今朝ラジオ体操へ行くときの畑はまるで霜が溶けた後のように水滴がキラキラ光っていました。夜中に雨でも降ったのでしょうか。それとも本当に霜?このところ夜はちょっと冷えますもの。きっと〝花冷え〟なのでしょう。今日は午前中曇りで午後からは晴れマークなんですよ。
今やニュースでもブログでも桜がほぼ満開という写真ばかり。でも宇部はちょっと遅れて、2、3分という所でしょうか。だからラジオ体操でも恒例の花見を週末の金曜日にすると…ああ、残念ながら今回も私は欠席です。なぜかというと、その日は朝から俳誌「早苗」の運営委員会で広島へ行かねばなりませんから。しかし、きっと広島では満開…いやもしかしたら散り始めているかも。花吹雪の広島もステキでしょう。
ところで、先日の兼題に「みすゞ忌」が出たんですよ。忌日を詠むのは難しいので、兼題に出すのは滅多にないのですが、当番が出したいということで決定しました。その結果季語の必然性が見られない報告的な句ばかりでしたので、〝今回はみんな不調でしたね。やっぱり忌日を詠むのは十年早いんですよ(笑)…〟と言うと、〝先生がこの兼題でもいいって…〟と不服そう。確かにそうですね。〝でも、作ってみないとその難しさは分からないでしょう。それが分かったということはとてもいい勉強になったんですよ〟と、励ましておきました。
そうなんです。私も初心の頃、忌日の句を詠んで先生にそう言われたんです。更には〝忌日が詠めるようになったらもういっぱしの俳人だよ〟とも。若いときは…といってもいい歳なんですが(笑)、やはり〝怖い物知らず〟でしたね。でも、だからこそ何でも詠めたんだし、みんな同じような道を踏んで成長していくのですから、それはそれでいいんです。
さて、この「みすゞ忌」というのは、山口県長門市仙崎生まれの童謡詩人・金子みすゞの忌日で、三月十日のこと。
以前から長門市では金子みすゞを郷土の詩人として全国に売り出そうとしていましたし、この「みすゞ忌」も季語として認定して貰おうと、平成14年より毎年「金子みすゞ顕彰全国俳句大会」を開催していました。しかし、ここ3年間はコロナ禍のために中止になっています。
私もコロナが流行する前、この大会に鷹の主宰・小川軽舟氏が講師として来られると聞き、仲間を誘って参加したことがあります。初めて参加して、こんなに大がかりで盛大な会だとは想像していませんでしたので、ビックリ!その時のことは、2017年3月13日のブログ「長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会」に書いていますので、よろしかったらどうぞ…。
さて、この「みすゞ忌」は、今私が使っている歳時記には収録されていませんので、解説も例句もありません。でも出題した人に聞いてみると、最新の『角川大歳時記』には載っていたと。ということは、地元の人たちの努力が報われたということなんでしょうね。ヨカッタ!
ところで、いろいろ調べていた時、ブログ「木割大雄の俳句の小径」の〝― 俳句は片想い ―〟(2019年04月22日)に、次のような記事を発見。とても参考になりましたので、ご紹介します。
海はまだ冬の色なりみすゞの忌 内田のぶる
みすゞ忌の海に北窓ひらきけり 藤田いく子
この2句の季語は 〈 みすゞ忌 〉 です。作者は二人とも、山口県の人です。(中略) 二人の作者は、長門の3月がどういう気候かをご存知なのです。早春の海からの風。まだまだ冷たい日もあるでしょう。3月10日が、その年その年によって、寒いときも暖かいときもあります。金子みすゞの詩が好きだからこんな句が生まれるのです。
俳句が好きな人にはこんな解説は要らないでしょう。でも、俳句に馴染みの薄い人は 〈 みすゞ忌 〉 を何故、季語にしたいと思うのか、理解できないかもしれません。
そもそも季語は、季節のことば。金子みすゞの詩が好きでも、3月10日が忌日とは知りません、という人も多いでしょう。そういう人にとっては、〈 みすゞの忌 〉と言われても、早春の気配に心を寄せることはできないかもしれません。
だから俳句はナンギ。季語がナンギ。
ちょいと視点を変えて考えてみます。どなたでもおそらく親の命日は忘れない。その命日と季節感は切り離せないもの。さくらが咲いたら親の命日が近い、とか。蝉が鳴き出したら親父を思い出す、とか。それぞれに、個人的な、私だけの想いがあるのです。
季語には一人ひとり、各々の想いがあるのです。忌日の季語は、その極端な例であろうと、私は思っています。(後略)
私が忌日の句を詠んだときも、先生から〝あなたはその人のこと(人生)をどれだけ知っていますか?〟〝その人のどんなところに惚れて敬愛しているのですか?〟などと聞かれてものが言えなくなりました。ただ、その〇月〇日ということだけでの忌日を詠んでいたのですから。今思えば恥ずかしい!それからは迂闊に忌日は詠まないことを肝に銘じています。皆さんも忌日を詠むときは心して使いましょう。
写真は、先日の吟行会で見つけた木。幹のところが面白くって…パチリ。さて、これ何に見えますか?さあ、想像力を働かせてみましょう。こういうのも俳句の勉強になるんですよ。ほら、あのプレバトでの〝写真を見て一句〟のように……
こんばんは。
みすずさん大好きです。
子供みたいに。
今では、誰でも知っている詩人ですね。
北原白秋が彼女の詩に嫉妬をしたとか?書かれていたのを読んだことがあります。
昔、50年前くらいの事「電話サービス」なるのが有り、そこへ電話をすると「金子みすゞ」の詩を聞けるサービスがありました。
詩が変わる度、重い黒電話を耳に聞いたものです。
名実ともに、その頃から、みすゞさんに親しんでいますよ。
十年も昔だろうか?
長門市の「みすゞ記念館」を訪れました。
彼女の主人なる輩に、他人事ながら、怒りをおぼえます。
才能のある詩人の命を早めたとと思うと。。。
みすゞず忌があるのは知りませんでした。
私に少女の心が今も宿っているとしたら、みすゞさんのファンだからかしら?
ちわきさんのプロの書き手のブログ。
為になります。
日々、身体の衰えが身に沁みます。
前を向いて、一日に一個の楽しみを見つける努力をやっています。
元気になるみすゞさんの詩を探さなくっちゃね。
葉
久し振りのコメントありがとうございます。
金子みすゞ…私も記念館へ行って詩のあとを辿ったり、友人たちを案内して巡ったりと何度も長門市へは行きましたが…
昔は本当に知る人ぞ知るという…そんな地元の名所だったような。
だからその名を詠んでも、山口の人でないと誰も分からず…そんな状態でしたよ。
それが今では教科書にも採り上げられて、観光化してしまいました。しかし、その詩は読めば読むほど、今の情が希薄になった世の中に浸透して、私たちが忘れかかけているものを思い出させてくれますね。
先日友人が次のような詩を…
葉さんが元気が出るように…ご紹介します。知っていらっしゃるかも知れませんが…
さかむけ
なめても、すっても、まだいたむ
べにさし指のさかむけよ。
おもいだす、
おもいだす、
いつかねえやにきいたこと。
「指にさかむけできる子は、
親のいうこときかぬ子よ。」
おとつい、すねてないたっけ、
きのうも、お使いしなかった。
かあさんにあやまりや、
なおろうか。
いかがですか?私は懐かしくって…
「さかむけ」
懐かしい言葉ですね。
この詩の記憶はありません。
最近の子供は さかむけ なぞは死語でしょうね。
母を想いだしました。
まだまだ私の子供に対する愛情は母には勝りません。
花粉症で、朝から鼻と目がグズグズに。
あなた様もお気をつけて下さいませ。
葉
やはり母のことを思うと、幾つになっても…もう一度逢いたい!
私も母の愛情には及びませんが、お互いに頑張りましょうね。
悲しんで生きるより愉しんで生きる方がいいんですから…
葉さんには頼りになるご主人様が傍にいらっしゃるじゃないですか。
考えてみればそれだけでも幸せと言えるかも。私の回りにはお一人になられた方がたくさんおられるんですもの。