今日、鹿屋地区ではあちこちの小学校で運動会が行われていた。
11時半頃近くを通ったら、道路越しに「西俣小学校」で行われている運動会の様子が垣間見えた。
聞けば今年は午前中で終えるプログラムだという。眺めているとプログラム最後の学年別リレーの競技のようだった。
午前中なら何とか30度近い暑さの中でも頑張れたろう。
新型コロナの流行以来、一昨年、去年と中止にする学校が多かったのだが、今年は開催する学校が増えて来たようだ。
昨日今日と新型コロナウイルスの感染は目に見えて下火になり、鹿屋島県では夏休み明けの最大4000人台から、今は300~400人台に減少している。10分の1以下になったことになる。
この分で行くと、10月中には100人を切り、全国的にも数千人台となり、第7波は終了するに違いない。
行動制限なしの政府の指標が示されてから一夏が過ぎたのだが、世界の中ではずーっと高感染者数をひた走って来た日本も、これで一息つける。
第8波が年末・年始に立ち上がるのは間違いないが、その頃には日本発の治療薬が承認される可能性が高く、希望的観測だが新型コロナ終息への3年目となるだろう。
ところで昨日今日と報道では著名人の死が相次いだ。
笑点でおなじみの三遊亭円楽は脳梗塞と肺がんで72年の生涯を閉じた。落語家としては幾分早い死である。
笑点での名司会者歌丸との掛け合いが面白く、円楽独特のブラックなユーモアは他の出演者の追随を許さなかった。
それと新日本プロレスのアントニオ猪木の訃報が報じられた。
アントニオ猪木の父が鹿児島県出水市の出身だということを報道で知り、意外に思った。父親が出水市を離れて神奈川に住んでいる時に移民としてブラジルに渡ったそうである。
向こうで力道山率いるプロレス興行があった時に、体格の良かった猪木は力道山からプロレスに誘われたようだ。まだ17歳だったという。
力道山の一番弟子はジャイアント馬場で、猪木は2番弟子だそうで、以後、プロレス業界で頭角を現していく。
30歳前後には新日本プロレスを立ち上げ、ますますのめり込んで行った。
その後はスポーツ平和党の参議院議員になり、イラク戦争時に人質になった日本人を救出するという手柄を立てた。また北朝鮮に招聘されて向こうでプロレスの興行を行っている。
この北朝鮮行きは22回に及んだというから半端ない。
アントニオ猪木と北朝鮮との関係は、おそらく旧日本時代に北朝鮮地区で生まれた師匠の力道山の縁からだろう。
残念なのは、それほど北朝鮮との交流を行っているにもかかわらず、「拉致被害者」と「拉致被害者家族会」との接点を持たなかったことだ。
北朝鮮生まれの力道山は日本でもプロレス界の英雄であった以上に、向こうではさらなる英雄であり、その英雄の弟子ということで招聘はされたが、拉致問題のような懸案事項には触れてくれるなと北朝鮮当局にくぎを刺されていたのだろうか。
この点は不可解という他ない。いずれ誰かが詳しく調べ、記事にしてくれるのを待ちたい。
11時半頃近くを通ったら、道路越しに「西俣小学校」で行われている運動会の様子が垣間見えた。
聞けば今年は午前中で終えるプログラムだという。眺めているとプログラム最後の学年別リレーの競技のようだった。
午前中なら何とか30度近い暑さの中でも頑張れたろう。
新型コロナの流行以来、一昨年、去年と中止にする学校が多かったのだが、今年は開催する学校が増えて来たようだ。
昨日今日と新型コロナウイルスの感染は目に見えて下火になり、鹿屋島県では夏休み明けの最大4000人台から、今は300~400人台に減少している。10分の1以下になったことになる。
この分で行くと、10月中には100人を切り、全国的にも数千人台となり、第7波は終了するに違いない。
行動制限なしの政府の指標が示されてから一夏が過ぎたのだが、世界の中ではずーっと高感染者数をひた走って来た日本も、これで一息つける。
第8波が年末・年始に立ち上がるのは間違いないが、その頃には日本発の治療薬が承認される可能性が高く、希望的観測だが新型コロナ終息への3年目となるだろう。
ところで昨日今日と報道では著名人の死が相次いだ。
笑点でおなじみの三遊亭円楽は脳梗塞と肺がんで72年の生涯を閉じた。落語家としては幾分早い死である。
笑点での名司会者歌丸との掛け合いが面白く、円楽独特のブラックなユーモアは他の出演者の追随を許さなかった。
それと新日本プロレスのアントニオ猪木の訃報が報じられた。
アントニオ猪木の父が鹿児島県出水市の出身だということを報道で知り、意外に思った。父親が出水市を離れて神奈川に住んでいる時に移民としてブラジルに渡ったそうである。
向こうで力道山率いるプロレス興行があった時に、体格の良かった猪木は力道山からプロレスに誘われたようだ。まだ17歳だったという。
力道山の一番弟子はジャイアント馬場で、猪木は2番弟子だそうで、以後、プロレス業界で頭角を現していく。
30歳前後には新日本プロレスを立ち上げ、ますますのめり込んで行った。
その後はスポーツ平和党の参議院議員になり、イラク戦争時に人質になった日本人を救出するという手柄を立てた。また北朝鮮に招聘されて向こうでプロレスの興行を行っている。
この北朝鮮行きは22回に及んだというから半端ない。
アントニオ猪木と北朝鮮との関係は、おそらく旧日本時代に北朝鮮地区で生まれた師匠の力道山の縁からだろう。
残念なのは、それほど北朝鮮との交流を行っているにもかかわらず、「拉致被害者」と「拉致被害者家族会」との接点を持たなかったことだ。
北朝鮮生まれの力道山は日本でもプロレス界の英雄であった以上に、向こうではさらなる英雄であり、その英雄の弟子ということで招聘はされたが、拉致問題のような懸案事項には触れてくれるなと北朝鮮当局にくぎを刺されていたのだろうか。
この点は不可解という他ない。いずれ誰かが詳しく調べ、記事にしてくれるのを待ちたい。