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鉛蓄電池を使った電気自動車はベンツとその歴史を同じくする。世に出ているモーターの数を考えたら自動車の比ではない。つまり、歴史的にもその規模においても極限と言っていいほどモーターの研究は煮詰まっている。
あと問題は駆動装置以外の部分だ。自動車屋は言う。100年近いノウハウが詰まっているんだ。簡単にマルチリンクサスが作れてたまるかと。
自動車評論家が受け狙いの記事を書いていた。よくクルマを知らない人が評論家ができるな。日本のクルマ文化の伝統のなさを感じる。クルマは機械工学であると同時に経験工学である。実際の走行からクレームをつねに設計製造にフィードバックさせてきた蓄積が東レにあるはずないと言っていた。
こういうことを言われるとメカ好きは拍手喝采する。
たしかに、日産がレシプロエンジンについて積み重ねた膨大なノウハウを東レはモーターについて持っているとはいえない。しかし車屋は自分の子分達をなめてはいけない。今のような不況に陥るたび下請けは天才的なひらめきを持ってコストの壁を越えてきたのだ。そこに詰まった膨大なノウハウは日産のものではない。今やマルチリンクサスの一本すら日産製はないだろう。
電気自動車づくりにおいて両者のスタートラインにたいした違いはないと思う。
たかが20年とか30年とかクルマに乗ったからと言ってクルマの専門家気取りになってはいけない。せいぜい言えるのはライトの位置とかコンパネのデザインとかをグダグダ述べるだけだ。それに食いつく多少のアホがいるにすぎない。
僕自身は、こういった青や黄色の芋虫の上に人が乗って音もなく疾走する姿は見たくない。