鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

久し振りの日光浴(2025.01.18)

2025-01-18 13:03:38 | おおすみの風景
今朝はかなり寒く、新年に入ってから10回目の降霜だった。

新年にこれほど霜が降りたのは、21年前にここ鹿屋に引っ越してきてからおそらく初めてだ。

特に驚いたのが三が日で、新年早々わずか三日のうちに2度も霜が降りた。

たいてい三が日は穏やかで暖かい日が多かったと記憶しているのだが、今年は違った。

霜の降りなかった1月2日も気温は零度近くまで下がっており、こんなことは鹿屋に引っ越してきてから21年経つが、これまでなかったのではないかと思う。

もちろん関東以北では冬は雪や霜に閉ざされた地域が多いのだろうが、降雪や霜の少ない西日本の太平洋岸に属する鹿屋では、真冬と言えども霜が降りるのは一週間に一度程度である。

まして雪や氷が身近に存在することはなく、あったとしても12月の下旬から明くる2月の中旬までの短い冬に雪は2回程度、氷(水道の氷結を含む)もその程度なのだ。

ところが今年は違った。12月9日に最初の霜が降りてから、今日で16回も降っている。40日で16回だから、2.5日に1回のペースである。2月中旬までの冬のシーズンにあと何回霜が降りるか、毎日が新記録の更新だ。

ただ雪や氷は霜がよく降る割には少なく、雪は平地ではゼロ、氷は1週間ほど前に一度池に薄い氷が張っただけである。

今朝の寒さからは想像できなかった今日の昼間、風は全くの無風、やや雲が多く日差しはその合間に現れる程度だったが、気温はかなり上がり、1時頃の玄関先の気温は14℃もあった。

そこで久し振りに菜園の草取りを行った。冬の草取りは楽で、草と言っても根のはびこった草はなく、簡単に引っこ抜ける草ばかりなのである。

1時間ばかりで終わったので、3本鍬で耕し、そこに有機石灰を撒いてもう1度耕し鋤き込んでおいた。

やれやれと思い道具をかたずけて納屋に持って行こうとしたら、ベランダの下の木製の階段にモモが寝そべっていた。

陽だまりとはいえ、日中でも風が強く寒い日が多かったので、モモは庭に出てもすぐに帰ってくることが多かった。

今日は久し振りの日光浴だ。

そばにウメがいたこともモモを安心させたのかもしれない。

ウメは今日、家の中に入れてから初めて外に連れ出してつないだのだが、やはり外暮らしの時の定番の昼寝の位置に身を横たえていた。

先月の12月22日に具合の悪かったウメを外から家の中に入れて看病方々約1か月、今日初めて外につないだのだが、これまで何事もなかったかのように日の当たる場所で昼寝をしている姿を見るにつけ、良かったなと思う。

ただ、夜は寒いこともあり、家の中に入れることにする。

2月の立春の頃まではお座敷犬だろうよ、ウメ。


翔んでる高齢者!!

2025-01-13 20:31:25 | 日記
一月は所属するシルバー人材センターの仕事で、かつて大隅半島を走っていた国鉄大隅線が廃止になったことを記念して(?)作られた「鹿屋市鉄道記念館」に勤務する月なのだが、今日はこれまでに遭遇したことのないような高齢者(男性)が午前中に2名も訪れた。

どちらも定年退職後に日本国中を車中泊のできるバン型タイプの車に乗って回っているというのだ。

遠くから来ると言っても今年4月から勤務している中では、関東や中部・関西・福岡などからの自家用車か飛行機か鉄道かは様々だが、たいていは五月連休や夏の盆休みに鹿屋にやって来て序でに記念館を見ておくというパターンがほとんどだ。

特に多いのがやはり帰省子で、夫の実家か妻の実家かの違いはあるが、その範疇の県外からの訪問者が多い。

その他には鉄道マニアで、特に廃線の後をわざわざ遠方から訪ねてくる奇特なタイプも少なからずいる。

ところが今日やって来た二人の人物はそれらとは一線を画している。

まず本人の経歴においてはこの鹿屋との関係は一切ないし、とくに鉄道マニアというわけではない。

もっとも9時に開館して間もなく来館した最初の人物は69歳、埼玉県在住だが元私鉄の運転手だったそうである。

だから大隅線は国有鉄道だったということもあり、それが廃線になったということに特に感慨はないようだ。なにしろ首都圏でも有数の私鉄勤務だったから、「廃止」などは考える事すらできないのだろう。

その人が私鉄を少し早めに退職したあと、年金世代になってからは自動車で国内を旅して回る楽しみを覚え、車中泊のできる軽ワゴンの中に大きなバッテリーを積んで宿泊時の調理から暖房まで賄いつつ旅をしているという。

今度の旅は、正月元旦の夜中に埼玉の家を出発し、途中でご来光を拝みつつ南を目指したのだそうだ。

「女房には初日の出を見に行ってくると言い残したまま、どこに行くとも告げずに出発した」という。「奥さんや家族が心配しているでしょう」と向けると、「全然・・・。かえって家族間の距離があった方が楽」と意に介していない。

話の節々からは仲の悪い夫婦・家族関係ではないようだ。時々離れた方が気晴らしになるそうだ。

――いつ帰るんですか?

「家では家庭菜園をしていて、3月には種蒔きやらが始まるので、その頃までには帰りますよ」といたってのん気である。

無事に帰って下さいよと送り出したが、その10分か15分後に来館した人がまた似たような人で、この人は車中泊のできる結構大きな普通車に乗っていた。

「北海道から海を二つ渡って来た」と言うので、「津軽海峡と関門海峡ですな」と応じるとそれから話が弾んだ。

ーーいつ向こうを出たんですか?

「9月28日だったかな。もう2か月半になりますよ」

これを聞いて呆気に取られていると、

「いやあ、雪と氷が嫌いなんでね」と本音とも冗談ともつかないような答。

鹿児島は3回目だそうで、薩摩半島側の指宿温泉や日置市の湯之元温泉などの情報にとても詳しいのには驚かされた。

たしかに冬の北海道の雪害のきびしさからすれば、こっちは天国だろう。

生い立ちまで語ってくれたが、北海道は室蘭の出身だそうで、両親は戦前は樺太に赴任していて結構裕福だったそうだが、敗戦とともに落ち延びて室蘭の引揚者住宅に入ってから、本人は生まれたそうだ。

小さいころ、磁石の付いた棒か紐を引っ張り回して鉄屑を集めていたというから、その窮乏生活が偲ばれる。

奥さんは10年くらい前に亡くなり、子どもは二人の男の子がいるのだが、余りうまく行ってないようだ。

――北海道にはいつまでに帰るんですかね。

「雪の心配がなくなる4月から先、たぶん5月ですよ」

――そうですか、とにかく道中気を付けて。

二人とも年金生活者で、車の維持費とガソリン代と食費はまかなえているようだ。ある意味、結構なお気楽生活と言えるだろう。

しかし何にしても事故や病気・怪我をしたら危うい。

とにかく二人の無事な旅路を願うばかりだ。




高隈山の初冠雪(2025.01.10)

2025-01-10 09:29:11 | おおすみの風景
昨夜のニュースでは「この冬第一級の寒波がやってくる」一色で、たしかにきのうの午後3時半頃にウメを散歩に連れ出した際には、冷たい北西の風に交じってみぞれが顔を打った。

今朝はおそらく霜はもちろんのこと、ひょっとしたら雪が積もっているのではと6時過ぎに玄関口のポストの新聞を取りに行った時、庭を見回したが雪らしきは見えず、そのあと明るくなってから向こうの畑地帯を眺めたが、霜さえ降っていなかった。

ちょっと拍子抜けの態だ。だが寒いことは寒く、氷点下だったことは間違いないのだが・・・。

その代わりもしかして高隈山に冠雪はあるのでは、と思い、表通りの歩道のある県道沿いに設置されているゴミステーションに、燃やせるごみを自転車で出しに行ったら、案の定、高隈山の山頂部に白い物がかすかに見える。

車で通り過ぎたら多分確認できないくらいの少しばかりの雪である。

家に取って返し、デジカメを手に今度は車で、県道の向こう(北側)に広がる畑地帯に行ってみた。

すると間違いなく淡い雪らしきものが、高隈山の主峰ではないが鹿屋市内からよく見える御岳(おんたけ=1182m)の山頂部から幾筋かの谷間に見え隠れしている。

高隈山の南側からの全容。中央右寄りのピークが御岳(1182m)、その左手のとがったピークは妻岳といい1152m、そしてさらに左側には二こぶの二子岳、もっと西にあるのが、平岳と横岳で、この二峰は垂水市に属するのだが、いずれのピークも1000mと1100mの間にある。

高隈山は古来修験道の山として知られ、御岳の山麓には「瀬戸山神社」があり、そのすぐ下にはかつて「五代寺」という神宮寺の一種があったが、明治初年の廃仏毀釈で廃れている。

この瀬戸山神社のそばを流れる川は、秡(はらい)川と呼ばれ、修験者が山入りの際にはこの川で水垢離をし、心身を清めたようだ。

また、垂水市に属する横岳の中腹には800mほどの白山というピークがあり、そこに鎮座する白山神社は島津氏以前に垂水郷を治めていた伊地知氏の出身地(福井県の井筒城)からの勧請と言われており、現在も4月に「女男河原祭り」(おんだんこらまつり=御田の河原祭り)が催されるが、これは白山神社に因むという。


一月のうちに平地でも雪になるような日があれば、高隈山も半分以上が雪に覆われる。

手前の広い畑では大根を植えているようだが、果たしてこの寒さで、成長が止まらないものか。

まして雪を被ったらどうなるのか。この時期は秋蒔きのダイコンの収穫が終わり、春4月のサツマイモを植え付ける栽培暦に備えて、トラクターで深く耕し、堆肥などを散布するのが普通なのだが・・・。

よかったな、ウメ(ウメの異変・解決篇)

2025-01-09 19:00:18 | 日記
年明けの3日くらいから徐々に食べ始めたウメ。

一昨日(7日)から散歩を再開してみた。

すると草むらを嗅ぎ分けて、たぶん自分が以前にしていた場所を見つけるのだろう、そこにしっこをして回る。

しっこを4回、うんこを1回と、以前の平均的な排泄ペースに戻っていた。(※うんこについては「うんこキャッチャー(仮称)」で受け止めるのだが、さすがに食事の量が戻っていないため少量である。)

何にしても嬉しい限りだ。ウメもそうだろう。

今日は久し振りに風呂に入れて体を洗った。ウメの前に飼っていたBタローより聞き分けがよく、最後まで同じポーズでじっとしているので楽ちんだ。

入浴後はからだをバスタオルで拭いてやるが、乾くまではなかなか時間がかかる。

拭いてやったらおなかがすいたのか、自分の所に来ておねだりだ。

これまでは大袋に入ったペットフードで、食いつきが悪かったのだが、正月明け以来、ドギーマンとかいう会社のおやつフードをあげていたらこれにハマったらしく、練り餌に変えて食べやすくしたのだが、それ以上にそっちが好物になってしまった。
ウメの真剣な顔が逆に可愛らしい。

でもウメよ、もう正常に戻ったのだから、これまで通りのウメでいておくれ。

これから昼間は大好きな散歩に連れて行くからな。

寒さの続くしばらくは、「お座敷犬」でいていいとも。



昨日・今日・明日

2025-01-08 18:32:53 | 日記
「ゆく年くる年」がNHKの大晦日の定番番組だが、時の流れのうち、昨日(きのう)・今日(きょう)・明日(あす・あした)は日常もっとも使われる用語である。

ところがこの「きのう・きょう・あした」という和語の語源がよく分かっていない。

漢字の「昨日」は「サクジツ」と読み、「昨」は「日を重ねる」という意味なので、「重ねられた日」で今日が重なった日、つまり前日を表している。

また「今日」は「コンニチ」と読み、これは文字通り「今の日」であるから今日のことである。

そして「明日」は「ミョウニチ」と読み、「明けた日」であるから明日のことに間違いはない。

また時系列を表す言葉に「過去・現在・未来」があり、これは漢字の意味から直ちに了解される。

この過去・現在・未来は和語でも「過ぎ去りし時」「現(うつつ)に在る時」「いまだ来ざる時」と表せる。

ところがである。「きのう」も「きょう」も「あす(あした)」も和語の語源がよく分からないのだ。

なぜ「昨日」が「きのう」なのか。なぜ「今日」が「きょう}なのか。なぜ「明日」が「あした(あす)」なのか。

「きのう」「きょう」に共通する「き」は「来る」の「来」に関連するのか。また「あす(あした)」の「あ」は「明ける・開ける」の「あ」に関連するのか。

「きのう」を古語では「きのふ」と表し、「きょう」を古語では「けふ」と書く。共通しているのは「ふ」である。

「ふ」は「経(る)」の漢字が当てられるとき「過ぎる」の意味を持つ。

そう考えると「きのふ」は実は「とき(時)のふ」の「と」の脱落で、「時が過ぎた」という意味になるから「きのふ(昨日)」は「時が過ぎた日」となり、昨日が「きのふ(う)」と古語で言われた可能性があったのかもしれない。

しかしそうなると「今日」の「けふ」は「ふ」が「経(ふ)る」であるならば、いま現在ではなくもう過ぎ去った日となり、「きのう(ふ)」と「きょう(けふ)」は同義となるという矛盾を孕む。

むむ、難しいなア。

「明日」の「あした・あす」はどうか?

和語の「あ」は「明ける・開く」の「あ」の意義で、「明日」は漢字からも「明くる日」だから、こちらは音訓ともに近似値と言えるのではないか。

だが、問題は「きのう」「きょう」の方だ。

日常もっとも使われている「きのう・きょう」の語源がさっぱり分からないとあっては困ったもんだ。「チコちゃんに叱られ」ても仕方がないだろう。

「チコちゃん」ならどう解決するだろうか。