お久しぶりで~す!とうとうお彼岸も終わりますね。今年はまさに正岡子規の〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉の句の通りで、こちらも雪まで降りましたもの。でもお中日の今日は朝から太陽が拝めて、やっと一日中天気が良かったです。それで朝から大洗濯でした。
ところで、このブログ前回が2月24日でしたから…その後約一ヶ月近くも何をしていたんですか?と聞かれそう。いやいや何もしていませんけど…というよりいつもと同じだったんですけどね。じゃなぜ書かないの?と言われたら…ウ~ン、なぜでしょう。いつも書こうとは思うんですけどね。このところ二三行書いたらすぐイヤになってやめるという繰り返しだったんです。要するに根気がなくなったということかな。まあ書かなくってもどうにかなるわけじゃあないし…という、そう、ズボラの虫が棲みついてしまったんですよ。その虫は結構たちが悪くって、〝啓蟄〟になっても出て行かないし…、このままじゃ〝虫干し〟するまでダメかもなんて。そうなったらもうおしまいでしょう…忘れられてしまいますよね。どうにか生存証明にでもなればと、ボチボチ書いていたものが、とうとう生きてるか死んでるかも分からなくなってしまったらね…なんて考えたら…、ああ、オソロシ!…ということで、そうならないように今日はどうにか頑張って書きました。
これで少しは取り戻せるといいのですが…
さて、これだけ間が開いてしまうと今度は何を書いていいのやら…。何かした時の写真は撮っているのですが、何だかもう時期遅れのような気がするし…と考えて、今日はまず復活の第一歩として、身近な季語の話などを…
先ほども書きましたように今日は「彼岸」。でも「中日」とも言いますよね。果たしてこれは同じことなのでしょうか。実はちょっとだけ違うんですよ。
「彼岸」というのは、仏語で〝生きているこの世を此岸(しがん)として、目標となる悟りの境界をかなたにおいたもの〟なんです。その悟りの境界に至る修行期間が7日間なのです。それでその真ん中が「中日」と言われるのですが、本来は昼と夜の長さが等しいことから「春分の日」(または秋分の日)のことなのです。だから、彼岸中日というべきところを、「お中日」と言って春分の日と区別しているのです。
しかし、春分の日や中日は一日だけのこと。彼岸というのは一週間のことをいうのですから、その違いをしっかり理解したうえで句を詠むようにしたいものですね。
山一つかはり雪みち彼岸前 宇佐美魚目
大川に彼岸の入りや下り舟 加藤郁乎
彼岸果つる月夜鴉ぞ明るけれ 渡邊水巴
兄妹の相睦みけり彼岸過 石田波郷
不揃ひの牡丹餅とどくお中日 片山富美子
春分の湯にすぐ沈む白タオル 飯田龍太
写真は、やっと出てきた〝土筆(つくし)〟です。昨年は3月6日に撮っていましたが、今年はこんな気候なので2週間も遅れていますね。