ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

倉敷アイビースクエア

2019年03月22日 | 俳句

 今日は、俳誌「早苗」の運営委員会が広島でありましたので、朝早く新山口から新幹線で広島へ。天気予報は晴マークなのに一面ボーッとして薄曇り…いやこれが春の〝霞〟というものなんでしょうね。歳時記には、微細な水滴や塵などが空中に浮遊するため、空や遠景や事物がぼんやりする現象と。即ち春は大気中の水分が増えることによって空や遠くのものなどが霞んで見えるのです。

   沖へ出て霞むほかなき島の鐘      秋光泉児

 この句は、わが「早苗」の元主宰・秋光泉児(1909~1992)先生の句です。先生は、広島県豊田郡に生まれ、水原秋櫻子に師事、生涯を故郷の大崎上島・豊町の大長で医業を全うされて、83歳で亡くなられました。句集には『青芭蕉』『仕手鷗』。馬醉木同人として島の人々に、奥様の道女先生とともに俳句の手ほどきをされ、地域文化の興隆と発展に寄与されました。秋櫻子先生もこの島に三度も訪れておられます。その記念の師弟句碑が島にあり、私も何度か見に行きましたが、秋櫻子先生の句は〈冬紅葉海の十六夜照りにけり〉、泉次先生の句は〈仕手鷗声しては舞ふ初日の出〉です。懐かしいですね。

 さて、倉敷アイビースクエアは、江戸幕府の代官所跡に1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、1973年(昭和48年)に改修され、観光施設として再生されました。ここも倉敷美観地区に含まれており、建物は2007年(平成19年)経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されています。では写真をどうぞ。

 ①倉敷アイビースクエアのアーチが象徴的な東正面玄関。

 ②倉敷アイビースクエアのトレードマークのアイビー(蔦)の名残。以前行った時はまさに青々とした蔦のお屋敷でした。

 ③アイビースクエアの名前の由来となった広場。その広場を囲むようにホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館などの各種施設が配されています。

 ④~⑨ 倉紡記念館では、 倉敷紡績の史料を年代順に展示。また、当時の紡績に用いた器具なども展示。建物は旧原綿倉庫。「倉紡」の社章「二三のマーク」は、設立時に制定され、その意味は創業者の大原幸四郎が森田節斎に師事したときに伝授された「謙受説」の一節にある『謙受益、則富、富即驕、驕即衰。滿招損、即窮、窮即慎、愼即盛。盛衰相尋於無窮。』の思想を図表化したものです。

 ⑩代官所井戸遺構。

 ⑪⑫代官所内濠遺構。菖蒲の芽が伸びて鯉が泳いでいました

 ⑬~⑮倉敷美観地区。トレードマークの柳がほんの少し芽吹いていました。

⑯倉敷美観地区の桜。河津桜とは違うような…まだ小さいながらもしっかりと花を咲かせていました。

 


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