★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

「死んだらおしまい」っておかしくない???

2010-09-26 17:42:44 | 勘違いしてましたシリーズ!
自己防衛って動物的本能だから仕方ないって思っていました 

でもよく考えると
動物は自己防衛しますが、自己犠牲もします。
動物も自分の子どもを守ったり、仲間を守ったりします。
犬はいざと言うとき、自分を犠牲にして飼い主を守ったりします 

最後の最後まで自分を防御するのに必死になるのは人間かもしれない…

  こんな声が聞こえてきます 
  「人間は考える頭脳があるから最後まで自分の身を守る方法を考えるけど
  動物は考える頭脳がないから。」

そう。
人間は余計なことを頭で考えすぎる…
自分の身を守ることばっかり。

  「自分の身を守って当然何じゃないの?」

確かに自分の身を守ることは大事。
けど、自分が助かれば人はどうでもいいの?
自分さえ助かれば周りはどうなってもいいの?

「ん・・・でも自分が死んじゃったらそれでおしまいだから。」

死んだらおしまい?
そう考えるとなんとしてでも自分が死なないように…
人を押しのけてでも自分が助かろう…ってなるんだよね。
「死んだらおしまい」って言葉、私も子どもの頃から何度となく言われたし、
耳にした覚えが。
だからそうだと思い込んでいたときもあったけど、
そう考えるとおかしいんだよね~
人を押しのけてでも生き延びたらそれでいいの?
一体何のために生きてるの?
長く生きればどんな残酷な人間になってもいいの?
そんなのおかしくない???

もう一つ。「死んだらおしまい。」って考えるからおかしなこと。
しんどい時、苦しい時、この状況から逃げ出したい時、
「死んだらおしまい。」って考えるから
「死んでおしまいにしよう…。」ってなるわけで。
逃げ出して、おしまい=リセット するつもりでも
そうは問屋が卸してくれないでしょって。
自分が逃げ出した課題は、また生まれ変わって遭遇するはず。
自分で解決するまで。
そうじゃないとおかしくないですか???


というわけで
今の私には「死んだらおしまいではない」って考える方がしっくりくるんです 

お医者さんの自己防衛が患者さんの回復に限界を作る?!

2010-09-26 15:42:04 | かんちゃんの今日
医師は患者や患者の家族に今後の回復の見込みや進行の様子を伝えます。

が、回復の見込みを話すとき、
「え~ッ」って思うほど悪い状態、悪い状態を言うんです。
そして「あまり期待されては困るんで。」
と言います。

おそらく「治ります。」と言って治らなかったら「先生は治るって言ったじゃないか」
と患者や患者の家族が激情して文句を言いに来るか、はたまた訴訟問題に発展するか…
「ここまで回復するでしょう。」と言って回復しなかかったら、
これまた同様な結果を招くのでしょう。

医師はそうならないように、悪い状態、悪い状態を患者や患者の家族の意識に刷り込みます。



これって・・・
わからなくもないけど、
本末転倒って言うか
なんかおかしいと思うんですよね 

患者自身や患者の家族がどれだけ強くいい状態をイメージできるかって
回復に大きく影響すると思うんですよね。
それを逆にあきらめさせる方向に意識を植え付けるって
逆じゃないの
って思うんです

医師の自己防衛のために
患者の回復に限界を作ってしまってるような気がしてなりません 

49日法要・・・いつもはつまらないお経が・・・

2010-09-26 10:07:53 | かんちゃんの今日
親戚の49日の法事がありました。
いつもはお坊さんがお経を読んでいる時間が長くて長くて退屈するのですが…

昨日は違いました 

とってもリズム感のいいお坊さんで、
お経と木魚の音がとっても小気味いいリズムで流れます 

だんだん不謹慎にも体がリズムを取り始めました 

ン チャ ン チャ  ン チャ ン チャ 
     



聞いているうちにレゲエのようなアフリカの民族音楽のような…
そこに風鈴の音が入り 、空を飛ぶ飛行機音が入り 
なかなか面白い音楽に聞こえてきます 

そのうちお坊さんのお経の歌詞までもが…
「あそこの坊さん~ 長~生き~

『坊さんがどんだけこの世に執着しとんねん
と突っ込みたくなり、



不謹慎にも噴出しそうになりました 



「 南無阿弥陀仏 」・・・
私の名前は仏である、私自身が仏である

そういう意味だと聞いたことがあります。
仏様を拝むのではなく、
自分自身の中にいる仏様に手を合わせているんだと。

それを思い出しながら
「南無阿弥陀仏」のフレーズが出てくると
「私の中の仏」「私自身が仏」
その思いを強くもって手を合わせました。




まったくわからないお経ですが、
今回の法事はこんな楽しい時間になったので
アッというまに終わってしまいました。

まうちょっと楽しみたかった感じ