ここ、実は、何年越しか分からないほど行きたかったお寺です。
数年前は真如堂まで来たものの、その後道に迷ってタイムオーバー(^^;)
ようやく、来れました。
…今回は、冬の特別公開ということもあって、とうとう念願達成!
日本三文殊のひとつ、中山文殊さんが見たかったんですもん。
何回京都に来ても、まだ知らない見るべきところがたくさんあるもんだと、いつも驚かされます。
加えて、最近色々と没頭していた、幕末関連でもここは重要です。
京都守護職、会津藩の本陣が置かれていました。
今回、特別公開されている大方丈では、会津藩の鎧とか、会津や新選組関連の資料など、
貴重な展示がされているんです。
また、近藤勇が松平容保に謁見して新選組が誕生したのもここです。
さて、はやる気持ちをおさえて、巨大な境内に踏み込みます!
この巨大な境内も、じつはいろんな意味があったんですね、それはまた後半で。
圧巻の山門です。
山門楼上にも、阿弥陀如来等仏様と、雲竜図があるんです。見られないけど…。
絵葉書購入しました(^^)
そして、この大きいのが御影堂。
宗派によっていろいろ違うので難しいのですが、浄土宗では、宗祖の御影を安置した
御影堂が、一番大きく中心になるそうです。
ちなみに真言宗系では、御影堂は、わりとひっそりしていて、本堂や金堂などがどーんとありますよね。
午前中に行った、室生寺でも、奥の院にひっそりとありましたでしょう。
この御影堂は、昭和9年に焼失しており、戦争中の昭和19年に再建されたそうです。
そんな時代ですので、釘などは使っておらず、また、三方が障子を張られた珍しい造り。
普通、お堂って障子ではないから薄暗いのですが、三方から光が入り、天井も高く、
なんとも開放感あふれる空間なのであります!
正面には、法然上人の御影、向かって左に、文殊菩薩様がいらっしゃいます!
運慶作の美しいお顔です。
そして、向かって右側には、かつて吉備真備(遣唐使)を救ったという、吉備観音。
随分と歴史あるものも伝わっているんですね。
十一面千手観音のようですが、見る限り、十一面は四面くらいになってしまっていました。
御影堂の横の障子を出ると、大方丈です。
展示物も見ごたえありです。
というのも、モノだけでなく、会津藩士と新選組隊士のエピソードなども
読み物として展示されていて、ホロリときたりするわけです。
あとは、屏風や襖絵などの美術品。
虎の襖絵、老松の襖絵は、だまし絵のようなしかけがしてあって、面白かったです。
そして、この奥から、紫雲の庭という庭園に降りられます。
法然上人の生涯を表現したお庭だそうです。
ちなみに、この石橋は、映画大奥の撮影で使われたとのこと(^^;)
また、池は、平敦盛を討った熊谷直実が出家した際、ここで鎧を洗ったそうです。
お庭を出たところに、「熊谷直実鎧かけの松」もあります↓
少し下って、階段をのぼると、三重の塔。
これは、徳川秀忠公の菩提だそうで、もともと文殊菩薩はこの中にあったそうです。
ちなみに周りは墓地。
会津藩殉難者墓地もこの中にあります。
塔付近からの眺め。
逆光だったため写真では分かりにくいのですが、高台にあるので京都市内をはるかに見渡せます。
そもそも、このお寺、徳川家康が幕府を開いた際に、京都を固めるために、巨大な城構えの
寺として、有事には軍事基地となるように造られたそうです。
だから、会津藩がここを本陣としたのは、必然とのこと。
高台にあるため、かつては大阪城まで見渡せたそうです。
また、境内には、一千の軍隊も収容できたとか。
御影堂の中で解説をしてくれた方が、徳川とのつながりが深い、とおっしゃっていましたが、それも納得しました。
ちなみに、これは大方丈に一部50円で置いてあった、「会津藩と黒谷と新選組」という
解説書からのうんちくです(^^)
うーん、でも阿弥陀堂は豊臣秀頼の再建なんですね。
阿弥陀堂は、火災から免れ、現在境内で一番古い、1605年のものだそうです。
勝手に障子をあけて、中の阿弥陀如来さまにお参りできます。
なんか、自由が許されているお寺…って感じで、とってもあたたかいです。
すごくいいものをたくさん見させていただきました。
谷の上という、開放的な空間も、明るい御影堂も、何もかも素晴らしかった!!
数年前は真如堂まで来たものの、その後道に迷ってタイムオーバー(^^;)
ようやく、来れました。
…今回は、冬の特別公開ということもあって、とうとう念願達成!
日本三文殊のひとつ、中山文殊さんが見たかったんですもん。
何回京都に来ても、まだ知らない見るべきところがたくさんあるもんだと、いつも驚かされます。
加えて、最近色々と没頭していた、幕末関連でもここは重要です。
京都守護職、会津藩の本陣が置かれていました。
今回、特別公開されている大方丈では、会津藩の鎧とか、会津や新選組関連の資料など、
貴重な展示がされているんです。
また、近藤勇が松平容保に謁見して新選組が誕生したのもここです。
さて、はやる気持ちをおさえて、巨大な境内に踏み込みます!
この巨大な境内も、じつはいろんな意味があったんですね、それはまた後半で。
圧巻の山門です。
山門楼上にも、阿弥陀如来等仏様と、雲竜図があるんです。見られないけど…。
絵葉書購入しました(^^)
そして、この大きいのが御影堂。
宗派によっていろいろ違うので難しいのですが、浄土宗では、宗祖の御影を安置した
御影堂が、一番大きく中心になるそうです。
ちなみに真言宗系では、御影堂は、わりとひっそりしていて、本堂や金堂などがどーんとありますよね。
午前中に行った、室生寺でも、奥の院にひっそりとありましたでしょう。
この御影堂は、昭和9年に焼失しており、戦争中の昭和19年に再建されたそうです。
そんな時代ですので、釘などは使っておらず、また、三方が障子を張られた珍しい造り。
普通、お堂って障子ではないから薄暗いのですが、三方から光が入り、天井も高く、
なんとも開放感あふれる空間なのであります!
正面には、法然上人の御影、向かって左に、文殊菩薩様がいらっしゃいます!
運慶作の美しいお顔です。
そして、向かって右側には、かつて吉備真備(遣唐使)を救ったという、吉備観音。
随分と歴史あるものも伝わっているんですね。
十一面千手観音のようですが、見る限り、十一面は四面くらいになってしまっていました。
御影堂の横の障子を出ると、大方丈です。
展示物も見ごたえありです。
というのも、モノだけでなく、会津藩士と新選組隊士のエピソードなども
読み物として展示されていて、ホロリときたりするわけです。
あとは、屏風や襖絵などの美術品。
虎の襖絵、老松の襖絵は、だまし絵のようなしかけがしてあって、面白かったです。
そして、この奥から、紫雲の庭という庭園に降りられます。
法然上人の生涯を表現したお庭だそうです。
ちなみに、この石橋は、映画大奥の撮影で使われたとのこと(^^;)
また、池は、平敦盛を討った熊谷直実が出家した際、ここで鎧を洗ったそうです。
お庭を出たところに、「熊谷直実鎧かけの松」もあります↓
少し下って、階段をのぼると、三重の塔。
これは、徳川秀忠公の菩提だそうで、もともと文殊菩薩はこの中にあったそうです。
ちなみに周りは墓地。
会津藩殉難者墓地もこの中にあります。
塔付近からの眺め。
逆光だったため写真では分かりにくいのですが、高台にあるので京都市内をはるかに見渡せます。
そもそも、このお寺、徳川家康が幕府を開いた際に、京都を固めるために、巨大な城構えの
寺として、有事には軍事基地となるように造られたそうです。
だから、会津藩がここを本陣としたのは、必然とのこと。
高台にあるため、かつては大阪城まで見渡せたそうです。
また、境内には、一千の軍隊も収容できたとか。
御影堂の中で解説をしてくれた方が、徳川とのつながりが深い、とおっしゃっていましたが、それも納得しました。
ちなみに、これは大方丈に一部50円で置いてあった、「会津藩と黒谷と新選組」という
解説書からのうんちくです(^^)
うーん、でも阿弥陀堂は豊臣秀頼の再建なんですね。
阿弥陀堂は、火災から免れ、現在境内で一番古い、1605年のものだそうです。
勝手に障子をあけて、中の阿弥陀如来さまにお参りできます。
なんか、自由が許されているお寺…って感じで、とってもあたたかいです。
すごくいいものをたくさん見させていただきました。
谷の上という、開放的な空間も、明るい御影堂も、何もかも素晴らしかった!!