📷2022年2月25日:往時、都忘れは白花が原則らしい。 今日咲いた。撮ってみて初めて気づいた。アブラムシだ(ノll゚Д゚llヽ) (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
みやこわすれと 名づくるも憂し
順徳天皇
承久の乱の折、佐渡ヶ島へと流された順徳帝、思いは隠岐の島へと流された父帝・後鳥羽上皇のこと。
そんな父が好きだったであろう白菊が路傍に咲いていた。仮初に、「都忘れ」と名付けて現し世を慰める。
佐渡での在島21年で自らの命を縮めた。歌を詠み、仏道に励んではいても、きっと、憂さを晴らしきれない自分自身に気づいていたのだろう。
ヒト属は、自分自身を慰めるために「代償行動」をとることで知られている。
先に記述した順徳帝の行動も、ある意味、代償行動の一つと言える。
しかし、代償行動は、本質的に欲求が満たされたわけではないので、心理的な緊張は継続したままなのだ。
あれは無理だろうから、これで我慢しよう。ヒト属はいろいろな知恵で緊張を回避したいと思うのだが、なかなかそううまくは行かないもののようだ。そう、それが現し世ってことなのだろう。
この歌でわかることは、当時のミヤコワスレは白花ってことなのだが、とまれ、ミヤコワスレが園芸品種「みやこわすれ」として世に出たのは江戸期であるってことにご留意いただきたい。そう、順徳帝が生きた12世末から13世紀にかけて、都忘れという花は順徳帝の脳裡にしか存在しなかったことになる。
📷2021年5月4日:やはり令和の都忘れは、青紫が定番なのかな。
カナダケシが咲いた。今日の高温が、サンギナリア・カナデンシスの心をとろかせたようだ。
ただ、ただご覧になっていただきたい。
📷2022年4月25日:心をとろかせたのは、誰あろう彼女を見た我々ではなかったのか。
📷2022年4月25日:どこから見ても陶然となる。花びらの数も多いのでは・・・。