とっちゃんじいじの日記

趣味を中心とした題材で写真入りでの日々の出来事を記録にと四季折々の風景や花々を訪ねその時の写真を掲示と励んでいる。

古きものを残す難しさ!されどそれを現実のものとした人達は立派!

2018年01月21日 22時56分59秒 | 日記
今日の法事に訪ねた家の地区は名古屋市の「文化のみち」と称され、大正時代の古き建物が幾つも存在し保存されかつ無料解放されている。
驚くなかれ道路を挟んだ真向かいには我れの住む刈谷市に縁ある発明王と言われた自動織機の発明者である「豊田佐吉」の実弟「豊田佐助」の旧邸宅があり帰り際に外観と庭だけホンの少し覗いてみた。
その隣に陶磁器の貿易商の「春田鉄次郎」邸がありその中にあるレストランで昼食を頂いた。
ナイフとフォーク老人には慣れない手付きで順序良く出て来る皿の料理に目を見張り美味しく頂いて来た。この建物も大正12年の築90年経過していると聞かされ違った雰囲気でまた新たな良き話ネタがひとつ出来た。
所在地の主悦町(ちからまち)の名の由縁も調べてみれば極近くに税務署があるのも納得した。
名古屋城から徳川園までの間に文化のみちエリヤが他にもあると知り、今度はぶらっと暖かくなればカメラを持って訪ねてみたいものだと考える。


















レストランで出た料理やデザートの一部



妻の叔父の一周忌に参列する

2018年01月21日 21時33分17秒 | 日記
今朝遅めに家を出た。
名古屋市内の妻の母の妹のご亭主が亡くなって早や一年が経とうとしている。
その一周忌の法要に娘の運転する車に乗り家族ぐるみで参加した。
後期高齢者の我れは最近慣れない場所への運転は気疲れ易くなっているが娘の車で大いに助かった。
近くの親戚のみの法事であったが大寒のこの時期にしては過ごし易い日でもありお寺さんの丁寧な有り難いお勤めに故人を偲んで心静かにお参りさせてもらった。
お勤めの最後に話されたお寺さんの言葉が心に残っている。
日頃知人達との話題の中で故人となれば、どれだけ親しく付き合っていたとしても時が経つにつれ自然と忘れられて行くものだ 故に生きている間を大切にと言い合っていた。
しかし今ある自分は故人との関わりあったお陰だと思う感謝の気持ちを忘れない事の大切さを諭されたように感じた。
我が両親が逝きかなりの年月が経過し我れもその歳に年々近くなって来ているが、改めて親の有り難さを思い出させてくれた本日の法要でもあった。

妻のスマホ内の写真をみて今日偶然見つけた妻の母の両親の在りし日のツーショット写真




ふるさと納税の返し品が食卓に上がる

2018年01月20日 21時30分19秒 | 日記
娘が北海道のある都市に故郷納税をしたと聞かされた。
昨日そのお返し品が届く。
クール便の箱の中身はズワイガニ3匹
今晩はそのカニがひとり一匹づつ皿に置かれてており静かな夕食が始まった。
一般にカニを食べているときは言葉を交わさずただひたすら丁寧にカニ肉を取り込み中になってしまう
まさにその通り聞こえて来るのは誰も視ていないテレビの音声のみだ。
今日の午後参加した山草会の新年会で仲間の一人が話してた先日蟹食べ放題の店に行って腹いっぱい食べて来たと笑っていたが今夜の我れは一杯の蟹で満足だ。
たまに妻が冷凍の蟹を酒の肴にと買い求めて来てくれるが、今晩の蟹の美味しさは格別であった。
故郷納税とはそれぞれの出生地や育ったとか何らかの縁ある地域への恩返しを兼ねた寄附だと理解していたがそうでないみたいだ。
各地のお返し品目当ての寄付が多いそうだ。
少し前に話題になったがエスカレートして行く各地役所のお返し品の競争合戦が問題になっていた事を思い出した。
ところで我が刈谷市のふるさと納税へのお返し品は一体何だろうか まったく知らない?

今朝のメジロ

飽き来ないメジロの姿に癒やされる

2018年01月20日 15時51分03秒 | 日記
毎日平凡な日を送るなか置きミカンに寄り付くメジロを炬燵に入って見ていると自然と心が癒やされる。
知人が前触れ無しで突然顔を見せメジロの姿をみに我が家を来訪する気持ちが理解出来る。
一人暮らしで気分すぐれない寂しさが募ると訪れるのかも知れない。
今度我が家に顔を出すのは何時の日になるのかな?








明日はふたつの集まりがある日だ

2018年01月19日 21時36分31秒 | 日記
ここ数年老いて来るに連れて「・・・のある日」と決められた行事に参加する事が辛くかつ億劫になって来た。
意識の低下傾向と体力の衰えも大いに影響していると自覚するが
数年前までは考えられ無かったが最近特にその傾向が顕著に出ている。
趣味である我れの好きな事柄以外は何時も辞退遠慮したいと口に出しては妻に諭される回数が増えて来た様だ。
明日20日は毎月一回の早朝から地元神社の清掃に昼には山草会の集まりとふたつの行事が控えているが参加しなければいけないと自問自答の今日である。
嫌々でも参加すれば多くの知人や仲間達との交流も深まる事は頭では十分過ぎる程理解出来るのは承知している。
しかし行きたくなくなる症候群は周りの高齢者も同じ様である。

2016.1.20は積雪ある朝を迎えた



2月3月の花は菜の花と椿かな・旅プランを練る

2018年01月19日 18時50分30秒 | 旅行
春花見と言えば伊豆半島の河津桜がまず挙げられる。
しかし2月に入れば渥美半島の菜の花まつりそして一度は訪ねてみたいと思っている伊豆大島の椿まつり
その椿まつりの期間は1月28日から3月25日迄とあり、発売されれば2018年春版の青春キップが活用出来そうだ。
名鉄刈谷市駅からJR刈谷駅・浜松駅の乗り換えで熱海駅に到着
その後大島までの運航船乗り場まではバスかタクシーを利用
乗船し大島着後の観光は島内観光のひとつを選ぶか、或いは一般のバスを活用するか
また日帰り旅か宿泊してゆとりある旅を選ぶかと選択肢が多い。
遊び感覚であれこれ行った心算の企画も楽しいものである。
観光行程や時間・乗降場また運賃等下調べも関連し考えて行くとボケ防止対策にもなっている。
身近な菜の花観賞は愛知牧場で椿は幸田町の本光寺で毎年満足し訪ねて来たが、今年は少し冒険心も燃やしたいものである。

椿ではないが 山茶花

明日は大寒だと・・・

2018年01月18日 18時50分46秒 | 日記
一年で一番寒い時期に入る明日20日は大寒である。
大寒の期間は明日から2月3日立春までと言われているが今日の暖かな事
高齢者には寒いより暖かい方が良く過ごし易いものだ。
このまま春になればとは思ってもいないが、これから雪の降る日もあり凍えそうな寒さも来そうで避けられない季節である。
三寒四温の言葉通りに春を迎える事になるのはまだ先の様だ。
本日午前中に訪ねた公園にはカメが甲羅干しをしているのを目にしたが、我が家の亀はただ今室内で冬眠中である。
外から帰れば手洗いうがいと風邪を意識し励行中であるが今のところ健全な毎日を送っている。
午後知人が我れの顔とメジロの姿をみに訪ねたと一時間強滞在したが帰られた後即ウガイだけは行った。
高齢者は風邪やインフルエンザに罹り肺炎を併発し易いと聞いている。
備えあればたたりなし。風邪には十分気をつけよう!











この暖かさに期待し訪ねてみた

2018年01月18日 15時12分17秒 | 日記
昨日終日降った雨も止み
今朝は暖かな陽射しの中新しいミカンに寄るメジロの姿が入れ替わり見られる。
運動不足だと言う妻を乗せ車で5分程の隣町の公園「於大公園」へ出向いた。
妻はウォーキング我れは公園奥の小さな花壇の福寿草の開花を確かめにとそれぞれ目的が違うが良い散歩になる。
数年前まではここの福寿草も勢いがあって数年経てば小さいながらも見栄えする群落になるのではと期待していたが数が減り貧弱な様相を見せている。
数えられる程の蕾のなかで一つだけ咲きかけているのが見られた。
完全に開花すれば太陽に向かって黄金色の花びらがまぶしくみえ見ているだけで温かさを覚える。
残りの蕾はまだ固く開花を見るにはまだ先の様だ。
この花を見ると松本市在住の時に春3月になると毎年訪ねた志賀地区の大群落を思い出される想い出花である。


腹が減っては元気も出ない

2018年01月17日 18時39分47秒 | 日記
今朝から降り続いていた雨も終日止みそうにもない昼間の空模様だった。
それでも朝から濡れながら置きミカンに寄るメジロ達
雨ざらしの水ぽくなっているミカンでも腹に入れなきゃ元気もでないものだと言わんばかりに
流石にまずいのか日頃ほど取りつきが良くない。
それでも一度は5・6羽一斉に飛んで来たのには驚きだ。他所に餌が無いのかメジロ通しのバトルが始まり炬燵からその様子を面白げに見たがホンの数分で総べて飛び去ってしまった。
外を眺め退屈な一日を炬燵の中でラジオ聞きながら新聞読み妻と世間話をしながら一日が暮れた。
何もしなくとも腹は減る10時と3時にはティータイム昼には食事と人間様も腹が減っては元気も出ないものだ。
結局今日一日平穏だったと言えば聞えが良いが老人らしい生活何もしなく炬燵で時間をただ過ごした。
それでもカメラを手元に置き飛んで来る鳥の撮影だけは忘れない。

メジロを始めとする野鳥たちを眺める我が家のステージ

メジロ

山鳩

ヒヨドリ

最後の一株になったが花芽が見える胡蝶蘭

2018年01月17日 17時04分49秒 | 日記
この地刈谷市に住まいを置いて丸17年に近々なる。
その時新築祝いとして頂いた胡蝶蘭がきっかけで温室なし室内での栽培に凝ったものである。
特に冬場の寒い季節には少しでも太陽に当てる様毎日鉢の移動もこまめに動いたのも過去の話となっている。
花屋で花の盛りを終えた鉢を超格安で買い求め一時は20鉢程にまで増やし毎年花を咲かせて楽しんだことも想い出となってしまった。
胡蝶蘭も種や株分けで殖やす事が出来ない欠点があり素人の栽培では年々枯れ死滅して行くのみでそれをみる度に嫌気がさし今では残された一株となって仕舞った。
ここ数年植え替えもせずただ水遣りだけの栽培でも昨年に続き今年も花を見せてくれそうだ。
俗ぽい言い方で人間世界では「死に花を咲かす」と言う言葉があるが今年が最後とならずぜひ生き延びて欲しいものだ。
もの言わない植物であるが10数年も長く我が家で花を見せてくれていたものが死滅するとなると寂しいものだ。