昌栄薬品です
WiLL2013年5月号
ある編集者のオデッセイ 魔都・上海の街で考えたこと 文●堤 堯 より
前文略
日本版シンドラーの真実
・・・
その後、人種差別撤廃は日本の国是となった。
その好例が杉原千畝(ちうね)のケースだ。
杉原はリトアニアのカウナス駐在の領事として、ナチの迫害を逃れるユダヤ人に「日本通行ビザ」を与え、六千人の命を救ったとされる。
しかし、これは杉原ひとりの功績ではない。
時の日本政府が通行を認めたからこそ、彼らユダヤ人は日本を通過して南米や北米に逃れることができた。
そうでなければ虚しく引き返し、アウシュヴィッツ送りとなる。
杉原のケースに先だつこと約二年前、大量のユダヤ人がシベリア経由で満州に辿り着いた。
すでに日本はナチ=ドイツと防共協定を結んでいる。
にもかかわらず、時の関東軍参謀長・東条英機は彼らを受け入れ、その通行を認めた。
国是に従ったからだ。
ユダヤ人の流入は止まらない。
彼らは神戸にコミュニティを作り、ここを拠点に同胞救済を続ける。
ナチはこれに抗議した。
これを受けて、政府は神戸に軍高官や外務官僚を派遣して、事情を聴取した。
ユダヤ人の長老は言った。
「われわれユダヤ人はアジア人です。ナチが天下を取れば、お次はあなた方、日本人を迫害するでしょう」
政府は五相会議(ごしょうかいぎ・内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の五相)を開き、ナチの抗議を斥(しりぞ)け、構わずユダヤ人救済を決定した。
ナチとの協定は一時の国策だ。
それよりも、国是を優先して再確認した。
だから、杉原が厭わずユダヤ人に通行ビザを与えたことは、国是に沿った当然の行為といえる。
ところが戦後、杉原の夫人・幸子が本を著し、
「本省の意向に反してユダヤ人を救済したため、夫は咎(とが)められ、外務省を解雇された」
と記した。
これで「杉原神話」が誕生する。
すなわち、本省の意向に反し、敢然とユダヤ人を救った人道主義に徹した外交官の誕生だ。
つまり日本版シンドラーの誕生だ。
しかし、ユダヤ人救済という人道主義は、本来、日本国のそれでもあった。
そこを見落としてはいけない。
なのに夫人の手記を機に、「本省に反抗してユダヤ人を救済した英雄的な外交官」の神話が、あれよあれよと膨らんでいく。
イスラエルは彼に名誉賞を与え、森に杉原の名を冠し、カナウスには「スギハラ通り」と名付けた道路ができ、その神話は英語の教材にもなり、単行本はもとより映画や劇にもなった。
岐阜の故郷には記念館が立ち、一帯は「人道の丘」と呼ばれている。
もう数十年も前のこと、外交官になった大学の級友に訊いてみた。
「日本政府が認めなきゃ、ユダヤ人は日本を通過できない。なのに杉原一人が英雄視されるのは、おかしいじゃないか」
「いやホントにそうなんだよ」
「杉原は二重スパイ?」
・・・・
杉原はロシア人の女性と11年間の結婚生活を1935年に離婚、その後幸子と結婚し子供をもうけた。
杉原氏はブカレストで捕虜なる。
杉原と家族は好条件の収容所に住み、1946年夏に釈放されている。
だが、直ぐには帰国せず、数カ月、ソ連を旅行してまわっている。
1960年にはモスクワに移住しそこで15年間日本のビジネスマンとして働く。
この期間に洗脳はなかったか?
杉原の行為を稀にみる「善行」というなら、それ以上に日本の国是は世界にも稀な「善行」として称賛されてしかるべきだ。
・・・。
詳細はWiLL2013五月号を
東條英機は杉原千畝よりも2年早くユダヤ人を救った日本のシンドラー
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