いつもだったら8月中にアオリイカの初物を求めてるところですけど、やたら暑かったので自分がくたばらないことで精一杯でした。
ってことで、ようやく初物。
鰺が2匹しか釣れず、一度目にイカを釣り上げた後に同じ鰺を海中に放置して2杯目を釣る。そしてもう1匹の鯵に来たイカを的確に仕留めて合計3杯。
いつもだったら8月中にアオリイカの初物を求めてるところですけど、やたら暑かったので自分がくたばらないことで精一杯でした。
ってことで、ようやく初物。
鰺が2匹しか釣れず、一度目にイカを釣り上げた後に同じ鰺を海中に放置して2杯目を釣る。そしてもう1匹の鯵に来たイカを的確に仕留めて合計3杯。
ゴマキの弟と言えば銅線泥棒で捕まったのは事実で、そのことは決して消えることはない。
が、有権者が彼を選んだのも事実。
もちろん選挙の結果について気に入らないことを表明することは言論の自由権に属するところで非難される謂れはない。同時に投票結果があるときは自分の意中になるように、別の時には自分の意に沿わない結果となることで社会の健全さが一定レベルで保たれていることを知ることになる。
彼に嫌がらせをしている連中について、ゴマキ弟本人の過去の行動に責が生ずると主張する人に問いたい。
貴方は自分自身を振り返って過去に法律・倫理的な規範・自分自身の良心に照らし合わせて何一つ過ちがないと言えるのか?
人間は誰だって過ちがある。
彼の過ちは議員など政治家であることで権力構造に絡む犯罪を犯したわけではない。
過ちがある人が再び正しい道に戻ることを許さないと主張するのは自由だが、そう述べる以上は自分自身も過ちがあるなら真っ当な人生を諦めるべきであろう。そうなれば過ちのある人が立ち直ろうとすることを許さない権利など誰にもないことが分かる。
だから無暗に人を決めつけて断罪するのは、鏡に映った自分の醜い姿を糾弾するようなもので「相手が悪いから何をしてもいい」という独りよがりの正義感がいかに危険なものであるかは歴史の教えるところであろう。