渡辺武著 わかりやすい漢方薬
第四章 漢方による心身の健康法
2 公害や難病のない漢方薬
望証という言葉のはじまり
NHKの大河テレビドラマ「新・平家物語」が放送されたのは、四、五年前のことです。
この原作は吉川英治の「新・平家物語」、週刊朝日に連載されて、当時、この小説で売れたといわれるほど人気をさらったものです。
この小説の登場人物に、麻鳥という庶民の薬師夫妻がいますが、これは吉川さんが小説を面白くするために入れた架空の人物です。
この麻鳥は初めから、源氏と平家の戦いを冷静な眼でとらえています。
が、あれほど慎重な名文家の吉川先生にも失策があったのです。
その中で、金売り吉次が熱病にかかって、都で医者を探したが、平家が都落ちした後で、都には医者がいない。
伊豆の麻鳥 杉本健吉
そこで乞食医者の麻鳥がいたので連れてくると、麻鳥は見るなり、お前の病気は三日で治してやる、治ったらさっさと奥州に帰ってくれ、お前みたいな腹黒い奴が都にいると、戦後、都が攪乱してこんなになってしまったと言う。
すると吉次が、薬師というのは脉をみたり腹をみたり、いろいろ聞いた上で診断するのに、何でわしの腹が黒いか白いかわかるんだと聞いたところ、麻鳥は、漢方に熟達すれば貌証といって、一目見たらわかるんだ、と答える場面があります。
漢方でいう望証を容貌の「貌」と書いてしまったのです。
著者も朝日新聞社も、アルバイト学生を使って、鎌倉時代の医学、宋時代の医学の文献資料を集めたりしたそうですが、吉川先生は、ボウ証ということは身体全体を見るわけだから、容貌の「貌」に間違いないと確信を持っておられたのです。
宋時代に初めて印刷された漢方の古い医書『宋版傷寒論』の中に、名医・越の扁鵲の故事が載っています―皇太子が死んだというのを、一目見てこれは生きていると言い、薬を与えて生き返らせた。
しばらくして斉の国の桓公が車に乗っている姿を見て、皇帝は二、三日の命しかないと言ったが、相手にされなかった。ところが皇帝は、その予言どおりに二日したら急死してしまった―というものです。
この中の一節に「皇帝桓公の顔色を一目望見しただけで」と明記あれています。
これは、史記の扁鵲篇が原典ですが、宋の医学を学んだ麻鳥の言動ですから、貌証ではなく、望証であることを吉川さんにお知らせしたら、吉川先生は「これはうっかりした。それが正しいに違いない」と、朝日新聞社から単行本になったときに、「貌」を「望」に改められました。
後で話を聞くと、その一字のために、吉川先生が大変な時間と労力を費やして資料を集め、読んでおられたそうです。『傷寒論』もその中にあったといいますから、先生の作家としての根性に頭が下がりました。
『傷寒論』というのは、後漢の時代に張仲景という長沙の太守が著した、漢方の原典といわれる本、その中で張仲景は本を出した理由について、一族の三分の二が急性熱病で死んでしまったので急性病と慢性病の治療のために上下二巻を出したといいます。
その序の中で二千年前の状況を烈々と訴えています。
「栄誉や勢力を競い求め、権力者や金持ちに追従し、孜々汲々としてただ名利にのみ心をくだき、その末を装飾し、その元を克己し、外面ばかり飾ってその内をやぶさかにする。
皮これ存ぜずんば、毛はたいずくにつかんか」と。
この意味は、その当時の中国人の人々が、本末転倒して枝葉末節のことばかりに気をうばわれ、利益のあることや、立身出世することばかり謀っている。
急に病になると、無能な医師にかかったり、占い師に頼って、せっかく百年の尊い天寿を与えられながら、ただただ死ぬのを待っているだけだ、ということです。
そして当時の医者については「医経の趣旨を思い求めることをせず、すなわち古典を究めずして、口先で知っている限りのことを演説し、それぞれ家伝の方法を受け継いで、生涯同じ治療を繰り返し、工夫、発明ということがない。
こんな風であるから、診療もいい加減で、病人と相対すること瞬時にして、じきに薬をこしらえる。脉を診るのもぞんざいで、寸口の脉は診ても、尺脉は診ないし、手の脉は診ても、足の脉は診ない・・・」と、医者は勉強をしないで、ただそうかそうかと病人にすぐに迎合して、むなしく送っているだけ、患者を診るのも三分間診療でこっちを診たらあっちは診ない、いい加減なことをしている、と戒めています。
この二千年前に書かれた『傷寒論』の文章は、現代社会の医療のあり方をそのままそっくり皮肉っているようにさえ思われます。
オマケ
傷寒卒病論集
論曰、余毎覽越人入虢之診、望齊侯之色、未嘗不概然歎其才秀也。怪當今居世之士、曽不留神醫藥、精究方術、上以療君親之疾、下以救貧賤之厄、中以保身長全、以養其生、但競逐榮勢、企踵權豪、孜孜汲汲、惟名利之務、崇飾其末、勿棄其本、華其外、而悴其内、皮之不存、毛將安附焉。卒然遭邪風之氣、嬰非常之疾、患及禍至、而方震慄、降志屈節、欽望巫祝、告窮歸天、束手受敗、賚百年之壽命、持至貴之重器、委付凡醫、恣其所措、咄啞 (嗟)嗚呼。厥身已斃、神明消滅、變爲異物、幽潜重泉、徒爲啼泣。痛夫。舉世昏迷、莫能覺悟、不惜其身、若是輕生、彼何榮勢之云哉。而進不能愛人知人、退不能愛身知己、遇災値禍、身居厄地、蒙蒙昧昧、憃若遊魂。哀乎。趨世之士、馳競浮華、不固根本、忘軀徇物、危若冰谷、至於是也。余宗族素多、向餘二百、建安紀年以來、猶未十稔、其死亡者、三分有二、傷寒十居其七。感往昔之淪喪、傷横夭之莫救、乃勤求古訓、博采衆方、撰用素問、九巻、八十一難、陰陽大論、胎臚藥録、并平脈辨證、爲傷寒卒病論合十六巻。雖未能盡愈諸病、庶可以見病知源、若能尋余所集、思過半矣。夫天布五行、以運萬類、人禀五常、以有五藏、經絡府兪、陰陽會通、玄冥幽微、變化難極、自非才高識妙、豈能探其理致哉。上古有神農、黄帝、岐伯、伯高、雷公、少兪、少師、仲文、中世有長桑、扁鵲、漢有公乘陽慶及倉公、下比以往、未之聞也。觀今之醫、不念思求經旨、以演其所知、各承家技、終始順舊、省疾問病、務在口給、相對斯須、便處湯藥、按寸不及尺、握手不及足、人迎趺陽、三部不參、動數發息、不満五十、短期未知決診、九候曾無髣髴、明堂厥庭、盡不見察、所謂窺管而已。夫欲視死別生、實爲難矣。孔子(前五五〇~前四七九)云、生而知之者上、學則亞之、多聞博識、知之次也。余宿尚方術、請事斯語。
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