のためにいい席を取りたいので争奪戦になるあれである。

あれは初めての幼稚園の運動会で、開門になった瞬間のことだった。
丸めた敷物を抱えて、我先にとダッシュする闘志に満ちたお父さん、それを誇らし気に見るお母さんちたちを見た。
そういう光景は、その先いろんなところで見ることになった。

一番前の席をとりながら、キャンプ用の椅子を並べてそれに腰かけて見る家族がいた。
我が子が走っていると、ゴール前に脚立を並べてそれに乗ってカメラを回す人もいっぱいいた。
 震災の時、夫を連れてスーパーに来て、抱えきれない買い物をしていく家族がいた。

皆すばらしく家族思いで、家族愛に満ちていた。
「後ろに人がいる」「他にも人がいる」なんて甘いこと言っていたんでは、
「家族のため」「わが子のため」の情熱が足りないとされる。
子育ては、このくらいの厚顔さは許されるんだと知った。

うちはそんな家族愛が極端に足りなかったため、イベントの写真がほぼ一枚もない。
(その代わり一人で気兼ねなく撮った写真なら、おそらく林家パー子に負けていないぞ)
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スマホをチェックする国

2018-03-05 | 日記
北朝鮮でも富裕層はスマホくらい持っている。
 全部盗聴されてるけど。
 別名支配ともいうけど。

「この会話は××としてるんであって、アンタに聞かせてるわけじゃない!!」なんて言ったところで支配者には通じない。
持ってたってビクビクしながらしゃべらなきゃいけないんだ。
すごい国だな。

デジタルネイティブ世代では、他人のスマホをチェックすることは手紙を開けるという感覚ではないと聞いた。
ゼネレーションギャップというものは間違いなく存在すると。
そうなのかもしれないが、根底にあるのはこれなのではないだろうか。
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閑話休題(ラザリスさん)TobyMac - Feel It ft. Mr. TalkBox

2018-03-05 | 閑話休題
TobyMac - Feel It ft. Mr. TalkBox



この方、クリスチャンでラッパーだそうです。
アップデートされたソウルというか、ブラックコンテンポラリーですね。
ホーンセクションといい、リズムといい、ベースラインといい、めちゃカッコいいです。
日本ではあまり知られていないようですが、これからもますます活躍して欲しいアーティストです。




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答えが出ない

2018-03-05 | 日記
娘の小学校の、初めての参観日はよく覚えている。
といっても覚えてるのはどうでもいいことで、子どもだちの誰かが、何度も何度も机から筆箱を落とすことだった。
あ!また落とした。
そうするとまわりの何人かが立ち上がって、一生懸命拾ってあげとうとする。
その様子がおかしくて、私は一人笑いながらそればかり見ていた。
娘を見たら、やはり先生の話なんか聞いてるのか聞いてないのかって顔してるのに、誰かが筆箱を落とした時だけ俊敏に反応していた。

数年後、娘は知らない男の子に声をかけられてついていってしまって、とんでもない事件に巻き込まれたことがあった。
知らない人についていっちゃダメってとあれだけ言ったのに…!!
だけど私は怒れなかった。
「その人ね、お母さんが病気で病院行きたいんだけど、道がわからないで困っている。××駅まで案内してほしい。お願い、お願いって…」
「途中でおかしいと思わなかったの?」
「うーん…それよりすごく足が速くて…逃げたら捕まえられて怒られると思った」

きっと娘と同い年なら、他の子なら絶対ついていかなかった。
信じて助けようなんて思わなかった。
一目でうさんくさい奴だと思って逃げた。
未熟で知恵がないのは私と同じ。
そして私はこの件では、そんな娘が正しいのか間違ってるのかも教えられなかった。
今でも答えが出ない。

世の中には「正しい」「間違ってる」とあっさり言い切る人がいる。
なぜそんなに得意そうに断言できるのか、私にはそれさえもわからない。
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小学校行事にて

2018-03-02 | 娘と夫の話
小学校の行事に出席した。
娘が間もなく卒業なので、父兄への感謝の会のような催しがあったのである。
劇やダンスなど演目がいろいろあって、娘の参加演目はミスチルの「hanabi」の合奏だった。
演奏を聴いて、リズムがしっかりしてるなあと思ったら、ドラムを叩いていたのがKくんだった。

私は彼らが小3の時初めて見た音楽会で、Kくんのピアノ演奏に驚いた。
帽子を被って、楽譜も鍵盤も見ずにノリノリで弾いている様子に、思わず見入ってしまった。
その日もさすがだなあと思いながら彼を見て、慌てて懸命に木琴を叩いている小さな娘を追った。

最後にいきものがかりの「エール」の合唱が、学年全員で合始まった。
ピアノはKくんだった。
驚いたことに、彼はピアノに譜面を置いてなかった。
そして、何度も何度も指揮者を確認していた。

ところが残念なことに、指揮者の女の子はあまり指揮がうまくなかった。
可愛らしいんだけれど、ただ手を適当にふっている感じで(ごめんね)、でも歌う子どもたちはそんなことは誰も気にしていないようだった。
ただ一人、ピアノの彼だけが懸命にリズムを合わせようとしているのがわかった。
私はハラハラしながら彼を応援した。

娘ですか?
前列にいながら、明らかに口パクだったので殆ど見なかった(笑)

終わってから娘に言われた。
「ママ、Kくんばっかり見てたでしょ」
「いやだってね。あなた全然歌ってなかったよ。Nちゃんなんて大きな口開けて、背筋もピンとしてよかったのに」
「Nも口パクだよ。そう言ってたよ」
「そうなの?同じ口パクなら、あのくらい上手くやりなさいよ」
うちはこんなレベルの会話の親子なんだけどね。
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捨てると現れる女神

2018-03-02 | 思うこと
世の中には買い物をしてトレスを発散する人がいるらしいけど、私は逆で捨てることに解放感を感じる。
休日に買い物にいく時間があったら、捨てることにに専念したいくらいである。

文章もそうで、書いているうちに余計な言葉に胸やけを感じて、それを削除する。
おー、すっきりした!と一人ニヤニヤして満足する。(これ自分だけのマニアな世界なので伝わらないかもしれません(笑))
要は、文章にも贅肉があるといえばいいのかな。
クドクドした言い回しや、くだらない自己アピール。
こってりした食事に、頼んでもない甘すぎるデザートなんか押し付けられることを考えてみる。
読んだ方は、わざわざ「ちょっとしつこいですね。こうした方がいいですよ」なんて、やさしいアドバイスはしてくれないのよ。

捨てることって、モノだけじゃなくてこんなふうに言葉もあれば、あとは例えば付き合いもあると思う。
具体的にいえば、PTAや(くじ引きや順番でまわってくるんですよ)学校行事の付き合い方。
基本、ママ友達とつるんでは行かないこと。
こうすると、彼女らのきりのないおしゃべりに巻き込まれずにさっさと帰れる。
これ、バカにできない時間の節約になります。

情報交換のために、ママ友とは密につきあった方がいいという意見もあるかもいれないけど、私の経験上、それらはまず役に立たなかった。
だいたいが人の噂話か自慢話か、別にストレスにもならないけど、聞いたところでどうでもいいような毒にも薬にもならないことだった。

捨てると現れる女神がいるというのをご存じだろうか?
 捨てるって冒険だし、リスクもあるんだけど、それをやった人間にだけ微笑んでくれる幸運の女神。

これは体験しないとわからない。



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閑話休題(ラザリスさん)Every Breath You Take - The Police (Boyce Avenue acoustic cover) on Spotify & iTunes

2018-03-01 | 閑話休題

Every Breath You Take - The Police (Boyce Avenue acoustic cover) on Spotify & iTunes 」」」

 

最近は毎日これを聴いています。

この3兄弟、どんだけ上手いんでしょうか?

ハスキーなボーカル、ミュートを効かせたアコギ、完璧なリズムのカホン、見事なキーボードのアレンジ。

ここまでのレベルは無理だけど、自分もこの人たちに近づけるように頑張ります。

シドさんも、ポリス世代でしょうか?

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