うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

京都1~黒谷金戒光明寺

2010-03-21 02:21:47 | 旅行・参拝
ここ、実は、何年越しか分からないほど行きたかったお寺です。
数年前は真如堂まで来たものの、その後道に迷ってタイムオーバー(^^;)
ようやく、来れました。

…今回は、冬の特別公開ということもあって、とうとう念願達成!
日本三文殊のひとつ、中山文殊さんが見たかったんですもん。

何回京都に来ても、まだ知らない見るべきところがたくさんあるもんだと、いつも驚かされます。

加えて、最近色々と没頭していた、幕末関連でもここは重要です。
京都守護職、会津藩の本陣が置かれていました。

今回、特別公開されている大方丈では、会津藩の鎧とか、会津や新選組関連の資料など、
貴重な展示がされているんです。
また、近藤勇が松平容保に謁見して新選組が誕生したのもここです。

さて、はやる気持ちをおさえて、巨大な境内に踏み込みます!
この巨大な境内も、じつはいろんな意味があったんですね、それはまた後半で。

圧巻の山門です。



山門楼上にも、阿弥陀如来等仏様と、雲竜図があるんです。見られないけど…。
絵葉書購入しました(^^)

そして、この大きいのが御影堂。
宗派によっていろいろ違うので難しいのですが、浄土宗では、宗祖の御影を安置した
御影堂が、一番大きく中心になるそうです。
ちなみに真言宗系では、御影堂は、わりとひっそりしていて、本堂や金堂などがどーんとありますよね。
午前中に行った、室生寺でも、奥の院にひっそりとありましたでしょう。



この御影堂は、昭和9年に焼失しており、戦争中の昭和19年に再建されたそうです。
そんな時代ですので、釘などは使っておらず、また、三方が障子を張られた珍しい造り。
普通、お堂って障子ではないから薄暗いのですが、三方から光が入り、天井も高く、
なんとも開放感あふれる空間なのであります!

正面には、法然上人の御影、向かって左に、文殊菩薩様がいらっしゃいます!
運慶作の美しいお顔です。

そして、向かって右側には、かつて吉備真備(遣唐使)を救ったという、吉備観音。
随分と歴史あるものも伝わっているんですね。
十一面千手観音のようですが、見る限り、十一面は四面くらいになってしまっていました。

御影堂の横の障子を出ると、大方丈です。
展示物も見ごたえありです。
というのも、モノだけでなく、会津藩士と新選組隊士のエピソードなども
読み物として展示されていて、ホロリときたりするわけです。

あとは、屏風や襖絵などの美術品。
虎の襖絵、老松の襖絵は、だまし絵のようなしかけがしてあって、面白かったです。

そして、この奥から、紫雲の庭という庭園に降りられます。



法然上人の生涯を表現したお庭だそうです。
ちなみに、この石橋は、映画大奥の撮影で使われたとのこと(^^;)

また、池は、平敦盛を討った熊谷直実が出家した際、ここで鎧を洗ったそうです。

お庭を出たところに、「熊谷直実鎧かけの松」もあります↓



少し下って、階段をのぼると、三重の塔。
これは、徳川秀忠公の菩提だそうで、もともと文殊菩薩はこの中にあったそうです。
ちなみに周りは墓地。
会津藩殉難者墓地もこの中にあります。



塔付近からの眺め。



逆光だったため写真では分かりにくいのですが、高台にあるので京都市内をはるかに見渡せます。

そもそも、このお寺、徳川家康が幕府を開いた際に、京都を固めるために、巨大な城構えの
寺として、有事には軍事基地となるように造られたそうです。
だから、会津藩がここを本陣としたのは、必然とのこと。
高台にあるため、かつては大阪城まで見渡せたそうです。
また、境内には、一千の軍隊も収容できたとか。

御影堂の中で解説をしてくれた方が、徳川とのつながりが深い、とおっしゃっていましたが、それも納得しました。
ちなみに、これは大方丈に一部50円で置いてあった、「会津藩と黒谷と新選組」という
解説書からのうんちくです(^^)

うーん、でも阿弥陀堂は豊臣秀頼の再建なんですね。
阿弥陀堂は、火災から免れ、現在境内で一番古い、1605年のものだそうです。
勝手に障子をあけて、中の阿弥陀如来さまにお参りできます。
なんか、自由が許されているお寺…って感じで、とってもあたたかいです。

すごくいいものをたくさん見させていただきました。
谷の上という、開放的な空間も、明るい御影堂も、何もかも素晴らしかった!!
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宇陀2~室生寺

2010-03-21 01:26:24 | 旅行・参拝
本当は、昨年長谷寺を訪れたときに、来ておきたかった場所。
時間的にはとうてい無理でしたが、普通、室生寺と長谷寺はセットで参拝するものでしょう…。
地理的に(^^;)

それにしても、バスは室生川に沿って登っていきますが、急峻な山の谷間です。
先ほど磨崖仏で見たように、火山活動でできたこの地形は、岩が鋭い。

山肌からも、ところどころ切り立った岩の崖が見て取れます。
また、室生川も、大きな石がゴロゴロと転がり、岸辺の植生も荒れていて、
川の流れも時には激しそうです。今は水量も少ないけど、すぐ増水しそう…。

さて、バスを降りて、紅の太鼓橋を渡ると、室生寺です。
山に入っていく感じですね。



石段を登ったところが、金堂。

この中の様子は、よく仏像の本などで見ていたので、改めて実物をお参りすることができ、
やっとお会いできた~と感無量です。
立像なので、後背とのバランスが、なんともいいんですよ。。。

弥勒堂の、釈迦如来坐像も有名ですよね。



そして、伝 北畠親房之墓が奥のほうにありました。
これはまた意外でした。吉野でお亡くなりになったのではなかったかしら。



特別拝観も済ませ、平安初期の五重塔。



初層の扉が四方開け放たれており、中の柱が拝めます。
この寺でもっとも古い建造物で、屋外に立つ五重塔では日本最小です。
深い緑の杉林に、朱塗りの塔が際立ちます。



塔を通過すると、にわかにまた急なのぼり道となり、奥の院へと続きます。



周りは、鬱蒼とした杉の大木。



果てしない急な石段に、ここでも息切れをしながら登りきると、舞台づくりの、奥の院。



意外と柱が細いですね~。



向かい側には、弘法大師の御影堂。

ちょっと建物がほかに見ないような形、屋根も面白かったので、写真取りました。
すぐ後ろには、杉の大木が天を突き、荘厳な雰囲気でした。



本当に、山の中の、古刹、修業道場と来て実感。
帰りもバスは1時間に1本なので、見るべきところを見たら下山しました。

この後は、近鉄乗り継ぎで京都に向かいます。

室生口大野→大和八木→大和西大寺→うまい具合に急行の京都地下鉄乗り入れが来てくれたので、竹田まで行ってさらに乗り換え、近鉄京都駅まで室生寺を出てからおよそ2時間。
まぁまぁのペースでした。

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宇陀1~大野寺・磨崖仏

2010-03-21 01:08:23 | 旅行・参拝
さて、朝は8時前にチェックアウト。
桜井乗換えで、室生口大野駅を目指します。

本日も、悲しいほどに冷え込んでいます。
室生口大野駅から室生寺まではバスで15分程度。
バスが1時間に1本だと既に友人に聞いていたので、事前に時刻表を調べて行きました。

バス時間までは、駅から歩いて5分の大野寺と、宇陀川対岸の磨崖仏を見に行きました。
あまりの寒さに手がかじかんでますけど…。



大野寺は、もともと役行者が開き、のちに弘法大師を経て、大野寺となりました。
磨崖仏は、鎌倉時代のもので、川の対岸(彼岸:弥勒浄土)に現れた弥勒菩薩のお姿です。



その後は再び駅に戻り、近くの郵便局で奈良の記念切手を買い求めたり
(昔から記念切手収集は趣味です~旅先の郵便局は気になってしかたありません)、
暖を取るために(バス代をくずすために?)あったかーい飲み物を買ったりしてバスを待ちました。

いつのまにか、バス待ちの人もそれなりの列になっていました。
さすが、有名な古刹室生寺ですね。
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橿原2~久米寺

2010-03-21 01:00:36 | 旅行・参拝
橿原神宮から、線路を渡ってすぐが久米寺。

久米仙人の開基とも、聖徳太子の来米皇子の開基とも言われています。
西日を背負った、塔がきれいでした。

雪柳も満開で、大きな寺ではありませんが、風情があります。



それにしても、風が強く、やっぱり寒い。
思えば、朝ごはんを新幹線で食べてから、ゴハン食べてないんでした。
いつものことですけど、それも一人旅が修行旅っぽくなる所以でしょうか。
実際、時間もなければ、シーズンオフのためにお店もなかったんですけど。

橿原神宮の駅で、地元和菓子屋さんの、桜餅と豆大福を買って、今宵のお宿の奈良へ
戻りました。



桜餅は、ホテルで夜食にいただきましたよ(^^)

うーん、それにしても、近鉄郡山→JR郡山で乗り換えましたが、このおよそ10分の徒歩が
寒くて厳しかったですね。完全に凍えました。
前も思いましたが、奈良は鉄道事情が不便です…。

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橿原1~橿原神宮

2010-03-21 00:53:36 | 旅行・参拝
さて、タイミングよく橿原神宮行きの特急の切符を買い、待つことなく悠々と一時間弱。
橿原神宮に着いたのは、16時ころでしょうか。

当初、翌日飛鳥を回ろうと思っていたのですが、この時点で既に変更を決めていたので、
まだホテルに行くには早いし、ちょっと寄り道することにしました。

というわけで、駅の裏の橿原神宮へ。



さすがに、大きいです。西に傾きかけた日を受けて、なんか神々しかった(^^)

それに、後ろに聳える畝傍山から、風が吹きつけ、畝傍山から続く常緑樹の森が、
ごぉーっとすごい葉鳴り?なんていうのかな??の音です。



神様、いますね、確実に。



池には、鴨もいっぱい、泳いでいるというか、浮かんでいるというか、流されているというか…。



なんか面白くて、じばらく見入ってしましました。
昔から、なにかしらイキモノに弱い私です…。
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吉野5~吉野山散策・吉野水分神社

2010-03-21 00:37:49 | 旅行・参拝
さて、最初は門前町を通り抜け、しかし道は舗装してあるものの、次第に急な上り坂に
なって行きます。
いつしか家並みは途切れ、まだ芽吹かぬ桜の木々、でも眺望はすこぶるよしです。

しばらく登ったところで、後醍醐天皇御慰霊碑が立っていました。



見晴らし台のように開けたところに、蔵王堂方面…吉野を見下ろすように。
方角がちょっと定かではありませんが、これも北(京都方面)を向いているのかな。

そして、もうほんの少し登った、ちょうど後ろ側に、今度は「大塔宮仰徳碑」が立っていました。



しかし、これは先ほどの後醍醐天皇の碑とは反対方面を向いて立っているんです。
つまり、背中合わせ。

最期は、親子間の行き違いで、大塔宮は鎌倉に送られてしまうのですが、
なんとなくそれを象徴しているような気がしてしまいました。
父親に、見捨てられた気がしたんだろうなぁ…。かわいそうに。

そんな大塔宮の碑の近くに、ちょっとだけ桜が咲いていましたよ。



青々とした芝に、薄紅が映えてきれいですね。

さて、ふっと気を休めたのもしばしのこと。
延々と続く坂道で、実はかなり息も切れております。

このあたりからは、さらに本格的につづら折りの山道。
でも振り返れば、蔵王堂から今までたどってきた道が、はるばると見下ろせるのがちょっとした満足感。

先ほど行った如意輪寺も、遠くに見えました。



それにしても眺めがいい。
下から登ってきた、和泉ナンバーのベンツが、急な勾配のヘアピンカーブで車体のおなかを
こすって、ガリガリいっています(--;)



そんな急な坂道の途中でも、源義経の山越えエピソードの舞台となった場所と、
立て看板が立っていたり、こんな斜面で戦ったのかぁ~と自分を鼓舞してがんばります(^^;)

そして、やっと朱塗りの鳥居が見えました。。。



なんとも、風情のある、たたずまい。

鳥居の向かいには、民家があります。このあたり、小集落になっているんです。
神社を護ってきた人たちなんでしょうか。

でも、やっぱり神社にはだぁれもいません。
ひっそりとして、苔むしたたたずまいが、長い年月を経てきた歴史の風格を感じさせます。

ここで聞こえるのは、鳥のさえずりと、社殿の奥の林が風に鳴る音のみ。
風は結構強かったので、ざわざわ、ざーっと割と激しい音です。



桜の幹も、階も、すべて苔むしていて、やっぱり、なんというか「気」がいいですね。



すごく疲れたけど、これをみたら疲れも吹っ飛びました。
さらにこの奥にも道は続きますが、今回はここまで。

次回、さらに奥の金峯神社や西行庵に行きたいと思います。



さぁ、あとはもと来た山道を下るのみ。
下りは、サッサと足が勝手に出てくれるので早いのですが、膝にフタンが…orz

金峯山寺の横を通過し、スタート地点のロープウェイ乗り場に、
発射時刻ギリギリにたどり着きました。
だって、コレを逃すと、30分待ち、さらに下の近鉄線も本数がすくないので、
正直最期は坂を駆け下りましたよ~。

これで、初めての吉野散策は終了です。
桜の時期には人が溢れてにぎにぎしくなるのかと思うと、じっくり風情を味わいたい人には
シーズンオフがあっているのかもしれません。







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吉野4~如意輪寺・後醍醐天皇陵

2010-03-20 02:38:09 | 旅行・参拝
さて、吉水神社を出てからが、長かったです。

最終的には、吉野水分神社と如意輪寺に行く予定で、どちらが先でもよかったんですが、
2か所がここまで離れていようとは(^^;)。方向もまったく違うし。

結論、大雑把に言って、如意輪寺は、谷を挟んで金峯山寺側の尾根?とは反対側にあります。
谷をぐるりと迂回する感じで、花にはまだ早い山沿いを延々と歩きました。

先の見えない、道路が続く、山道…

車も、人も見えません…(--;)



さっきまでいた、金峯山寺蔵王堂の大きな屋根が、春霞にけぶって、はるかかなたに見えます…。
ずいぶんと歩いたもんです。もしや職場のランチタイムで、持久力が鍛えられている!?



ちょっと疑いたくなったあたりで、ようやく如意輪寺の案内看板登場…信貴山奥の院で、
ひどい目にあった経験があるので、ようやく安心できました(^^;)

さて、如意輪寺は山間にひっそりとあります。



後醍醐天皇の信仰が厚かったそうで、裏手には後醍醐天皇陵があります。
もちろん、お参りしてまいりました。

この階段の上、木々に包まれて後醍醐天皇陵があります。



普通、天皇陵は南面していますが、後醍醐天皇陵は、北面…つまり、京都の方を向いているわけです。

後醍醐天皇が、亡くなる際、こう言い残したからです。
以下、角川文庫の太平記からの抜粋です。

…ただ生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を亡ぼして、四海を泰平ならしめんと思ふばかりなり。…(中略)…
玉骨は縦(たと)ひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。



足利幕府を倒して京都に帰るという悲願を果たせず、吉野で病死した後醍醐天皇なのでした。

さて、再び、如意輪寺へと戻ります。
ここにも、「御用の方はベルを押してください」(^^;)
ホント、今回はマイワールドな旅です(^ω^)
でも、こういう悲しい史跡をめぐるに丁度いいですね。

さて、楠木正成が湊川の合戦におもむく前の、息子正行との別れの場面が石像になっていました。
俗に言う、「桜井の別れ」でしょうか。



如意輪寺で、もうひとつ見逃せないのが、楠木正行の辞世の句を刻んだ扉です。

楠木といえば、何よりの帝の忠臣。
正行の父正成は、足利尊氏が九州から都に攻め上ってきた際、それを抑えるべく湊川にて、弟正季と討ち死にしています。
それで都を足利に取られ、後醍醐天皇は吉野に逃れてきたというわけです。

楠木の尊王の精神は、その後もしっかりと一族に受け継がれていっています。
南朝と、足利幕府との争いはその後も絶えず、1346年、高師直が吉野へ攻めて来る際に、正行はこれを向かい討つべく出陣します。

そのときに、勝てる戦ではないと分かっていたので、後醍醐天皇陵にお参りし、
後村上天皇(後醍醐天皇の皇子:義良)に別れを告げに吉野を訪れました。

そのときに、辞世の句を如意輪堂の扉に彫り付けたものが、今も残っているのです。

辞世の句

かえらじとかねておもえば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる

大意は、再び帰れないと思うので、亡くなった人の仲間入りをする名前を書き残していきます…というものです。
決死の覚悟が伝わるとともに、やっぱり悲しいですね…。

ちなみに、このときまだ23歳…今の感覚とは違うとはいえ、信じられない世の中です。。。

ほかにも、宝物殿の中には、楠木正行のエピソードを絵にしたものや、彼の刀、兜
など、貴重なものが展示されています。

お庭には、すごく立派な枝垂れ桜の大木も。
ここの宝物殿には、唯一という桜の木で彫られた蔵王権現像もあります。



さて、ひとしきり南朝に思いを馳せた所で、元来た迂回路を戻るのも面白くないので、
谷超えルートで、如意輪寺方面と奥千本方面との分岐点に戻ることにしました。



…が、さすが谷超え、あたりまえですが、下ったら当然上る…キツイ(^^;)
鶯や鳥のさえずりと、小川のせせらぎのもたらす、自然の超癒し効果にも反して、かなり厳しい行程でありました。

次は、吉野水分神社を目指します。…が一体、どれだけ…。

すでに、地図の目測にだまされないだけの経験は積んでおります…。


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吉野3~吉水神社

2010-03-20 01:28:29 | 旅行・参拝
ひっそりとありました、これも世界遺産です。
ひとっこ一人いません。さすがシーズンオフ。

ちょっと、朽ち果てたような、哀愁ただよう空気。
もともとは役行者の庵室跡だったそうです。

拝観したくても、だぁれもいないので、「呼び鈴を押してください」の張り紙のとおりに押してみると…。

おっと、表から、なにやらとても綺羅綺羅しい神主さんがやてきました。
ちょっとドキドキしてしまいました。



中に入ると、中には録音の解説案内が流れていて、ありがたいです。

桧皮葺、入母屋造りの最古の書院建築だそうで、本当によく残っていてくれた、と感動してしまうほどです。
これは、多分実際に中に入って見ないと、体感できないことだと思います。ぜひ!!

表から見たのでは想像できないほど、中は入り組んで広いのもまた驚きでした。

まずは、源義経と静の潜居の間があります。横には弁慶思案の間も!
都を追われた義経は、吉野で静と別れ、奥州へと落ちてゆくのでした。

本当に、静かで、鳥のさえずりと、下を流れる谷川の音だけしか聞こえません。

そう、入り口側からは気付きませんでしたが、谷の斜面にせり出すように立てられた、高床式だったのです。

窓からは、対面の山の斜面、中千本の桜が美しいそうです。今はまだ冬枯れていますが、まもなくでしょう。

次の間は、後醍醐天皇の玉座の間。

後に豊臣秀吉が、花見の際に修理し、今は桃山時代風の書院になっています。
それにしても、帝の玉座にしては、やっぱりひっそりとして寂しいですね。

こんな歌がありました。

花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音

本当に、先ほども書いたとおり、鳥の声と川の音しか聞こえません。

そして廊下を進むと、次は美術品の展示。

後醍醐天皇の筆によるもの、義経の鎧、後年の秀吉花見の時のもの。
どれも興味深く、空間を贅沢にも独り占めして、じっくりと拝見させていただきました。

廊下から、お庭を眺めるとこんな感じです。
なんとなく、空気に沈丁花の花の香りがします。



最期は、秀吉が花見の本陣として、数日間滞在したというエピソード。
秀吉って、お花見大好きだったんですねぇ(^^;)
醍醐寺とか、竜安寺にも花見の記録がありますもんね。

悲しい歴史ばかりのここも、このときばかりは華やかだったんでしょうね。

時代を超えて、今も残る吉水神社、忘れられない場所になりました。
多分、また来てしまうと思います。

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吉野2~金峯山寺

2010-03-20 01:19:54 | 旅行・参拝
さて、ロープウェイを降りて、なだらかな坂を上っていきます。
まずは黒門をくぐり、ココからいよいよ本格的に吉野山!

まず、大きな銅の鳥居があります。
これ、聖武天皇が、東大寺の大仏を作ったときに残った銅で作ったとも言われるもの。
俗世と浄土を隔絶する鳥居です。



そして、巨大な金峯山寺の仁王門が見えてきます。国宝です。
石段の上にそびえる仁王門は圧巻。



すでにに仁王門から、谷状に山の連なる吉野の風景が俯瞰できます!
…ずいぶん遠くに来てしまったような気がします…。



そして蔵王堂。これも国宝。とにかく巨大!!さすが世界遺産。

役行者の修験道の総本山で、蔵王権現が祀られていますが、蔵王権現の公開は今年は
9月から11月まで。今は緞帳の向こう側でした。



でも中の拝観は、する価値ありです。
聖徳太子孝養像というのがあったのですが、目線の鋭さと、今にも足を一歩踏み出しそうな
リアルさが、とにかく印象的でした。

ちょうど中では祈祷が始まり、なんというんでしょう、法螺貝?を吹き、まさに修験道なご祈祷でした。
ちなみに、吉野といえば桜ですが、蔵王権現の聖木として、桜の植樹が盛んだったそうです。

そして、蔵王堂の正面には、四本桜。
こここそ、1333年、後醍醐天皇皇子、大塔宮護良親王が、鎌倉幕府と戦った際に、
死を覚悟して最期の酒宴をされた場所なのです。

そもそも今回の吉野訪問の発端は、太平記と南北朝時代に興味を持ったのがきっかけなのです。



この酒宴の後で、大塔宮の身代わりとなって、村上義光は腹を切るんですね…。
そのおかげで大塔宮は高野山へと脱出してゆくわけです。

びっしりと、苔むした石碑にも歴史を感じます。



さらにそこを突っ切って、階段を下りると、吉野朝宮跡の妙法殿。
このあたりに、南北朝四代の皇居があったんですね。



最後に、四本桜の反対側から、もう一度蔵王堂を眺めます。



さて、それにしても、若干地理感がなくなってきました。

細長く、山の上に奥へ奥へと続いているような吉野の地形…。

でもなぜか難しいです。
なんか、一本間違えると、とんでもない方向へ行ってしまいそうな危機感があります。

そして天気は回復したものの、とてつもなく、寒い…。
次の目的地は吉水神社です。


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吉野1~吉野入山

2010-03-20 00:46:55 | 旅行・参拝
近鉄の吉野駅です。

京都から、本当に遠かったです。
8時11分に京都を出発したのに、吉野駅に降り立ったのは、11時近く…。
途中、大和西大寺から橿原神宮まで特急も利用したというのに~。

…というのも、午前の関西の天気は、寒い雨空。
乗り換え駅で待つ間も手がかじかみ、特急チケットを思わず買いました(^^;)
全席指定だし、あったかくて極楽でした。

でも、橿原神宮から吉野までが長かった…。
山道を行く電車の旅はとても楽しかったんですけど。
(当日の日記参照^^)
ガタンガタンという、山道特有の揺れと、ビリビリ窓が震えるような振動。カーブも多いしね。
(実家のほうの電車がまさにこんな感じですので、懐かしくて心地よいのです~)

それにしても、どんどん山の中に分け入っていく感じです。
谷間の沢沿いの線路です。

古くは山岳信仰の修行道場、そうやすやすと辿り着けないのも当たり前ですか…。

そして、都を追われた人たちが隠れたり、移り住んだのも納得なのでした。
でも、都の人から見たら、遠いし、険しいし、山奥だし、寂しいし、さぞ心細い思いをしたんでしょうね。
「落ちてきた」という惨めな気持ちと、いつか都へ…と思う気持ちで過ごしたのかな。

さて、前置きが長くなりましたが、近鉄吉野駅は山の谷間。



降りてすぐ前方に、ロープウェイ乗り場があります。
シーズンオフのためか、寂しい感じ…。
ちなみに、1時間に2本。往復で600円です。



イヤハヤ、それにしても年期が入ったロープウェイです(^^;)
柱とか、ケーブルがね、なんかいい感じに…スリリングです(^^;)
もちろんちゃんと整備されているはずです。
ふと通過する際に柱を見たら「昭和3年建設」の文字。
うーん、こんなところでも歴史を感じました。
所要時間は5分程度です。
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