うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

吉野4~如意輪寺・後醍醐天皇陵

2010-03-20 02:38:09 | 旅行・参拝
さて、吉水神社を出てからが、長かったです。

最終的には、吉野水分神社と如意輪寺に行く予定で、どちらが先でもよかったんですが、
2か所がここまで離れていようとは(^^;)。方向もまったく違うし。

結論、大雑把に言って、如意輪寺は、谷を挟んで金峯山寺側の尾根?とは反対側にあります。
谷をぐるりと迂回する感じで、花にはまだ早い山沿いを延々と歩きました。

先の見えない、道路が続く、山道…

車も、人も見えません…(--;)



さっきまでいた、金峯山寺蔵王堂の大きな屋根が、春霞にけぶって、はるかかなたに見えます…。
ずいぶんと歩いたもんです。もしや職場のランチタイムで、持久力が鍛えられている!?



ちょっと疑いたくなったあたりで、ようやく如意輪寺の案内看板登場…信貴山奥の院で、
ひどい目にあった経験があるので、ようやく安心できました(^^;)

さて、如意輪寺は山間にひっそりとあります。



後醍醐天皇の信仰が厚かったそうで、裏手には後醍醐天皇陵があります。
もちろん、お参りしてまいりました。

この階段の上、木々に包まれて後醍醐天皇陵があります。



普通、天皇陵は南面していますが、後醍醐天皇陵は、北面…つまり、京都の方を向いているわけです。

後醍醐天皇が、亡くなる際、こう言い残したからです。
以下、角川文庫の太平記からの抜粋です。

…ただ生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を亡ぼして、四海を泰平ならしめんと思ふばかりなり。…(中略)…
玉骨は縦(たと)ひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。



足利幕府を倒して京都に帰るという悲願を果たせず、吉野で病死した後醍醐天皇なのでした。

さて、再び、如意輪寺へと戻ります。
ここにも、「御用の方はベルを押してください」(^^;)
ホント、今回はマイワールドな旅です(^ω^)
でも、こういう悲しい史跡をめぐるに丁度いいですね。

さて、楠木正成が湊川の合戦におもむく前の、息子正行との別れの場面が石像になっていました。
俗に言う、「桜井の別れ」でしょうか。



如意輪寺で、もうひとつ見逃せないのが、楠木正行の辞世の句を刻んだ扉です。

楠木といえば、何よりの帝の忠臣。
正行の父正成は、足利尊氏が九州から都に攻め上ってきた際、それを抑えるべく湊川にて、弟正季と討ち死にしています。
それで都を足利に取られ、後醍醐天皇は吉野に逃れてきたというわけです。

楠木の尊王の精神は、その後もしっかりと一族に受け継がれていっています。
南朝と、足利幕府との争いはその後も絶えず、1346年、高師直が吉野へ攻めて来る際に、正行はこれを向かい討つべく出陣します。

そのときに、勝てる戦ではないと分かっていたので、後醍醐天皇陵にお参りし、
後村上天皇(後醍醐天皇の皇子:義良)に別れを告げに吉野を訪れました。

そのときに、辞世の句を如意輪堂の扉に彫り付けたものが、今も残っているのです。

辞世の句

かえらじとかねておもえば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる

大意は、再び帰れないと思うので、亡くなった人の仲間入りをする名前を書き残していきます…というものです。
決死の覚悟が伝わるとともに、やっぱり悲しいですね…。

ちなみに、このときまだ23歳…今の感覚とは違うとはいえ、信じられない世の中です。。。

ほかにも、宝物殿の中には、楠木正行のエピソードを絵にしたものや、彼の刀、兜
など、貴重なものが展示されています。

お庭には、すごく立派な枝垂れ桜の大木も。
ここの宝物殿には、唯一という桜の木で彫られた蔵王権現像もあります。



さて、ひとしきり南朝に思いを馳せた所で、元来た迂回路を戻るのも面白くないので、
谷超えルートで、如意輪寺方面と奥千本方面との分岐点に戻ることにしました。



…が、さすが谷超え、あたりまえですが、下ったら当然上る…キツイ(^^;)
鶯や鳥のさえずりと、小川のせせらぎのもたらす、自然の超癒し効果にも反して、かなり厳しい行程でありました。

次は、吉野水分神社を目指します。…が一体、どれだけ…。

すでに、地図の目測にだまされないだけの経験は積んでおります…。


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吉野3~吉水神社

2010-03-20 01:28:29 | 旅行・参拝
ひっそりとありました、これも世界遺産です。
ひとっこ一人いません。さすがシーズンオフ。

ちょっと、朽ち果てたような、哀愁ただよう空気。
もともとは役行者の庵室跡だったそうです。

拝観したくても、だぁれもいないので、「呼び鈴を押してください」の張り紙のとおりに押してみると…。

おっと、表から、なにやらとても綺羅綺羅しい神主さんがやてきました。
ちょっとドキドキしてしまいました。



中に入ると、中には録音の解説案内が流れていて、ありがたいです。

桧皮葺、入母屋造りの最古の書院建築だそうで、本当によく残っていてくれた、と感動してしまうほどです。
これは、多分実際に中に入って見ないと、体感できないことだと思います。ぜひ!!

表から見たのでは想像できないほど、中は入り組んで広いのもまた驚きでした。

まずは、源義経と静の潜居の間があります。横には弁慶思案の間も!
都を追われた義経は、吉野で静と別れ、奥州へと落ちてゆくのでした。

本当に、静かで、鳥のさえずりと、下を流れる谷川の音だけしか聞こえません。

そう、入り口側からは気付きませんでしたが、谷の斜面にせり出すように立てられた、高床式だったのです。

窓からは、対面の山の斜面、中千本の桜が美しいそうです。今はまだ冬枯れていますが、まもなくでしょう。

次の間は、後醍醐天皇の玉座の間。

後に豊臣秀吉が、花見の際に修理し、今は桃山時代風の書院になっています。
それにしても、帝の玉座にしては、やっぱりひっそりとして寂しいですね。

こんな歌がありました。

花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音

本当に、先ほども書いたとおり、鳥の声と川の音しか聞こえません。

そして廊下を進むと、次は美術品の展示。

後醍醐天皇の筆によるもの、義経の鎧、後年の秀吉花見の時のもの。
どれも興味深く、空間を贅沢にも独り占めして、じっくりと拝見させていただきました。

廊下から、お庭を眺めるとこんな感じです。
なんとなく、空気に沈丁花の花の香りがします。



最期は、秀吉が花見の本陣として、数日間滞在したというエピソード。
秀吉って、お花見大好きだったんですねぇ(^^;)
醍醐寺とか、竜安寺にも花見の記録がありますもんね。

悲しい歴史ばかりのここも、このときばかりは華やかだったんでしょうね。

時代を超えて、今も残る吉水神社、忘れられない場所になりました。
多分、また来てしまうと思います。

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吉野2~金峯山寺

2010-03-20 01:19:54 | 旅行・参拝
さて、ロープウェイを降りて、なだらかな坂を上っていきます。
まずは黒門をくぐり、ココからいよいよ本格的に吉野山!

まず、大きな銅の鳥居があります。
これ、聖武天皇が、東大寺の大仏を作ったときに残った銅で作ったとも言われるもの。
俗世と浄土を隔絶する鳥居です。



そして、巨大な金峯山寺の仁王門が見えてきます。国宝です。
石段の上にそびえる仁王門は圧巻。



すでにに仁王門から、谷状に山の連なる吉野の風景が俯瞰できます!
…ずいぶん遠くに来てしまったような気がします…。



そして蔵王堂。これも国宝。とにかく巨大!!さすが世界遺産。

役行者の修験道の総本山で、蔵王権現が祀られていますが、蔵王権現の公開は今年は
9月から11月まで。今は緞帳の向こう側でした。



でも中の拝観は、する価値ありです。
聖徳太子孝養像というのがあったのですが、目線の鋭さと、今にも足を一歩踏み出しそうな
リアルさが、とにかく印象的でした。

ちょうど中では祈祷が始まり、なんというんでしょう、法螺貝?を吹き、まさに修験道なご祈祷でした。
ちなみに、吉野といえば桜ですが、蔵王権現の聖木として、桜の植樹が盛んだったそうです。

そして、蔵王堂の正面には、四本桜。
こここそ、1333年、後醍醐天皇皇子、大塔宮護良親王が、鎌倉幕府と戦った際に、
死を覚悟して最期の酒宴をされた場所なのです。

そもそも今回の吉野訪問の発端は、太平記と南北朝時代に興味を持ったのがきっかけなのです。



この酒宴の後で、大塔宮の身代わりとなって、村上義光は腹を切るんですね…。
そのおかげで大塔宮は高野山へと脱出してゆくわけです。

びっしりと、苔むした石碑にも歴史を感じます。



さらにそこを突っ切って、階段を下りると、吉野朝宮跡の妙法殿。
このあたりに、南北朝四代の皇居があったんですね。



最後に、四本桜の反対側から、もう一度蔵王堂を眺めます。



さて、それにしても、若干地理感がなくなってきました。

細長く、山の上に奥へ奥へと続いているような吉野の地形…。

でもなぜか難しいです。
なんか、一本間違えると、とんでもない方向へ行ってしまいそうな危機感があります。

そして天気は回復したものの、とてつもなく、寒い…。
次の目的地は吉水神社です。


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吉野1~吉野入山

2010-03-20 00:46:55 | 旅行・参拝
近鉄の吉野駅です。

京都から、本当に遠かったです。
8時11分に京都を出発したのに、吉野駅に降り立ったのは、11時近く…。
途中、大和西大寺から橿原神宮まで特急も利用したというのに~。

…というのも、午前の関西の天気は、寒い雨空。
乗り換え駅で待つ間も手がかじかみ、特急チケットを思わず買いました(^^;)
全席指定だし、あったかくて極楽でした。

でも、橿原神宮から吉野までが長かった…。
山道を行く電車の旅はとても楽しかったんですけど。
(当日の日記参照^^)
ガタンガタンという、山道特有の揺れと、ビリビリ窓が震えるような振動。カーブも多いしね。
(実家のほうの電車がまさにこんな感じですので、懐かしくて心地よいのです~)

それにしても、どんどん山の中に分け入っていく感じです。
谷間の沢沿いの線路です。

古くは山岳信仰の修行道場、そうやすやすと辿り着けないのも当たり前ですか…。

そして、都を追われた人たちが隠れたり、移り住んだのも納得なのでした。
でも、都の人から見たら、遠いし、険しいし、山奥だし、寂しいし、さぞ心細い思いをしたんでしょうね。
「落ちてきた」という惨めな気持ちと、いつか都へ…と思う気持ちで過ごしたのかな。

さて、前置きが長くなりましたが、近鉄吉野駅は山の谷間。



降りてすぐ前方に、ロープウェイ乗り場があります。
シーズンオフのためか、寂しい感じ…。
ちなみに、1時間に2本。往復で600円です。



イヤハヤ、それにしても年期が入ったロープウェイです(^^;)
柱とか、ケーブルがね、なんかいい感じに…スリリングです(^^;)
もちろんちゃんと整備されているはずです。
ふと通過する際に柱を見たら「昭和3年建設」の文字。
うーん、こんなところでも歴史を感じました。
所要時間は5分程度です。
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