拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

フォロ・ロマーノ(ローマ/イタリア)

2012-05-01 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


2011年10月に訪れた、フォロ・ロマーノです。


紀元前6世紀から紀元3世紀にかけて、ローマ帝国の政治、経済の中心地だったと言われています。


西ローマ帝国滅亡後は人々に忘れ去られていたものの、19世紀以降に本格的に発掘作業が進められ、現在に至ります。


この遺跡の前に立つと、カエサル(ジュリアス・シーザー)の時代を、思わず想像してしまいます。

コロッセオ(ローマ/イタリア)

2012-04-30 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


2011年10月に訪れた、ローマのコロッセオです。

いつもと違うアングルでと思い、フォロロマーノ側から撮った1枚です。

最近はメジャーな観光地で入場待ちする行列がとんでもないことになっていますが、このコロッセオも週末の昼間に行ったところ1時間以上の長い行列が出来ていました。

12年前の夏に訪れた時には、平日の昼間ということもあってか、殆ど並ばず入れ、中でギター片手に歌えたのですが。。。


2011年秋時点の情報で、フォロロマーノとコロッセオの共通入場券を持っていると、チケット待ちをしている列に並ばずに入れます。

共通入場券はフォロロマーノでも購入でき、そちらの列はこの時も5分待ち位でした。


また2011年夏の情報で、ローマパスを持っていると、別の入り口から入場ができるようです。
(※入場制限やルール、入場料等は、よく状況が変わるので、最新情報を要確認です)

ポンペイの円形闘技場(ポンペイ/イタリア)

2011-10-11 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


ポンペイ遺跡の外れにある円形闘技場(Anfiteatro)です。

ローマのコロッセオと比較するとかなり小ぶりですが、この闘技場が建設されたのは、ローマのコロッセオ完成の約100年前となる、紀元前80年と言われています。

全ポンペイ市民を収容できる、1万5千人程度が収容力だったようです。
(ローマのコロッセオは最大約4万5千人の収容力)

11年前に訪れた際には、客席にも上ることができ、最上段からポンペイ遺跡を見下ろす眺めがよかったので、今回もそれを楽しみに、広大な遺跡の外れまで頑張って歩いたのですが、2011年9月初旬に訪れた際には、残念ながら客席は立ち入り不可になっていました。


ポンペイ遺跡は比較的痛みが激しい為か、前回訪問時には入場できた場所でも、今回立ち入り不可となっている場所が多くありました。

ポンペイのフォロ(ポンペイ/イタリア)

2011-10-10 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)

約2000年前に栄えたポンペイ(Pompeii)の政治経済の中心だったフォロ(Foro)です。

最盛期には約1万5千人の人々が暮らしたと言われるポンペイですが、廃墟となったこの広大な遺跡を歩くと、当時のこの町の繁栄ぶりがよくわかります。

フォロの背後に聳える山は、西暦79年の大噴火によってこの町を埋没させたヴェズーヴィオ山(Monte Vesuvio)です。


ポンペイの遺跡は、ユネスコの世界遺産にも登録されています。



サンタルチア(ナポリ/イタリア)

2011-10-09 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


同名のナポリ民謡で知られる、サンタルチア(Santa Lucia)の港です。

同曲が作られた頃は漁村だったそうですが、現在はヨットやボートが集まる波止場&ナポリを代表する観光スポットで、9月初旬に訪れた際には、海水浴をしている地元民も多くいました。
(ちなみに近辺の海はそんなにキレイではないです。苦笑)


同曲の歌詞にある、自分の船に乗って夕涼みをするように、自分のボートを出して、夕涼みに出かけるジモピーもいました。



サンタルチアの背後に聳える大きな山は、西暦79年の大噴火でポンペイの町等を埋没させたことで知られる、ヴェズーヴィオ山(Monte Vesuvio)です。


今なお活火山として知られるこの山は、最後に噴火したのが1944年。

1880年に山の火口まで伸びる登山鉄道の開通を記念して作られたのが、有名な「フニクリ・フニクラ」(日本では同曲の替え歌である鬼のパンツでも知られています)で、同登山鉄道もこの1944年の噴火で壊されたとか。(その後1990年に復旧)


ナポリの歴史を見守ってきたこのサンタルチアを前すると、思わずナポリ民謡を口ずさみたくなります。

ヌオーヴォ城(ナポリ/イタリア)

2011-10-08 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


ナポリ王宮の隣に聳え立つ、ヌオーヴォ城(Castel Nuovo)です。

1284年にこの城を建設した、当時のナポリを支配していたアンジュー家が、それまでのナポリ王の居城だった卵城から移ったのが始まりと言われており、現在の外観になったのは1443年のアルフォンソ一世の時代なのだとか。

重厚な門構えの正面入り口は、アルフォンソの凱旋門と呼ばれています。


ヌオーヴォ城とは、これまでの卵城に対する「新しい城」の意味で、卵城や王宮、ヌオーヴォ城を含めた一帯のナポリ歴史地区は、ユネスコの世界遺産にも登録されています。


ナポリ港のフェリー乗り場(Molo Beyerello)&マリッティマ駅(Stazione F.S. Marittima)から徒歩すぐです。

卵城(ナポリ/イタリア)

2011-10-08 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)



サンタルチア港のランドマークである、卵城(Castel dell' Ovo)です。

12世紀に時の支配者ノルマン王により建設され、13世紀にアンジュー家の居城として使われていました。


かなり小さい城ですが、城の名前の由来になっている、城の基礎に埋め込まれた卵が壊れると、ナポリの町が滅ぶという言い伝えがある程、軍事的に重要な拠点だったようです。


現在では、この卵城へと続くサンタルチア港を望む海岸通り(サンタルチア通り)近辺は、いつも地元民や観光客で賑わっており、ごちゃごちゃとした駅前や下町のスパッカ・ナポリと違って、明るく開放的な雰囲気があり、高級ホテルや高級レストランも、比較的多くこの界隈に集まっています。

ポジターノの町(ポジターノ/イタリア)

2011-10-07 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


船上からみたポジターノの町です。

アマルフィの町と並ぶ、アマルフィ海岸の中心拠点で、イタリアを代表する人気高級リゾート地になっています。

断崖の上に折り重なるようにして建てられたアマルフィ海岸の各都市は、何と言っても海側からの眺めが最高ですが、その中でもアマルフィ~ポジターノ間の海路は、南イタリアに滞在する機会があれば、ぜひ1度訪れる価値のある素晴らしい景観だと思います。


アマルフィ~ポジターノ間は船で約30分程で、夏季にはナポリやカプリ島、サレルノからも船が出ています。


アマルフィのドゥオーモのパイプオルガン(アマルフィ/イタリア)

2011-10-06 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


いつものように自分が教会を訪れると、必ず探してしまうパイプオルガン。

アマルフィのドゥオーモのパイプオルガンは、豪華な装飾に彩られていました。

アマルフィのドゥオーモ(アマルフィ/イタリア)

2011-10-05 | 旅フォト(イタリア・サンマリノ)


10世紀に建立されたと言われる、アマルフィのドゥオーモです。


正面の長い階段を上った先にある、中央のブロンズの扉は、11世紀にコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)で作られたものだとか。


19世紀に改修されたバロック様式のファサードは、夕方になると太陽の光を浴びて、黄金色に輝きます。