と、書いていながら「何のこつちゃ?」と私。
電車に乗っていて、ふと『あのひとはどれくらい幸せなのかな?』
『あの二人、仲よく手をつないで笑っているけど本当に幸せなのかな・・・』
まるで子供みたいに意地悪く「値踏み」する私がいる。
現実の、日々の生活の中での「幸せ感」なんてコロナの感染者数や、ロシアの愚行、石油問題の前に、小さな溜息程度の存在感しかない。
70代を迎え、ちらっと自分の人生とやらを振り返り、私は幸せになるために何をどうしてきたか、今、どう生きようとしているか・・・。
50代で事業を起こすことから、まず穏やかな生活に見切りをつけることになったのだ。子育て、母の通いの介護、離婚と「起業」が一緒だった。
そこそこ安定していた結婚生活も、何かが足りなかった。妻、母だけでこの先何十年も過ごしていけるとは、私には到底思えなかったのだ。そんなことは単なる「我が儘」と言う人もいるだろう。
何かを表現することは「生きていく」ことの結果なのだと思う。作家は書くことで、歌手は唄うことで自分を表現して、究極誰かに認めてもらいたい自分が「在る」事を知る。
私は一人で会社を興し、細々と続けてきた、只続けてきた。まだまだ売り上げは細く、このところの原材料高騰にたじろぎ、次の展開に足踏みしているのが現状だ。それでも「手間暇かけた商品しか提供したくない」のだから、どこも手は抜けない、材料もおとせない。自分で自分の首を絞めている(笑)
自分の首を絞めている私が「不幸せか?」と問われれば、それはハッキリ「NO」でしょう。
とりあえず健康で、朝起きてやるべきことがある、これだけでも幸せです、今の私は。でも、これ以上のことを求めていない、といったら嘘になる。
もっと売り上げてお金も欲しいし、ぷよぷよの肌や、くびれたウエストも欲しい、欲しいが、やっぱり私らしい「幸せ」が大切なのです。
こうやって時々自分の立ち位置を見つめているのも、年齢的なこともあります。無理が出来なくなりつつある中で、仕事の思いばかりがつんのめっていく自分を調整する意味もあります。
何の答えも綴られていない長-い文章にお付き合いいただき済みません。まだまだ頑張ります!「鎌倉今村」どうぞこの先も応援してください、よろしくお願いいたします。