か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

さあ、胡弓を聞こうじゃないか。・・・原理主義林彪はぼける前の毛沢東に消された

2013年02月10日 | 旅行

ちょっと歴史の話をしますから興味ない方は20行ぐらい読み飛ばしてください。

林彪は、北伐戦争と南昌蜂起を経て、最初のゲリラ根拠地である井岡山(江西省西部の山岳地帯)に立て籠もった。大長征に参加し、延安時代には紅軍大学、抗日軍政大学の指導者として幹部養成に貢献した。日中戦争期には平型関戦役の勝利にも功績があった。

革命活動の初期から毛沢東のもとで働いたために、重要な役割を与えられたわけである。やがて林彪は中国の副主席にまで上り詰めるが、アメリカ帝国主義のいちづけにおいて長年の戦友たる毛と対立する。林彪はソ連修正主義ともアメリカ帝国主義とも戦えという考えだ。中国人民の革命精神の前にはなにも障害はないという原理主義を展開した。

威勢のいい原理主義にはバカがあおられて舞い上がるが問題は成果である。負けては元も子もない。

林彪はソ連に亡命を図るがモンゴル上空で墜落死する。米ソ二正面作戦は無理だと判断した毛はアメリカと妥協する。アメリカ帝国主義を張子の虎だと非難する北京放送はその日のうちに態度を変え、国交回復の祝賀キャンペーンを始めた。まず対ソ、ダマンスキー島国境紛争の解決を図る。一番驚いて理解できなかったのは佐藤栄作だ。

そのあと、林彪となぜか孔子に対する批判が熾烈を極めた。批林批孔だ。

生前林彪は杭州に自分の隠れ家をつくった。林彪の地下別荘といわれるものだ。

毛沢東を打倒して自ら中国の大統領になることを企んでいた林彪は、起こるかもしれない戦争のために自分の杭州にある別荘の下に大きな防空壕のような施設を建てた。

地下別荘と言っても地上にはホテル並みの施設があり、実際林彪は戦後そこで療養している。

===

僕はそこに泊まった。西湖の西側にある。2階建ての落ち着いたホテルになっている。何十回建てだと高いのを競うのはバカが高いところに行きたがるのと同じだ。朝、2階から眺めると太極拳をしている人がいた。暗い売店や廊下に姑娘だけはごろごろいるがHYATTにいるような話しやすい人はいない。なんか警戒心を感じる。

日本の田舎者は歴史的意味を考えずただただ豪華さに酔う。そしてこんな古びていても歴史的価値のあるものを一顧だにしない。僕は外に出て太極拳をしている人のそばでまねごとをした。ずーっと無視されたままだった。

市内のホテルはたいていすぐ横が駐車場になっている。豪華なクルマの周りには明らかにやくざと分かるのがたむろしている。庭なんてゆとりはない。

かかわりあうと命がない。ここは中国なのだ。日本や韓国ではない。ところが僕は失敗した。ホテルの入り口に黒いマントを着て立ちはだかっている人がいた。滑稽でもある。みんなの邪魔になっているからどけと言った。若い時は怖くなかったけどこの頃は怖い。

その男はさっとよけた。これが危ない。チンピラはリトマス紙のようにその時反応するが、プロはエネルギーを使わず能率よく巻き上げる。

僕は空港へ逃げた。黙っておくべきだった。

Posted at 2013/01/05

最新の画像もっと見る