平成22年7月2日、三年前に完成した和歌山県有田郡広川町の「稲むらの火の館」に行ってきました。
勝海舟や福沢諭吉など、幕末から明治にかけて活躍した偉人は、誰でも知っています。
しかし、同じ時代に、今のヤマサ醤油の7代目の当主で、村人を巨大津波から救った浜口御陵の実話をもとにした「稲むらの火」という話は、あまり知られていません。
政治の表舞台には現れませんが、津波の被害による雇用喪失を堤防建設事業で救い、村を復興させた浜口梧陵は、まさに防災対策の原点ともいえる事業を実行した人で、今の社会に通じるものがあります。
平成23年3月11日14時46分に発生した東日本大震災による津波被害はまさに「想定外」!
被災地復興プロジェクト・・・・どのようなシュミレーションで町を復興させるのか?
「稲むらの火」の話は、古い小学校国語教科書に採用されていました。年配の方なら憶えておられる人もあるのではないでしょうか?
その話が、今、また国語の教科書に復活するようです。お楽しみに…
今回は、ブログにリニューアル投稿しましたので、「稲村の火」の要約版をご紹介します。
稲むらの火 五兵衛は浜口御陵その人です!
「これは、ただ事ではない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て来た。
五兵衛は、自分の家の庭から、心配気に下の村を見下した。
村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。
波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
「大変だ。津波がやって来るに違いない。」
と、五兵衛は思った。
「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出して来た。
そこには、取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。(「稲むら」といいます。)
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」
と、五兵衛は、いきなり其の稲むらの一つに火を移した。
火の手がぱっと上がった。
五兵衛は夢中で走った。
自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、まるで失神したように、彼は沖の方を眺めていた。
日はすでに没して稲むらの火は天をこがした。
「火事だ。庄屋さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出し、老人も、女も、子供も続いた。
やっと二十人程の若者が、かけ上がって来て火を消しにかかろうとする。
「うっちゃっておけ、大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
「見ろ。やって来たぞ。」
五兵衛の指す方を一同は見た。
遠くの海の端に一筋の線が見え見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ。」
と、誰かが叫んだ。海水が絶壁のように目の前に迫った。
人々は自分達の村の上を荒狂って通る白い恐ろしい海を見た。
二度三度、村の上を海は進み又退いた。
一同は、波にえぐり取られて跡形もなくなった村を、ただあきれて見下していた。
稲むらの火は、風にあおられて又燃え上がりあたりを明るくした。
初めて我に返った村人は、この火によって救われたのだと気づくと、無言のまま五兵衛の前にひざまずいてしまった。
(おしまい)
この度の東日本大震災により、いまだ行方不明の方を含め多くの犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
一日も早い復興の日が来ることをお祈りします・・・・・・