『 まばゆい光のカケラたち 』
レオ
玲央は小学六年生。幼い頃から、玲央には幽霊が見えました。
でも、仲間はずれになるのが嫌で、誰にもそのことを話せずにいました。
ある日の学校からの帰り道、一緒に信号待ちをしていた友達が、横断歩道の向こう側に
目くばせしながら、玲央に耳打ちをしてきました。
「気味の悪いお婆さんだよな」
それは、玲央もよく見かける老婆でした。ただ、その光景が人目を引くのは、老婆がいつ
も薄汚れた人形を抱いているからでした。
玲央が「あ!」と声を上げました。老婆の隣をついて歩く、幼い女の子の姿を見たのです。
ぼうっと輝くその女の子が幽霊だと、玲央にはすぐに分かりました。
次の瞬間、女の子は玲央のほうを振り向き、やがて霧のように消えてしまいました。
数日後の夕方、母親の使いで買い物に出かけた玲央は、帰り道、公園のベンチに腰かけ
るあの老婆の姿を見かけました。今日も人形を抱いています。隣には白い光がぼんやりと
見えていました。
玲央は公園に入っていきました。あの輝く女の子のことが、気になってしかたなかったので
す。
「こんばんは、お婆さん」
突然声をかけられた老婆は、夢から引き戻されたように、はっと顏を上げました。
「隣に座ってもいいですか?」
「ああ、いいよ」
老婆が優しく微笑むと、玲央は女の子がいるのとは反対側に腰を下ろしました。
「その人形、お婆さんの大事なもの?」
近くで見ると、焼け焦げたような跡の残る、赤い帽子とワンピースの古びた人形でした。
「私が怖くないのかい? こんなふうに話しかけてくれたのは、坊やが初めてだよ」
「ううん、怖くなんかないよ」
屈託のないその笑顔に応えるように、老婆はぽつりぽつりと玲央に話しはじめました。
「この人形はね、昔、死んだ娘が大事にしていたものなんだよ」
太平洋戦争の末期、空襲を避けて防空壕へと向かう途中、人込みに揉まれて負ぶい紐が
解け、二歳だった老婆の娘は側溝に落ちてしまいました。
でもその時、老婆の心にふと魔が差したのです。どうせこの子は栄養失調で助からない。
ならば、このまま空襲のせいで死んだほうが、自分の心も少しは救われるかもしれないと。
そして人の波に押されるままに、老婆は娘をそこに置き去りにしてしまったのです。
次の日、その場所に戻った老婆は、真っ黒に焼け焦げた娘の亡骸と、寄り添うように転が
る人形を目にし、呆然と座り込んだのでした。
「死ぬほど後悔したよ。何があっても、見捨ててはいけなかったんだって。あと少し耐えてい
れば、戦争も終わって、あの子も助けてやれたかもしれないのに……」
老婆の目から涙があふれ出しました。
その時、女の子の姿が輝きを放ち、ふわりと玲央の前に移動したのです。
玲央は、自分に何かを伝えようとする女の子の声を、必死に感じ取ろうとしました。
そんな玲央の表情が、はっと変わりました。
「違うよ、お婆さん。チヨちゃんはね、お母さんの背中で死んだって言ってるよ」
「いったい何を言ってるんだい、坊や?」
怪訝そうに訊ねる老婆に、玲央は続けて言いました。
「ぼく、幽霊が見えるんだ。だからね、お母さんのせいじゃないよって伝えてほしいって」
「本当に……本当にチヨがここにいるのかい?」
驚いてあたりを見回す老婆に、女の子は一生懸命に光で呼びかけています。
「それじゃあ、あの空襲の時、チヨはもう……」
初めて知る真実に、老婆の心は震えました。
「あの子はどれほど私を恨んで死んでいっただろうと、愚かな自分を悔やまない日はなかっ
たんだよ」
「『お母さんが最後にくれた砂糖水が、とってもおいしかった』。チヨちゃん、そう言ってるよ」
「許してくれるのかい? 母さんを……」
老婆は人形を握りしめて泣き崩れました。
光の中から女の子の両手が伸びました。玲央は老婆の右手を取って、二人の手のひらを
重ね合わせました。
「ほら、いま手をつないでるよ」
「チヨ、チヨ……。ごめんね……」
『わらって、おかあちゃん』
その声が聞こえたのか、老婆は光に向かって満面の笑みを浮かべました。
嬉しそうに笑った女の子は、まばゆい光で老婆を包み込み、やがて無数の小さな光となっ
て消えていきました。
一週間後、老婆は眠るように息を引き取りました。棺には娘の形見の人形も入れられまし
た。
葬儀場の前に玲央の姿がありました。あの日以来、老婆の姿は見ていません。でも、幸せ
な一週間だったはずだと、玲央には確信できたのです。
葬儀場の屋根から白い光が浮かび上がりました。光の中に老婆の穏やかな笑顔が見えま
した。
「娘に会いに行くよ。ありがとうね、坊や」
「さようなら、お婆さん」
玲央は、光が吸い込まれていった雲の切れ間を、しばらくのあいだ見つめていました。
中学生になり、玲央の霊感は消えました。でも、嫌でたまらなかったあの力が、今はとても
誇らしく思えるのです。目に見えない世界には、死んでいったたくさんの人たちの、愛する思
いのカケラが散らばっていることを知ったのですから。
老婆と出会ったあのベンチに腰を下ろし、玲央は空の彼方と心の中で会話しました。
──ぼくは、今までよりもっと、人を好きになれそうな気がするよ。
了
(2013.3.17改訂)
******************************************
今回も番外編。初めて書いた童話(っぽいもの)。某コンテストに応募して、ご多分に漏れず落選となった作品です。
「人形を抱いたお婆さん」という設定は、実際に聞いた話を元にしました。
レオ
玲央は小学六年生。幼い頃から、玲央には幽霊が見えました。
でも、仲間はずれになるのが嫌で、誰にもそのことを話せずにいました。
ある日の学校からの帰り道、一緒に信号待ちをしていた友達が、横断歩道の向こう側に
目くばせしながら、玲央に耳打ちをしてきました。
「気味の悪いお婆さんだよな」
それは、玲央もよく見かける老婆でした。ただ、その光景が人目を引くのは、老婆がいつ
も薄汚れた人形を抱いているからでした。
玲央が「あ!」と声を上げました。老婆の隣をついて歩く、幼い女の子の姿を見たのです。
ぼうっと輝くその女の子が幽霊だと、玲央にはすぐに分かりました。
次の瞬間、女の子は玲央のほうを振り向き、やがて霧のように消えてしまいました。
数日後の夕方、母親の使いで買い物に出かけた玲央は、帰り道、公園のベンチに腰かけ
るあの老婆の姿を見かけました。今日も人形を抱いています。隣には白い光がぼんやりと
見えていました。
玲央は公園に入っていきました。あの輝く女の子のことが、気になってしかたなかったので
す。
「こんばんは、お婆さん」
突然声をかけられた老婆は、夢から引き戻されたように、はっと顏を上げました。
「隣に座ってもいいですか?」
「ああ、いいよ」
老婆が優しく微笑むと、玲央は女の子がいるのとは反対側に腰を下ろしました。
「その人形、お婆さんの大事なもの?」
近くで見ると、焼け焦げたような跡の残る、赤い帽子とワンピースの古びた人形でした。
「私が怖くないのかい? こんなふうに話しかけてくれたのは、坊やが初めてだよ」
「ううん、怖くなんかないよ」
屈託のないその笑顔に応えるように、老婆はぽつりぽつりと玲央に話しはじめました。
「この人形はね、昔、死んだ娘が大事にしていたものなんだよ」
太平洋戦争の末期、空襲を避けて防空壕へと向かう途中、人込みに揉まれて負ぶい紐が
解け、二歳だった老婆の娘は側溝に落ちてしまいました。
でもその時、老婆の心にふと魔が差したのです。どうせこの子は栄養失調で助からない。
ならば、このまま空襲のせいで死んだほうが、自分の心も少しは救われるかもしれないと。
そして人の波に押されるままに、老婆は娘をそこに置き去りにしてしまったのです。
次の日、その場所に戻った老婆は、真っ黒に焼け焦げた娘の亡骸と、寄り添うように転が
る人形を目にし、呆然と座り込んだのでした。
「死ぬほど後悔したよ。何があっても、見捨ててはいけなかったんだって。あと少し耐えてい
れば、戦争も終わって、あの子も助けてやれたかもしれないのに……」
老婆の目から涙があふれ出しました。
その時、女の子の姿が輝きを放ち、ふわりと玲央の前に移動したのです。
玲央は、自分に何かを伝えようとする女の子の声を、必死に感じ取ろうとしました。
そんな玲央の表情が、はっと変わりました。
「違うよ、お婆さん。チヨちゃんはね、お母さんの背中で死んだって言ってるよ」
「いったい何を言ってるんだい、坊や?」
怪訝そうに訊ねる老婆に、玲央は続けて言いました。
「ぼく、幽霊が見えるんだ。だからね、お母さんのせいじゃないよって伝えてほしいって」
「本当に……本当にチヨがここにいるのかい?」
驚いてあたりを見回す老婆に、女の子は一生懸命に光で呼びかけています。
「それじゃあ、あの空襲の時、チヨはもう……」
初めて知る真実に、老婆の心は震えました。
「あの子はどれほど私を恨んで死んでいっただろうと、愚かな自分を悔やまない日はなかっ
たんだよ」
「『お母さんが最後にくれた砂糖水が、とってもおいしかった』。チヨちゃん、そう言ってるよ」
「許してくれるのかい? 母さんを……」
老婆は人形を握りしめて泣き崩れました。
光の中から女の子の両手が伸びました。玲央は老婆の右手を取って、二人の手のひらを
重ね合わせました。
「ほら、いま手をつないでるよ」
「チヨ、チヨ……。ごめんね……」
『わらって、おかあちゃん』
その声が聞こえたのか、老婆は光に向かって満面の笑みを浮かべました。
嬉しそうに笑った女の子は、まばゆい光で老婆を包み込み、やがて無数の小さな光となっ
て消えていきました。
一週間後、老婆は眠るように息を引き取りました。棺には娘の形見の人形も入れられまし
た。
葬儀場の前に玲央の姿がありました。あの日以来、老婆の姿は見ていません。でも、幸せ
な一週間だったはずだと、玲央には確信できたのです。
葬儀場の屋根から白い光が浮かび上がりました。光の中に老婆の穏やかな笑顔が見えま
した。
「娘に会いに行くよ。ありがとうね、坊や」
「さようなら、お婆さん」
玲央は、光が吸い込まれていった雲の切れ間を、しばらくのあいだ見つめていました。
中学生になり、玲央の霊感は消えました。でも、嫌でたまらなかったあの力が、今はとても
誇らしく思えるのです。目に見えない世界には、死んでいったたくさんの人たちの、愛する思
いのカケラが散らばっていることを知ったのですから。
老婆と出会ったあのベンチに腰を下ろし、玲央は空の彼方と心の中で会話しました。
──ぼくは、今までよりもっと、人を好きになれそうな気がするよ。
了
(2013.3.17改訂)
******************************************
今回も番外編。初めて書いた童話(っぽいもの)。某コンテストに応募して、ご多分に漏れず落選となった作品です。
「人形を抱いたお婆さん」という設定は、実際に聞いた話を元にしました。