神明社の神社由緒には、次のように記されている。 「当社は元禄9年(1696年)川越城主柳沢出羽守領主の節、上富村、中富村、下富村の三ヶ村を開かれた折、一寺一社の制に基づき12,500坪の地を除地せられ、鎮守のお宮として毘沙門社と多聞院を創立、後年、該院境内に神明社を勧請いたしました。時に宝暦11年(1761年)であったと伝えられます。(入間郡誌には宝暦8年と記されています)」 そう、神明社は、昨日ご紹介した多聞院に隣接して建立されている。 神社のトップページには、「三富・富岡総鎮守 富の神様」とある(赤字の「三富・富岡総鎮守 富の神様」をクリックすると、別ウィンドウで「神明社 (所沢市)」のホームページが表示される)。上述した「上富村、中富村、下富村」を総称して「三富(さんとめ)」という。「富の神様」は「とめのかみさま」となる(ホームページのトップには、略称として「富の神明様」との記述もある)。 千木の背後には、時期ともなると天をも覆うほど葉を茂らせる大銀杏が屹立している。 ![]() 📷2022年3月1日:社殿越しに、季節ともなれば天をも覆うほどの葉を茂らせる大銀杏が見える。
この大銀杏の樹下にも小さな社が建立されているが、なんとその名も「いも神社」。 これは、関東のサツマイモ作りの元祖である甘藷先生(青木昆陽)と併せて『甘藷乃神(いものかみ)』を祀った神社だという。 お社の前にはさつまいもを象ったオブジェ「撫でいも」が置かれ、訪れる人々の目を楽しませてくれる。 いも神社の左手には神明社の駐車場へと続く道が北へと伸びている。 これは、神明社の鎮守の森へと続く道だ。 森には散歩道が設えられていて、季節季節の野草を楽しむことができる。 『憩いの場を提供すると共に、山野草の保護育成を行っていきたいと考えています。 四季折々の武蔵野の自然と草木を静かなご神域の中で愛でていただけたらと思います。 「月の原」の名称は、当地の住所の小字に由ります。』 神社のホームページには、上記のような説明が付されていた。 ![]() 📷2022年3月1日:なかなか風雅な名称ではあるが・・・。
さて、その草木なのであるが、あまりにも季節が早いのか、これといって目を楽しませるモノとてない、というのが実情であった。 でもね、数年通っているわけだから、目星は付けていたのだが、やはり、まだ早かったのかな。 キクザキイチゲとは断言できないが、イチゲの仲間をかつて同地で撮ったことがあるのだ。 そう、確か2019年の3月25日、ここで撮ったのが下記の画像だ。 ![]() 📷2019年3月25日:キクザキイチゲとの名札があったのだが・・・。
三月下旬だったね。今年はまだ上旬だもの無理ないのかな。 おや、それと気づかずに通り過ぎてしまいそうだったが、見つけたよ、見つけた! やっと目覚めたばかりって感じだったけど、一輪だけはしっかりとほころんでいた。 ![]() 📷2022年3月1日:ほら、こちらはまだまどろみの中。
![]() 📷2022年3月1日:一輪だけだけど、ほころんでいる子にも会えたよ。
この後も、小径をそぞろ歩いてみたけれど、春の萌しはあのイチゲだけ、扉はまだほんの少し開け放たれただけだったようだ。 |
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