鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

何とも不思議な雲(2025.01.30)

2025-01-30 21:03:44 | おおすみの風景
午前中、高隈山と桜島の冠雪を撮りに行き、帰ってから昼食後に鹿屋市の東地区学習センターと田崎学習センターに用事(市民講座の展示会)があり、東学習センターの後に行った田崎学習センターでの用事を済ませ、館内から出た時のことである。

朝方はほぼ快晴でよく晴れていたのだが、やや上空に雲が増えていたのに気付き、見上げたのだが、その際「ええっ」と息を吞んでいた。
上空の班らの雲の間を掻き分けるかのように、一本のギザギザした長い雲がすうっと上空に伸びているのだ。

飛行機雲と違うのはまずその高さだ。飛行機雲の場合高度は1万メートルとかそのレベルの高さだが、この雲は上空に広がっている淡いうろこ雲のような雲より低い所を横切っている。

よく見るとひも状の雲の側面には刷毛でこまごま書かれた綿のような筋がある。まるで龍のうろこかひげのようだ。

雲は学習センターの頭上を北東から南西方向へと延びていた。駐車場のすぐ下は田崎運動公園の一角で芝生になっており、そこに下りて館の上をずっと伸びて行く雲を写してみた。

南西方向へ伸びる雲はかなり行った先でようやく薄れ始める。我が家に帰る途中でも薄れながらも続いているのが見え、南の500メートル前後の山並み(横尾山系)までたどることができた。

館内から出て最初に見た時の印象は「竜」であった。摩訶不思議な雲である。

人生75年にして初めて見るタイプの雲には違いない。

どうしたらこのような雲が発生するのだろうか、今のところ全く分からない。

たまに聞くことのある「地震雲」なのか?

そういえば、このところ宮崎県沖の日向灘を震源とする大きな地震が多い。日向灘の方向はまさに北東である。

この雲の発生とはかかわりなく、この先、日向灘を含む南海トラフ巨大地震は間違いなく発生するので、気を引き締めておかなくてはなるまい。

冠雪を望む(2025.01.30)

2025-01-30 11:47:07 | おおすみの風景
一昨日は北西風が吹き荒れ、多分、この冬で一番寒い日だった。

山には黒い雨雲が掛かり、終日上の方は姿を見せず、昨日も山頂部付近は雪雲に覆われていた。

今朝もし晴れたら、高隈山と桜島の雪景色が見られると思い、9時過ぎにデジカメを持って車でまず4キロほど西にある「霧島が丘」に行ってみた。

霧島が丘公園の南側には「ばら園」や芝生公園、ゴーカートの乗れる広場があるが、北側は広大な駐車場の先に「ディスクゴルフ場」があり、そこから鹿屋市の野里地域と遠くには海上自衛隊の航空隊基地が望まれる広場になっている。

そして小高い山を前景にして、高隈山連山が眼前に目一杯展開して見える場所なのだ。
もう少し雪が深ければもっとコントラストがはっきり出るのだが、これでも雪景色の雰囲気はある。

右から御岳(1182m)、左へ三角錐の美しい妻岳(1145m)、二こぶを経て平岳(1102m)、横岳(1094m)とほぼ桜島の高さと同じくらいの高さの山並みが続いている。

ここからは桜島が山頂部わずかしか見えないので全容を捉えるべく、霧島が丘から西の海岸通りに下り、高須から古江へと向かった。

すると古江の港が見下ろせるところまで来た時、港の向こうに雄大な桜島が見えて来た。

山頂の北半分が冠雪した桜島だ。安永の大噴火(安永8年=1779年)でほぼ現在の形になった桜島だが、富士山型に近いが山頂部は扁平なので台形のようである。

何にしても雪を頂くと少しおとなしく見えるから、いつものような荒々しさはない。

この右手、つまり東側に見えるはずの高隈連山は、港近くまで迫っている小高い丘に阻まれて山頂部がわずかに見えるだけなので、ここから花岡地区に上がってみた。古江郵便局の向かい側から登り道に入っていく。

2キロほどあるだろうか、くねくねと続く登り道だが、舗装はされているので難しくはない。ただ、狭隘な道だから対向車があった際は行き違うのに苦労するに違いない。幸い下って来る車はなかった。

花岡に上がり、国道220号の花岡バイパスに出ると、見えた見えた。

先ほど霧島が丘から見たより北寄りの斜面なので、雪の積もり方が多いようだ。やっとアルペン的な光景に出会えた。

右が御岳で左の三角錐が妻岳だ。尖っているのに妻岳とはちょっと不可解なネーミングだが。

そのさらに左手に並んで見えるのが、垂水市に属する平岳と横岳である。
わずか1100mの山々だが、実に雄大に見える。雪も深いのだろう、山頂付近からの谷筋が真っ白である。

今日もかなり冷え込んだが平地で霜が降るほどではなかった。だが、1000m地帯はこの先立春過ぎまでは冷たい「根雪」になるかもしれない。

ローマは一日ではならず

2025-01-26 05:05:26 | 日記
「コーマは一日にしてならず」(巨大帝国ローマは一日で出来上がったのではない)が本当の成句だが、このローマを「ウクライナ停戦」に読み替えると、アメリカ新大統領のトランプが「わたしが大統領になったら24時間で終わらせる」と豪語していたことへの揶揄になる。

この豪語は大統領選挙の真最中にしばしば口から出ていたのだが、ところがトランプにとって想定外なことが起きている。

それは北朝鮮兵の参戦である。

去年の12月から始まった北朝鮮兵のロシアへの入国と西部戦線への投入は、もちろんロシアのプーチンと北朝鮮の金正恩との間で交わされた合意に基づくものだが、新聞報道などによると、北朝鮮兵の参戦(及び弾薬の提供)を取引材料として金正恩側が経済援助と軍事技術の近代化(ドローン攻撃への対処法など)を目論んだのではないかという見方が多い。

プーチン側としてもこの2月で3年になるウクライナ侵攻が泥沼化し、多くのロシア兵を犠牲にしているので、「背に腹は換えられない」ということわざ通り、取引に応じたのだろう。

それにしてもこのウクライナ戦争、局地的な戦争として3年という期間は長過ぎる。

プーチンは最初ウクライナ周辺での「大規模軍事演習」というペテン的な触れ込みで始めた侵攻によって、当時まだ大統領になって1年か2年目で喜劇俳優上がりのゼレンスキー大統領など今度のシリア大統領アサドが亡命したように、すぐに国外逃亡するだろうと読んでいたのだろうが、あに計らんやであった。

それこそ「ウクライナなど一日でお手上げにする」はずだったのが、全くの裏目に出てしまったわけだ。

「民主的な選挙」によって選ばれたゼレンスキ―大統領は、それまで政治経験も行政経験も司法経験も経たことはない。この意味では1期目のトランプ大統領に似ている。

われわれ日本人の多くも1期目のトランプを甘く見ていたように、ロシアのプーチンもゼレンスキ―を見下していたのだろう。

ゼレンスキ―自身の亡命か、内乱による国外逃亡か、どちらにしてもゼレンスキ―政権など「フェイクだ」くらいに見ていたのではないか。

それが何と3年も続いている。仮にもしロシアがゼレンスキ―大統領に直接手を下そうものなら世界の民主勢力は黙っていないだろうし、ロシア国内の反プーチン派ものろしの火を上げるだろう。

あの戦争請負屋のプリゴジンや反プーチン派の巨頭だったナワリヌイ氏は抹殺されてしまった。だからこそさらに反プーチン派の火種はくすぶり続けているはずである。

ロシアの次の大統領選挙がいつなのかは知らないが、前回は明らかにプーチン政権による選挙干渉が行われていた。しかしそのことを含めてロシア国内での反プーチン派は多数派になりつつあるのではと期待する。

しかし「戦時中なので、選挙は行わない。戦時内閣は超法規的な存在だから」などという理由で民主的な選挙を行わないとなれば、反プーチン勢力はプーチン降ろしへの実力行使に出るかもしれない。

そのことは憶測にすぎないが、火種が常にくすぶっているのは事実だろう。

さてアメリカ大統領のトランプは「ウクライナ戦争など24時間のうちに終わらせて見せる」ことがおそらくプーチンの拒否によって現実味が無くなったらしく、今度は、

「石油の価格を下げるようアラブ諸国に圧力を掛けることにする。そうすれば石油等の資源で潤っているプーチン政権への大きな制裁になり、戦争遂行能力にダメージを与える」

と言い始めた。

あの「大見え」の割には、何と迂遠なことか。

その一方で、イスラエルのガザ戦争は、トランプの大統領就任式の2日前に「停戦合意」を見ている。これは親イスラエルであるトランプが「無駄な人殺しは止めよ」と就任前に叫んでいたのが功を奏したようだ。

衰退しつつあるとはいえ現在なお最大の経済国家、最大の軍事国家であるアメリカのトップの動向は大きいものがある。新大統領トランプの「アメリカファースト」政策の功罪やいかに。






「またトラ」が現実のものに(2025.01.22)

2025-01-22 09:19:20 | 日記
あのドナルド・トランプがアメリカの47代大統領に就任した。

就任式は通常、連邦議事堂の外の会場で行われるのだが、今回は議事堂内部の大広間で行われた(丸い屋根の真下に当たるらしい)。

寒さのために屋外を避けて屋内にしたと言われているが、8年前の新任の時も同じ時期であれば寒さは同じ様に厳しかったはずだが、そうしなかったのは「警備上の都合だろう」と言う向きがあり、「暗殺を恐れたから」という物騒な解釈もある。

まあそれはそれとして、就任式のハイライトである「宣誓式」で、トランプは先例を破ったようだ。(もしかしたら無視したのかもしれないが、)宣誓の際に掲げた右手の反対の左手は聖書の上に置くのが通例なのだが、トランプはそうしなかった。

その聖書を両手で抱え持っていたのはメラニア夫人だったのだから、うっかり忘れるなんてことは有り得ない。故意に手を載せなかったに違いない。

しかし彼は無神論者ではないようで、大統領選で演説している時に銃で撃たれたが、銃声の方を振り向いた瞬間に右耳を銃弾がかすめただけで済んだことを引き合いに出して「自分が死ななかったのは神の思し召しだ」と就任演説で触れていたことからも明らかだろう。

彼の神がどんな神なのか明確ではないが、少なくとも「八百万の神」でないことは確かだ。

この議事堂内で行われた就任式では正式に招かれたのは世界の要人(主として各国の駐米大使)のようだが、その他に一般人にも開放されていたという。

ところが招待客ではない一般人は金を払うようになっていて、その額は日本円で550万円以上だったと聞く。

国の最高・最大の式典なのだから公費で行われるはずである。それが、参列するだけで550万円以上というのは一体どういうことか。

参列者の中には実業家のイーロン・マスクも当然入っているが、彼ら超富裕層は就任祝いに100万ドル(1億5千万円)とかを寄付したらしく、それから見れば取るに足らない金額だが、とにかく何をするにしても金まみれの国柄だということが明示された。

今度生まれる新しい政府閣僚の中にイーロン・マスクが「省力効率化省」とかいう聞きなれない新設省の大臣に確定しているらしいが、この就任式も公費、つまり政府の予算(税金)を使わずに、民間(個人)の資金で賄おうという彼の「初仕事」なのかもしれない。

そもそもイーロン・マスクがトランプに嫌われていたにもかかわらず、接近してうまく取り入ったのも個人の資金(寄付金)で、その額は数億ドルと言われている。

トランプは政策として民主党政権が推し進めた「電気自動車推進」には反対であった。例の「ラストベルト地帯」で世界をリードして来た自動車産業が日本を含む性能の良い小型自動車に押されて斜陽化して来たのが歯がゆくてしようがないのだ。

さらに電気自動車製造といえば今や中国が世界の中心になり、アメリカ自動車産業は青息吐息の状態で、電動式モーターに欠かせないリチウムというレアメタル生産も中国の独壇場になっている。

そんな中国に生産拠点を設けて安価な電気自動車で一儲けしたのがイーロン・マスクなのだ。トランプは最初目の敵にしていたはずだが、さすがに数億ドルの献金という金額に目がくらみ、今や昵懇の間柄になっている。

何ともえげつない話だ。日本でこんなことが起きたら、間違いなく「ワイロだ。受託収賄だ。政治を金で買った(売った)」とメディアでは連日大騒動になる。

「個人の自由な意思で寄付される金は金、政策は政策」と二重基準が平気でまかり通るのがアメリカなのだろう。

専制(強制)的でない限り、「自由な意思」であれば何をやってもOK。ただ、たとえ自由な意思と言えども拳銃をぶっ放したら、対価として撃ち殺されても文句は言えない警察国家アメリカ。

トランプの唱える「アメリカファースト」という言葉は台頭する中国へのリベンジの色合いに染まっている。

カナダをアメリカの一州にすると言い、グリーンランドをデンマークから買い取ると言い、パナマ運河の管轄権をパナマから取り戻すと言い、「パリ協定などクソくらえで、国内に埋蔵されている石油を掘って掘って掘りまくれ」と言っているが、どれも中国の進出を見越しての恫喝だろう。

もうすでに中国の進出を許してしまった事業がある。それはスマホのアプリ「ティック・トック」で、アメリカでは若者を中心に1億7千万人が利用しているという。何と人口の半分である。

このような情報産業からアメリカの個人情報や何かを向こうに筒抜けになっている、というのがトランプのティック・トック禁止策だったが、ティック・トックを通じて若者の支持者が増えたというから、何とも痛し痒しだ。

結果、撤退の期間を猶予したり、さらにはアメリカの資本を半分以上確保すれば新規の事業を認めるという風に変わって来ている。これなんかは昔中国で日本企業などが合弁事業化した際の中国の言い分そのものではないか。

とにかくどう出るか、どう転ぶか分からないトランプ新政権始まった。

日本への直接の言及はなかったが、当面は対中国への牽制活動に駆り出されるだろう。

「飛鳥」を「あすか」と呼ぶワケ

2025-01-20 17:15:31 | 古代史逍遥
先日の1月8日付ブログ「昨日・今日・明日」では、昨日は「きのふ」、今日は「けふ」というように歴史的仮名遣いでは「ふ」が共通で、「ふ」は「経(ふ)」の意味から来るのだろう――とした。

しかしそうなると、昨日はたしかに時間が「経て」いるので、「ふ(経)」が該当するが、今日はまさに今の時点なのだから「ふ(経)」だと矛盾するので、お手上げだという風に書いた。

ところが難しい論議になるが、「今」というのは「今この瞬間」ならたしかに「今」だが、時間(この瞬間)はすぐに経って行き、あっという間に過ぎて行くと考えれば、「直ちに経て行く」のだから「今日」という一日も「過ぎつつある時間の集合」ということになる。

したがってこの観点から見ると今日が「けふ」と「ふ(経)」が使われてもあながち間違いとは言えないのではないだろうか。

まあしかしこの論議は屁理屈と言われても仕方がないかもしれない。

その一方で「明日」だが、「あす・あした」には「明ける」の「あ」が使われており、「あくるひ」から「あす・あした」に転訛して行った可能性は高いように思われる。

ところで万葉集で「明日」はほぼ「飛鳥(とぶとり)の明日香」という使い方がなされている。「飛鳥(とぶとり)」は「明日香(地方)」の枕詞であり、ここから「飛鳥(とぶとり)」は「あすか」と同訓であるとしてよい。

類推すると「明日香」の「明日」が「あす」と読まれ、また同時に「飛鳥」が万葉集編纂時(760年代)のはるか昔から、おそらく文字通り「飛鳥時代」(ほぼ西暦600年代)から「あすか」と呼ばれて来たのは間違いないだろう。

「飛鳥」も「明日香」も「あすか」という訓なのは以上で明らかになったが、そもそも「あすか」とはどういう意味なのだろうか?

「あすか」という和語には漢字で表される「飛ぶ鳥」の意味も「明日香る」の意味もない。強いて言えば「明日香」の方が「あすか」と読ませるのに役立っており、これはこれで意義がある。

しかしそれはあくまでも訓読みに関して役に立っているに過ぎず、肝心の和語の「あすか」の意味まで表してはいない。

最も「あすか」の意義に近いと思われる解釈は「あ・すか」と分けて「あ洲処」という漢字を当てはめた解釈だろうか。

「洲(す)」とは川の浅瀬で、水の流れに抵抗して水面に現れた砂州であるという。そして「か」は「在処(ありか)」の「か」で「処(ところ・場所)」と考え、両方併せて「すか」は「砂州の所」であり、飛鳥地方の成り立ちが飛鳥川による「砂州状の場所」だったからとしている(仮に「砂州説」としておく)。

また砂州説では「あ」は接頭語であると解釈している。「あ」が接頭語というのには首をひねるが、どうも便宜的過ぎて腑に落ちない。

私の解釈は「あすか」を丸ごと解釈するもので、「あ」は漢字の「安」で、安全の「安」、安らかの「安」という意味。

次の「す」は「住む」の「住」、そして最後の「か」は上の砂州説でも触れたように「ところ・場所」と考えている。

総合して解釈すると「あすか」とは「安全に住むことのできる場所」ということになる。

飛鳥地方の北西に隣接する藤原京は持統天皇時代に唐王朝の長安を模して造営された倭人(日本人)による純粋な人工都市であるが、それ以前にあった飛鳥の場合、倭人のみならず朝鮮半島や大陸から渡来し、あるいは招聘した様々な人々が居着いた場所である。

倭人はもとよりそのような様々な出自の人々が混然一体となって安んじて住んだところが飛鳥(明日香=安住処)だった。

「あすか(飛鳥)」の和語(和訓)の意味はそこに求められると思う。