拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

9月20日 カトマンドゥ(ネパール)

2008-01-06 | 旅メモ&旅日記(アジア・オセアニア)



2003年9月20日 カトマンドゥ(ネパール)

ゴンカル空港までリムジンバスを利用。約1時間半。

ラサ10:15→カトマンドゥ12:05 CA407


空路でカトマンドゥへ移動の際、飛行機が窓際だったので、チョモランマ(エベレスト)やTop of the world(世界の屋根ことヒマラヤ山脈)がよく見える。


空港でネパールビザ取得。30USドル。
空港で両替。1ネパール・ルピー(RS)=約1.5円。
空港→市内はタクシーで約8km。250RS


昼食は釜焼きピッツァが食べられる、市内のFire&Iceへ。
マルガリータ230RS、コーヒー50RS。
ナンを焼く文化があるからか、釜焼きピッツァがメチャウマ。


午後スワヤンブナート(50RS)、ボダナート(50RS)、タメル地区、ダルバール広場(200RS)等へ。


ボダナートはチベット仏教の聖地だけあって凄く存在感がある。

チベット人はこの聖地巡礼の為にヒマラヤ山脈を越えてやってくるとか。

ここでもチベット同様、五体投地をする人々や、マニ車を回す人が多くいる。
自分は空路で飛んでしまったが、ここに来た時、昨日までのチベットの町々を巡ったことを思い出し、気持ち的にはなんだかチベット人同様、徒歩でヒマラヤを越えてきたかのような気分となり感慨深かった。


夕食はネパール音楽が聴けるネパール料理の高級レストランでカレー(ターリー形式)を食べる。辛い。ただ味は北インドに近い感じがする。
個人的にカレーは南の方が好きだ。


HOTEL NATUREに宿泊。シングル1682RS。ちょっといいホテルで、チベットの垢を洗い流す。

しかし夜中、町中で停電があり、懐中電灯もなくろうそくでの生活を少し余儀なくされる。こうなると良いホテルも悪いホテルもへったくれも無い。

まだカトマンドゥあたりでも、ライフラインのインフラ環境も完全ではないのだろうか。


※写真はボダナート

9月19日 ナンカルツェ、ヤムドク湖、カロー峠→ラサへ(チベット)

2008-01-06 | 旅メモ&旅日記(アジア・オセアニア)



2003年9月19日 ナンカルツェ、ヤムドク湖、カロー峠→ラサへ(チベット)

深夜高山病が酷くなり、ものすごい頭痛と吐き気、腹痛に悩まされる。

このままではこの日の移動ができないかもしれないと不安になるが、携帯用小型酸素ボンベで酸素を吸い、先日もらったよい止めの薬を飲んで眠ると翌朝にはかなりよくなっていた。


この日は朝一番にギャンツェを出て、ナンカルツェ、ヤムドク湖、標高5000メートルを越えるカロー峠等を通りラサへ移動する。


途中ラサからネパールまで自転車で旅する欧州のツーリスト達とすれ違い、しばし話しをする。


こんな高地を自転車でキツくない?と聞くと、車はスピードが速すぎて素晴らしいものを見落としてしまうから、ゆっくりと旅できる自転車がベストなんだと語っていた。


確かに仕事で遅い夏休みをとって旅をしている自分達は車でチベットを駆け抜けてしまっている。
いつか自分も彼達のような旅をしてみたいとうらやましく思う。


夕方ラサに到着。バナクショーホテル泊。(ドミトリー約25元)


※写真はヤムドク湖

9月18日 シガツェ→ギャンツェ(チベット)

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2003年9月18日 シガツェ→ギャンツェ(チベット)

早朝皆で朝粥の朝食。
昨日遊郭に行った大学生の話では、何件か覗いてみたもののかなりのオバサンばかりだったらしく、すっかりしょげかえっていた。お気の毒に。


朝一番でシガツェの中心的になっている巨大な僧院、タシルンポ寺へ。
この寺は最盛期4700人の僧侶がおり、今も800人以上が修行しているとか。
確かにデカイ。

ご利益がありそうなので旅の安全を祈願しようとお寺でお守りを購入。


その後ギャンツェへ移動。車で約2時間の道のり。


午後ギャンツェ・クンプム(パンコル・チョルテン)へ。

お寺を回っていると、寺の僧侶が自分のギターを指さし歌ってくれとジェスチャーするので、何曲か歌う。珍しいのか物凄く喜んでくれた。


それから皆でギャンツェゾンへ。

山道を登り城壁の頂上へ。ここでもギターを取り出し、30分程歌う。


澄んだ大空と広大な大地、チベットの山々の精霊に献上する祈りがごとく、自分の歌声が響く。ものすごく気持ちいい。


下山しホテルへ。WUTSE HOTEL泊。
ツインルームを楠本さんとシェア。1人160元。


旅のメンバーと中華レストランで夕食中、まだ幼稚園位の物乞いの子供がうらやましそうに覗いている。あまりにもボロボロの衣服に身を包み、真っ黒で切ない気持ちになる。


チベットは裕福な漢民族と、支配されるチベット人の構図となっており、このような物乞いの人々も少なくない。チベタン達は侵略者である漢民族を嫌っており、時々チベタンによるクーデター騒ぎも起こる。自分達のガイドやドライバーも、絶対漢民族のツアーのガイドはやりたくないと言っていた。

紛争・侵略の歴史はまだまだ今も続いている。


※写真はギャンツェゾンから見たギャンツェ・クンプム(パンコル・チョルテン)

9月17日 シガツェ(チベット)

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2003年9月17日 シガツェ(チベット)

日本人4名でチャーターしたランドクルーザーでシガツェへ。

この日のチベット人ドライバーが英語不可のせいか、英語のできる同じくチベタン(チベット人)のガイドが同行。


かなりの悪路で通常6時間の道のりが10時間以上かかる。
シガツェに着いたのは夕方頃。

皆で夕食をシェアした後、宿へ戻るが、同行した大学生は遊郭に行くという。
行くなとは言わないが、旅では金で女性を買わない事をずっと公言し続けている自分的には、まだ若いのにまったく!という気持ちになってしまう。

それならナンパに精を出す欧米の連中の方がずっと健全だと思うのは自分だけだろうか。

まあ病気をもらわないことを祈る。(大きなお世話だけど)


この日はシガツェホテルに宿泊。
ツインの部屋を楠本さんとシェア。1泊1人240元。


※写真はタシルンポ寺(シガツェ)

9月16日 ラサ近郊(天葬・温泉・ガンデン寺/チベット)

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2003年9月16日 ラサ近郊(天葬・温泉・ガンデン寺/チベット)

チャーターしたランドクルーザー(5人でシェア)で夜明け前に天葬へ。

標高4000メートル超の場所から、さらに山道を30分以上歩いて山の頂付近で天葬を見学。


亡くなった人の体をのこぎりやナタで切断し、ハンマーで粉々に砕いて、ハゲワシに餌としてやる。100匹近い巨大なハゲワシが先を争って肉をむさぼり食う。

このあまりにも異様な光景と、まだ高地に順応していないにもかかわらず、山登りで激しい運動をしたせいか高山病にかかってしまったみたいで気分がわるくなり、草むらで吐いてしまう。かなりキツイ。


一緒に天葬に行った日本人のお姉さんから車のよい止めの薬をもらう。
彼女はラサに来る前にヒマラヤでトレッキングをした際、やはり高山病にかかったらしく、この薬がかなり効いたとか。


飲んでしばらく休んでいると少し楽になった。
高山病によい止めが効くとは知らなかった。


天葬が終わって皆帰ろうとしたが、一緒に行ったメンバーの1人に香港人の青年がおり、カメラ持ち込み禁止にも関わらず、彼が写真をとったということで、ジモピー達ともめている。彼は撮ったデジカメの写真を消去したと言っているようだが、ジモピー達はデジカメを知らないらしく、フィルムを出せ、出せないならカメラごとよこせと言って怒っているらしい。


チベット人ドライバーが間に入って仲介するが、結局収まったのはこれから1時間以上後の話。他の日本人は待ちくたびれてクタクタになっていた。


午後は同じメンバーで温泉へ、そして夕方はガンデン寺(タクツェ)へ行く。


夕食は宿近くの中華料理屋で、この日の天葬日本人メンバーで食事をシェアする。安くてウマイ。特にクウシン菜が絶品。


※写真はチベットの温泉村

9月15日 ラサ(チベット)

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2003年9月15日 ラサ(チベット)

夜明け前にArleneのピックアップの車で成都空港へ。

成都6:10→ラサ8:40 CA4491


成都空港で同じラサ行きの便に乗るというイギリス人ITエンジニアのクリスと知り合い、旅、音楽、ITのことなどしばし話しをする。彼は香港で3年前から仕事をしており、休みになると中国のあちこちを旅しているとか。

ラサのゴンカル空港から市内までリムジンバスを利用。
約1時間半。25元。すごく遠い。


標高3600メートルのラサはかなり空気が薄い。


待ち合わせをしていたバナクショーホテルへチェックイン。
ドミトリー1泊約25元。


楠本さんと再会する。


楠本さんと一緒に宿のレストランでヤクバーガー(ヤク肉ハンバーガー)を食べる。


チベット周遊にランドクルーザーをチャーターしようと、楠本さんと一緒に話していたが、彼が一足早く着いて宿の掲示板に張り紙をしておいてくれた。しかも彼は中国語ができるので、中国語と英語で表記してある。さすが。


旅仲間が見つかり、翌日天葬(亡くなった人を火葬や土葬でなく、鳥に食べさせて弔うチベットの宗教行事)とガンデン寺へ、17日から3日間でシガツェ、ギャンツェ等チベットを周遊することになる。


この日はポタラ宮、ジョカン(大昭寺)へ行った後、バルコルを散策。
ポタラ宮の入場料が100元+屋上の入域料10元とめちゃ高。

チベット仏教の聖地の1つ、ジョカンでは五体投地(地面に体を投げ出すチベット式のお祈り)をする人や、マニ車を回すチベット人で溢れ返っていた。

夕方ギターを持ってポタラ宮前へ行き、1時間弱程ストリートライブをする。
珍しいのか、ジモピー達の人だかりができる。


※写真はポタラ宮

9月14日 成都(中国)

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2003年9月14日 成都(中国)

宿から歩いて青羊宮へ。
青羊宮前の麻婆豆腐の元祖「陳麻婆豆腐店」(2号店)で昼食。

・麻婆豆腐(小。5元)、ジャージャー麺(4元)、ペプシコーラ600ml(3元)。

麻婆豆腐はありえない位激辛。

辛いものは結構好きな方で麻婆豆腐も美味しいのだが、これに入っている山椒の固まりを食べると、「すいません、もう勘弁して下さい」と泣いて頼みたくなる程辛い。頑張って完食(小だけど)するも汗だく。食べながらフーッと一瞬気が遠くなりそうになった。

フードファイトで山盛りが出てきたらリタイアする人が続出するんじゃないだろうか。


青羊宮から三国志の英雄、劉備元徳の墓があるという武候祠へ。タクシーで約10分。8元。


夕方町中まで1時間程歩いて移動し、四川の重慶火鍋や四川の激辛臓物料理(夫婦肺片、宮保又鳥丁等)を食べる。
やはり四川の本場だけあって辛い。コーラがあっという間に無くなる。


辛い料理は好きなのに、胃に優しいお粥か、あまーいココナッツミルク系のデザートが食べたい気分。


昨日同様SUOMA HOTEL泊。
この日はドミトリーなのに、宿ごと貸し切り状態だった。


※写真は武候祠

9月13日 上海→成都(中国)

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2003年9月13日 上海→成都(中国)

成田9:50→上海11:50 NH919
空港で両替し成都への国内線チケットを購入。(1290元)
1元=約14円(2003年秋時)
昼食は上海市内で水餃子(白菜と豚挽き肉。1人前5元)とバドワイザー大瓶(7元)。

国際線の浦東空港から国内線の虹橋空港へ移動。
夕食は早めに空港のマクドナルドでビックマック(10.5元)+マックシェイク(大。6.5元)

上海17:25→成都20:00 CA916

成都空港到着後、チベットへの航空券を手配していた個人旅行代理店をやっているArleneに会う。

チベットへは03年秋時点は本来ツアーのみで個人旅行が不可なのだが、個人旅行でもバーチャルのツアー旅行としてアレンジしてくれるこのArleneをインターネットのWEBサイトで知り、日本からEメールで依頼していた。


ちなみにこの時の金額は、成都→ラサの片道航空券、成都空港=宿間の送迎、成都での宿(ドミトリー2泊)、チベット入域のパーミッション、ラサ→カトマンドゥ(ネパール)の片道航空券で3890元。
(成都往復ではなくカトマンドゥへ抜けるルートなので少し割高。ちなみに成都→ラサの片道航空券が1270元、ラサ→カトマンドゥの片道航空券が2324元)


空港からの送迎で、同じくArleneにチベットのアレンジをした日本人の楠本さんと出会う。

空港から市内まで車で約30分。


彼も同じ宿らしく、チェックイン後一緒に、インターネット利用ができる成都Linjiang road18番地のHigh fly cafeへ。青島ビール(大)10元。

彼は翌日ラサに行くらしいので、チベットの宿で再会しようと約束する。



SUOMA HOTEL泊(成都中南大街81号6楼。ドミトリー1泊30元)


※写真はこの旅の目的地チベットでのストリート?遺跡?ライブ

6月15日(木)コロンボ→バンコク→帰国

2007-12-28 | 旅メモ&旅日記(アジア・オセアニア)



2006年 6月15日(木)コロンボ→バンコク→帰国

CMB1:25-BKK6:20 TG308
BKK7:30-NRT15:40 TG676

※写真は南インド料理屋で食べたターリーとマンゴーラッシー。

今回の旅で1番の激ウマ1品。これを食べる為にキャンディに行きたい位。
(これも言いすぎか?笑)