夕べから今朝にかけては、涼しくてビックリするほどでした。新聞を見ると最低気温が山口19度、宇部で21度でしたから。でも日中はやはり暑くなりましたが、それでも以前のような35度ということはありません。
今日は宇部馬醉木の句会、兼題はありません。この夏の猛暑で体調を崩したり忙しかったりと、投句も渋りがち…15人投句の9人出席でした。やはり「立秋」や「新涼」の句が多かったですね。
今回「盆東風」「盆の月」と、「盆」の付いた季語が出ましたが、どちらにも盂蘭盆会、すなわち7月13日から16日(陰暦陽暦問わず)まで行われる先祖の魂まつりという行事を底に踏まえています。それを考えずにただその頃に吹いた風やその頃に出た月として詠むのでは季語の心(本意)が伝わりませんので気を付けましょう。
俳句は単なる景色を詠みながらも、その中に作者の思いがしみじみと伝わってくるようなものが佳句かと思います。ただそこにあったから、というのでは説明・報告になってしまい、読む人には、「ああ、そうですか」とか「分かりました」という感想しか残りません。説明や報告ならばもっと詳しくないといけないでしょうし、他の伝達方法がいくらでもあるのですから、わざわざいちばん短い俳句で言う必要はないでしょう。ただ、長々と書くのが面倒で、俳句で日記代わりに記録するのであれば、人に見せる必要はありませんから、それはご自由に…ということですが。
一つの文芸作品としての〝俳句〟となれば違ってきます。音楽の好きな人が音楽会へ、絵の好きな人が展覧会へ、偶には美味しいものを食べにレストランへ、海や山へ旅行に…みな〝感動〟のためですよね。単純に言えば〝ああ、よかった!〟これがなければわざわざお金使って、時間を費やしてすることなんて意味ないですもの。だったら味わう側ではなく、作る(創る)側に立つのが作者でしょう。そう考えれば、いい俳句というのは人を感動させるものだと分かるのでは。いかがですか?
生きるということは、「日常」と「非日常」の繰り返し…というより殆どの「日常」の中に、「非日常」が偶にあるものです。だから感動もするし、それが人間の喜怒哀楽の感情を刺激するものなのです。
まあ、こんなことを書いていたら奥が深すぎてきりがありませんので止めましょう。要するに〝たかが俳句〟〝されど俳句〟なんですよ。このブログだって〝たかがブログ〟なんですが…。ある意味自己満足のためかも…とそんなことを考えたりすると、今度は自己嫌悪に陥ったり…と、精神衛生上によくありませんのでこの辺で止めましょう。
なんでこんな話になったのかな?私の言いたいこと少しは分かりました?ダメ!…なら、ゴメンナサイ!
写真は〝萩の花〟ですが、この暑さでしたので〝夏萩〟の残りかしら。それとも秋の萩?これはなかなか見分けられません。普通だったら問題なく秋なんですが、今日のように地球温暖化でこれだけ季節がずれ込んで来ると感じが違ってしまいますね。(昨夜書いて、また今朝書き上げましたので、ゴメンナサイ)
書かれていただいたことはよく理解です。
でも出来てはいないです、説明から抜け出せません、トホホ
阿波踊り、大変な目にあいましたね。
私もいつも拝見して、写真が綺麗で羨ましいです。「よさこい踊り」きっと大変な賑わいなんでしょうね。あの喧噪の中に出ていくのは勇気が要り、まだ行ったことがありません。やっと今回意を決して「阿波踊り」を見に行った結果がこれですもの。心がけが悪かったのかしら…。でもいい体験になりました。
俳句は人それぞれ…〝自分らしく〟でいいと思います。〝たかが俳句〟ですもの。
これからもよろし~く!