
アレクシオス1世による治世は野蛮な十字軍を呼び込んだものの、地方貴族の領有と徴税を認め、コスト高な中央官僚に対する給与体系を大幅にリセットをかけることで、行政をスリムにして再生の芽を出させることが出来た。
続くヨハネス2世の治世においても優れた統治が行われ、バシレイオス2世には及ばないものの、ビザンツ帝国は再び地中海世界の強国として繁栄を手にすることが出来た。
古代ローマ帝国から見ていくならば、共和制のもとで国家を拡大させたローマは第一市民という事実上の君主が統治する名目上の共和制によってパクスロマーナを実現させた。この成功モデルの崩壊後に軍人皇帝たちによる動乱の時代を迎え、国家を安定させるために専制君主制へとスライドさせる。つかの間の繁栄の後にローマは東西に別れるが、ユスティニアヌス帝による再征服によって領土を回復させる。が、これによって疲弊した国家はローマの象徴であったパンとサーカスを終焉させ寄生虫の如き市民を駆逐することで専制性のもとで国民が負担しあう形で身の丈に合った繁栄モデルを構築する。
そして、その成功モデルが崩れたときに地方貴族達に権力を分散させ、元老院を地方貴族のサロンにして皇帝を貴族の第一人者へと変化させることで各地方の貴族に責任を分担させ中央の機構をスリム化することで封建制に近い成功モデルを構築する。
また、後に述べることになるが、地方分権が国家そのものを生き延びさせるファクターとして働くのである。
よくよく政治を語る上では歴史から学ぶことが求められるが、現代日本の肥大化した中央官僚機構にどう対峙すべきかというテーマになると、アレクシオス1世によるビザンツ帝国の成功モデルから学ぶべき点が多いのではないだろうか。
さて、こうした成功モデルを引き継いだマヌエル1世であったが、国力を回復させたところで、ユスティニアヌスの再征服の再現を目論んだ。
しかーし!
今度はゴート族に荒らされたユスティニアヌス帝当時のイタリアと違い前期ルネサンスへと差し掛かったイタリアはもはやビザンツ軍に充分対抗できる力をつけていた。
かくしてマヌエル1世率いるビザンツ軍はほうほうのていで引き上げることになる。
そして、ユスティニアヌス帝による再征服後に帝国の疲弊が顕になったのと同じように、マヌエル1世の死後に帝国は衰退する。そして、今度の疲弊は更に深刻であった。
この後、十字軍によるコンスタンティノープル占領、後に首都回復するものの最終的には滅亡に至るレールが遂に敷設されてしまったと言えよう。