拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

2008年5月アラビアの旅をふり返って

2008-05-21 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



これまでずっと「遠い国」であったアラビア。

「アラブを旅する」と言うと、日本人の7割以上の人達が「テロとか危ないんじゃない?」というリアクションが返ってきます。

今回わずか10日程ではありますが、アラブの国々を旅した印象では「敬虔なイスラムの国」ではあるもの、人々は優しく物価は先進国並み、石油に沸く現代のアラビア半島は、決して日本でイメージされているような「テロリスト支援国家」という感じではありませんでした。

ドバイやバーレーンなどは、オイルマネーを使ってインフラやホテル等を整備し、欧州向けの高級リゾート開発が進んでおり、場所によっては欧州よりも物価が高く、ホテルもレストランも高級過ぎて手がでないなんていうこともザラだと思います。

もちろん危険なテロリストやカルトな団体は一部にいるのも事実なんでしょうが、西側で報じられている「イスラムVS欧米」の構造などどこにも見えませんでした。

偶然自分が行った場所がよかったのか、それとも意図的に誰かがメディアの情報を操作しているんでしょうか。。。


今回の旅で1つだけ言えることは、自分にとってアラブが以前よりずっと身近な場所になったということ。


一期一会の旅で、その場所に息づく深いものなど見えません。

その時、その瞬間の事実に出会うことは出来ても、その土地の人々が抱える問題や文化、思い、、、そして真実に近づけたかどうかなど、そこを通り過ぎるだけのたかが旅人の自分にわかるはずもありません。


それでも音楽を通して、ほんのわずかな時間でも、国籍も民族も文化も超えて、人々が見せる笑顔やその素顔に嘘は無いと自分は信じています。


欧州に戻ってまだ1週間程ですが、なんだかまたアラビアを旅したいとそんな気持ちにさせられています。


日本を含めた西側諸国のメディアで流れる情報とは違った、「素顔のアラビア」をもう少し見てみたい、そんな気持ちでいます。


もっとも雑誌のグラビアが読めないアラブに住むことは、ヤンジャン愛読者の自分には、おそらく難しいと思いますけど。。。(笑)


※写真:欧州の自宅で楽しんだオマーン産の乳香と香木。
(煙が思ったよりもすごくベランダに出る。苦笑)

2008年5月10日(マスカット/オマーン)

2008-05-21 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



9時 朝食後入浴

10時 荷物を整理

11時 ホテルでインターネット 1時間1RO(約280円)

12時 ホテルをチェックアウトし荷物をフロントに預けて移動。

タクシーで新市街にある日本食レストラン 東京太呂へ
タクシー代4RO(約1120円)

12時30分~15時 昼食

竹ランチBOX+水 8.4RO(約2400円)

かなり高級(パリで食べる日本食と同じ値段)だが刺身や焼き魚等がかなりウマイ。
ここオマーンは魚の素材はかなりレベルが高いようだ。

日本の漫画(ビックコミックオリジナル)があったので読む。
日本でも読んでいなかった釣りバカ日誌やあぶさんを久々に読む。
まさかこんなところでという感じ。(笑)

ビックコミックはグラビア等の無い雑誌だが、それでも女性の裸の絵が描いてあるところは全部黒色のマジックで塗りつぶされている。
ここオマーンでは、女性の半そで短パンの写真がポルノ扱いになるレベルらしく、さすがに取り締まりが厳しいようだ。

自分は今欧州に住んでおり、毎週日本からヤングジャンプを取り寄せているが、グラビアページに水着写真等があるので、これがアラブならおそらく没収だと思う。

旅ならまだしもヤンジャンすら読めない厳格なアラブの国に住むのはかなり厳しい???(笑)


15時30分 マトラへ タクシー2RO

殆どの店が閉まっているが、マトラスークを超えて奥まったところにある安食堂が開いていた。ここでスークがあくまでお茶にすることに。

コーラ0.1RO(約28円) 外の気温は45度強。店の扇風機が涼しい。


16時30分~17時30分 マトラスークをそぞろ歩く。

両替30EURO=16.5RO 一昨日よりレートが下がっている。マトラよりルイの方がレートが良いのだろうか?

歩いていて乳香のよい香りがあちこちで漂う。
扱っている店も多く、お香のにおいをかいでいると客引きに声をかけられる。
せっかくオマーンまで来たのでお土産に乳香を買うことに。

乳香入門セット 1RO(相場的に定価のよう)

ちょっと良質なもの?を個別買い
・オマーン製乳香+香木+木炭(10個入り)で2.1RO
(最初言い値が3.5ROだったがここまで値切る。適正価格かどうかは不明。約588円)


何か食べ物のお土産を買おうとお菓子屋さんへ。

オマーン製洋かんのオマニスイーツをためさせてもらう。
黒糖+生姜のみが1RO、サフラン入りのスパイシーなものが2RO。
サフラン入りはすこし癖があり好みが分かれると思い、1ROの方を2つ購入。

美味しいか?と聞かれると、面白い、変わっているというのが正しい評価。
仕事先のお土産にする。
(※後日談だがドイツ人にも日本人にもエライ不評だった。汗)


17時30分~18時 先日いった地元民向けパキスタン料理のニューレストランへ
キーマカレー+チャパティ 0.5RO(約140円)、コーラ0.1RO(約28円)

19時 タクシーで空港へ (片道40分)

通常定価だと8RO位だが、流しをひろい直接料金を交渉。自分のホテルへ荷物をとりによってもらって合計6RO(約1680円)

オマーンのタクシーは流しを直接交渉するのが正解のようだ。
(今更言っても遅いが)

空港の免税店で仕事関係向けにチョコレートコーティングしてあるデーツ(ナツメヤシ)を買う。3RO(約840円)
※後日談だがこちらも不評だった。アラブにはまともなおみやげがないのか?これならシリアやヨルダン、エジプト等北部のピスタチオ入りアラブ菓子の方がずっとウマイ。

MCT22:40/FRA6:00(翌11日) LH619(ルフトハンザ)


5月11日(日)欧州の自宅へ帰宅。


※写真:マトラスーク(マスカット)

2008年5月9日(ニズワ/オマーン)

2008-05-20 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)


7時朝食。

7時30分にホテル前でピックアップ。
(10分遅れで昨日チャーターしたタクシー運転手イブラヒムが到着)

7時40分~9時 移動。世界遺産となっている最大級のアフラージュ(灌漑用水路)、ファラジュ・ダリスへ。

このファラジュは地元民の子供達が上半身はだか、下半身は短パンで皆泳いだり、楽しそうに水遊びをしている。
(※成人男性も混じっていたが、自分がファラジュに入ると、他人に肌を見せるのはタブーなのか、ファラジュから出て服を着てしまった)

川底(用水だが)がすきとっており川魚が沢山泳いでいる。
飲料水にもなっているらしく、とてもきれいな水だ。

自分も水着に着替えて泳ぐことに。


トンボが飛び交う下、透き通った川底を川魚達が並んで泳ぎ、川辺には花が咲き乱れる。

父親がまだ子供だった頃、50年前の日本もこのような風景が当たり前のように、家の近所にあったと聞く。


アラビア半島南部のオアシス都市で、50年前の日本の光景に出会うとは思っていなかった。何だが不思議な感じがする。


アラビア半島はシリアやヨルダン等北部の「岩のアラビア」、サウジアラビア等に代表される砂漠の「砂のアラビア」そして、ここオマーンやイエメンといった南部の「幸福のアラビア」に区分されるといわれる。

南部は金や宝石と同等以上の価値で取引された「乳香」の産地(乳香の木からとれるお香)で、今でいう石油と同様、昔この南部アラビアは乳香の貿易で潤っていたことから「幸福のアラビア」と言われていたと聞いたことがある。

あのアラビアンナイト物語で知られるシンドバットもここオマーンの港から出航したのだとか。

しかし緑と水と子供達の笑顔があふれるこの国は、現代も変わらず「幸福のアラビア」なのだなと思う。


10時 ファラジュ・アルグァンタへ。
ここは村の中のファラジュで、皆野菜を洗っていたり、洗濯をしたりして生活に密着している。比較的下流のファラジュなのかもしれない。


公共交通機関のアクセスが無いこと、アフラージュが世界遺産に登録されてまだ2年程ということもあり、観光客の姿は皆無。
シーズンは4月の春までらしく、すでに5月は真夏でシーズンオフということも関係しているかもしれない。


そういえば自分がこの世界遺産を知ったのも、自宅で日本のTV番組を見ていて偶然ここニズワ郊外のファラジュの映像が流れ、砂漠のイメージしかなかったアラブで、600年以上昔に作られた用水の中を泳ぐ子供達がものすごく印象的で、アラビア半島の旅を計画した時、ぜひ1度このオアシス都市に来てみたいと思ったからだ。

もしその番組を見ていなければ、ここに来ることも無かったと思う。
これもきっと何かの縁なのだろうと思う。


10時30分 ニズワフォートへ

ニズワは6世紀~7世紀にオマーンの首都として栄えた古都。
日本でいうところの京都や奈良のような場所。

周りにはオアシスが点在しデーツ(ナツメヤシの実。アラブ人が好きなお菓子はこのデーツから作られる)や野菜、果物の農園なども多い。

ここニズワフォートは17世紀頃に作られた防衛用の砦で、オマーンでも屈指の観光地となっている。

中に入るとオマーンの歴史を綴ったビデオが流れていたり、伝統的な生活用品等の民族博物館になっていたり、ドイツ人(ドイツ語や英語がよく聞こえてくる)などの外国人観光客の姿も多く見られる。

ニズワーフォートの入場料、0.5RO(約140円)

フォートの砦の上は見晴らしがよく市街が一望できる。

またこの日は金曜日マーケットの日らしく地元民の姿も非常に多い。
この金曜日の青空市場では、牛や羊もセリで取引されるらしく、そういえば今朝方、トラックの荷台に子牛が乗せられて運ばれていったのを思い出す。
まさにドナドナの世界。(苦笑)

フォートの後、金曜日マーケットを覗いてみるが、もう11時過ぎということもあって、殆ど終わりがけ。生活用品が中心のようだ。

気温もあがってきたので、マスカットへ移動することに。
帰り道は順調で1時間半程でニズワからホテルに戻ってくる。

帰り道はあちこちのモスクで沢山車がとまっており、ドライバーのイブラヒムに聞くと、金曜日の朝はイスラム教の礼拝日で皆モスクへお祈りにいくのだという。
キリスト教徒が日曜日の朝に教会へ礼拝にいくのと同じようだ。



13時頃ホテルについてしばし休む。

13時30分 歩いてホテル近くの地元民向けシーフードレストランに。
白身魚のグリル(ハーブ、ニンニク、ピクルスがかかり、オリーブオイルでいためてある)が2.5RO(約700円)、シーフードスープ(タコやイカ、エビ、白身魚が入ったハーブスープ)が1.5RO(約420円)、350ml缶コーラ0.2RO(約56円)

なかなかウマイ。

15時~16時 ホテル近くの公営ビーチで泳ぐ。
男性が肌を露出することさえためらわれるここオマーンで公営ビーチがあることが驚き。地元民のおっさん達もはしゃいでいる。
もちろん女性の姿は無い。

アラビア海はキレイだと聞いていたが、ここのビーチは遠浅の海が続いているものの、濁った深緑という感じで決して美しくない。
(むしろ伊豆あたりの海水浴場を思い出す程。汗)

「君の方がこの海の何倍もキレイだよ」などという恋人達(バカップル?)の会話があるが、ここならば、「嘘ついちゃいけません」と子供の頃に教わった自分でも、いくらでも言えそうだ。
(ほめてない。むしろ失礼。)

オマーンの海はビーチではなくダイビングがメインなことから、おそらくモータボートか何かでかなり沖合いに出ないときれいな海には出会えないのだろう。


16時~17時 ホテルのプールで過ごす。他の客は誰もいない。小さいプールなので貸切という感じはしない。(苦笑)

17時 ホテルから少し歩いて地元商店で買い物。
マンゴージュース0.15RO(約42円)
アイス0.1RO(約28円)
缶コーラ0.2RO(約56円)
フルーツパンチ風?変なジュース0.15RO(約42円)

18時 ホテルのPCでインターネット利用 日本語読み書きOK。1時間1RO(約280円)

19時 ホテルの高級インド料理レストラン MIRCHIで夕食。

・スウィートラッシー 1.5RO(420円)
・プレーンナン 1RO(280円)
・Fish Tikka Masala(魚のマサラカレー)+前菜のトルティーヤ(ディップ付) 4.9RO(約1372円)
・ミネラルウォーター(500ml)0.8RO(約224円)
上記に9%税と8%サービス料付。かなり高級。まあ東京でも少しこじゃれたインド料理レストランはこれ位の値段はするが。

魚のカレーはすごく沢山の種類のミックススパイスが入っており、胡椒もかなり大粒。お値段も欧州並みだが味はかなりウマイ。またインドカレーだけあってしっかり辛い。
(アラブカレーは辛くなく、インドやパキスタンのカレーとはっきり区別される)

ナンも香ばしくて激ウマ。ラッシーもGood。

しかしインドで魚のカレーというのは聞いたことが無い。
ゴア方面等の南インドかスリランカ料理か?と思い店員に聞くが北インド料理とのこと。洗練されたスパイスの技法と地元の魚を使ったアレンジ料理なのだろうか。

ちなみにウェーターはスリランカ人と言っていた。


アラビアは元々のアラビア人よりも、出稼ぎのインド人、パキスタン人やフィリピン人といった外国人労働者の数の方が多く、このようなウマイインド料理やパキスタン料理にありつける。

仕事等でよく行くイギリスのインド料理は値段のわりにイマイチだと思うことが少なくないが、アラビアで食べるインド、パキスタン料理は、激安レベルから高級レベルまであるが、いずれもかなりレベルが高い。

インドで食べるインド料理よりも、東京で食べるインド料理の方が正直ウマイと思っていたが、アラビアの高級インド料理は東京で食べるものとレベル的に遜色がなく、スパイスの違いからか、東京で食べるものよりも本場に近い気がする。
現地の素材やスパイスもふんだんにつかってあり、これはかなりイケル。
中東で意外な楽しみを発見。

アラブに来たらレバノン料理だけでなく、ぜひインド、パキスタン料理もお試しあれ。


夕食後ホテルの部屋に戻りこの日は22時頃就寝。

※写真:ファラジュ・ダリスで水遊びをする地元の子供達

2008年5月8日(ドーハ/カタール→マスカット/オマーン)

2008-05-19 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



5:00 ホテルをチェックアウト
5:15~5:30 カタールはタクシーが少なく手配を頼むも現在空車が無いとのこと。
ホテルのマイクロバスで空港へ 30QR(約900円)

DOH7:35/MCT9:55 QR166 カタール航空
(時差1時間。約1時間20分のフライト)

オマーンビザをマスカットの空港で取得。
しかしカタールから来たらビザ代は無料とのこと。ラッキーだ。

タクシーでマスカット市内のホテルへ。

今回の旅程で最後の宿泊ということで、前日ホテルからインターネットで宿の手配。
(booking.com)しかしマスカットは物価が高い。欧州並みだ。1泊50RO(約88EURO)

エアポートタクシーは料金表が乗り場に張られている。
空港→ホテル 8RO(16EURO。約2240円)

11時 ホテルにチェックイン。さすが値段が高いだけあって高級感あり。
でも中級ホテル。プールが小さいが一応プチリゾート気分。

13時 マトラのパキスタン料理店、ニューレストランへ

ホテルから港町の旧市街マトラへ。
タクシー代4RO(8EURO。約1120円)。ここでも定価料金表あり。
物価が異常に高い。

ここは外国人労働者向けのパキスタン料理の安食堂といった趣。

チキンカレー0.7RO(約196円)チャパティ付
水0.1RO(約28円)
すごく安くてウマイ。ようやく自分に嬉しい物価レベルに。


13:30~14:30 マトラスーク(市場)前で1時間程歌う。
現地人が集まってきて盛り上がる。
いつものように英語のカヴァーと日本語の自分の歌を歌う。
オマーンではメジャーな英語の歌も皆よく知っているようだ。

しかし気温が42度強。オマーンは湿度も高く(70%以上)、体感温度はかなりキツイ。

14:30~15:00 マトラスークを歩く。しかし殆どの店が閉まっている。
わずかに開いていた店のおやじに聞くと、マスカットは昼間暑いので殆どの店が朝と夕方以外は全て店が閉まるのだという。

またこの日は木曜日だったが、オマーンでは土日休みでなはく木金が公休日で休日なのだとか。土日が平日で木金休みというのは不思議な感じ。

この売店で350ml缶コーラを買う。 0.2RO(約56円)

インターネットカフェを探すが無いので、一旦ホテルに戻ることに。
タクシー代4RO。(約1120円)
タクシー貧乏になりそう。ホテルの選択を誤ったか。

16時~17時 ホテルでインターネットを利用。
1時間1RO(約320円)日本語NGだが、ホテルに交渉してAdmin権限を借りて日本語フォント&IME(入力パッド)を設定する。これで日本語OKに。

17時~18時 ホテルのプールへ。すごく小さい。
アラブ人の子供だけが泳いでいる。こちらが水着で泳いでいるとなんだか冷たい視線。
オマーンでは女性だけでなく、男性も肌をできるだけ露出させないのだとか。
外国人向けの高級ホテルというよりは、アラブ人宿泊客の多い中級ホテルを選択したのが間違いだったか。しかしこれでも1泊88EURO。(欧州の3つ星中級ホテルと同等価格)
外国人向けの高級ホテルは倍以上してとてもじゃないが手がでない。

アラブのリゾートをイメージしていたが、やはりドバイの欧州人向けリゾートと比べるとまだまだ(意図的にリゾート化していない?)のようだ。

ホテルでシャワーを浴びた後、新市街のルイへ。
渋滞がすごく30分以上かかる。しかし定額料金制でこれも4RO。(約1120円)

18時50分。両替をする。100EURO=57RO

19時 バスターミナルでニズワ行きの公共バスをチェック。片道約2RO(560円)だが1日2本のみ。日帰りをしようとすると現地にいられるのは1時間30分程度で、ニズワには行けても、今回のオマーンの目的である世界遺産のアフラージュ(600年以上昔からの灌漑用水路)へは行けなさそう。
ホテルで聞いた1日ツアーは一人75RO、タクシーでも料金表で50ROとこちらも予算オーバー。何か良い方法は無いか。

とりあえず腹ごしらえしながら考えようと、ルイのCBDエリアにあるオマーン伝統料理レストランBIN ATEEQ(ビン・アティーク)へ。

マスカットは魚もウマイと聞いていたので、白身魚のアラブ風ココナッツカレーとライスを注文。
(Arus Abiyadh Ma Marakh Habbar Nargeal)
2.5RO(約700円)

フレッシュ・マンゴージュース0.7RO(約196円)
水(500ml)0.1RO(約28円)


カレーといってもアラブカレーは辛くなく、ココナッツ味でマイルド。
シーフードもなかなかいける。

どこかで食べたことがあると思い記憶をたどると、2000年に訪れたタンザニアのザンジバル島ストーンタウンで食べたローカルフードであることに気づく。

ザンジバル島にある世界遺産のストーンタウンは海洋貿易拠点で栄えた町で、確かオマーンからアラブ人が侵攻しそれまで占領していたポルトガル人を追い出して気づいたアラブ人の町だ。

ストーンタウンで皆が挨拶として交わしていたサラマリ(こんにちわ)は、ここオマーンと同じアラブ語。

時間を越えて食事と挨拶の言葉、、、点と点の記憶がつながった瞬間。
なぜか複雑な歴史的暗号を解読できたかのような不思議な感情が込みあがる。
「そう、世界は1つにつながっている」と改めて感じた瞬間。

フレッシュマンゴージュースもかなりウマイ。
ここオマーンでもフレッシュジュース(Asser Fuakkah)はいける。


帰りがけにバス停&タクシー乗り場近くにあった旅行会社に飛び込みニズワ行きのツアーが無いかを聞くが、60ROと言われる。これもタクシーを手配するより高く予算オーバー。困った。

これはタクシーの運転手に直接値段交渉するしかないと、ケンタッキーフライドチキン横のタクシー乗り場で見つけた人のよさそうなオマーン人ドライバーの車に乗り、まずはホテルに向かってもらうことに。
4RO(約1120円)

ホテルへ向かう道すがら、自分が明日ローカルバスでニズワへ行こうと思っていること、しかし日帰りで滞在時間が1時間30分しかなく楽しみだったアフラージュへ行けないので、できればタクシーをチャーターしたいと思っているが、料金表を見たところ値段が高くあきらめるしかないと思っていることを話す。
すると自分が案内してやる、いくらなら行くんだ?と乗ってきた。
30ROと言うと、ニズワと2つのアフラージュを含めて40ROと返される。
35RO(60EURO)なら即決すると言うと、そこで話がまとまる。

今回の旅の最終目的地ということで、自分の出せるぎりぎりの予算。
タクシーチャーターは短期旅行の強み。長期なら間違いなくローカルバスである。

ドライバーの名前はイブラヒム(IBRAHIM)
英語もかなりちゃんと話せる運転手で、ニズワまでは片道車で2時間の距離。欧州並みの物価のオマーンで、世界遺産のアフラージュ2箇所(ニズワからローカル移動手段なし)の案内を含めこの値段なら充分その価値があると判断。

21時頃、自分の宿泊するホテルに到着し、こちらのホテルのルーム番号を伝え、彼の携帯番号を聞く。明日の朝7時30分に迎えにくるとのこと。

この日は22時頃就寝。

※写真:ドーハ繁華街(カタール)

2008年5月7日(イラン→クウェート→カタール)

2008-05-19 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



7時30分 ホテルをチェックアウトしタクシーで空港へ。30000RIS(約300円)

SYZ9:40/KWI9:20 IR603(イラン航空)

シラーズおよびクウェートの空港トイレはアラブ式のみ。
イラン航空の機体はかなり古く、トイレのドアが閉まらず手で抑えておかないといけなかった。(汗)

9時30分~10時30分 クウェートのビザは空港でとれるが、銀行窓口方式で番号をとって呼ばれるまでじっと待つ。約1時間かかる。
クウェートビザ代 6KD(約2400円)

1KD(クウェートディナール)=約2.5EURO(約400円)


10時45分~11時30分 エアポートバスで市街へ 0.25KD(約100円)

中心街はにぎわっているが、途中かなり戦争の爪あとか?と思うような、弾痕の残るビルが多い寂れた町を通り過ぎる。
湾岸戦争のきっかけとなったイラク軍のクウェート進行時の爪痕だろうか。


空港バスの終着点ミルカブ・バスターミナル近くの食堂を除くと地元民でにぎわっていたので入ってみる。ここで少し早めの昼食に。

相変わらずメニューも料金表もない。
ただ英語の話せる店員が1人いたので助かった。
・ケバブ(ウマイ)
・サフランライス(パスタ入り。ウマイ)
・コーラ
・ホブス(パン)
上記4品で3KD(約1200円)
注文時に2KDと言っていたのに会計時に3KDといったはずだと言われる。

こんな労働者向けの安食堂で1200円というのは幾ら物価高の中東でもありえない。
明らかにボラれていると思う。


さて空腹も満たされたしうたでも歌うかと思うも、クウェートと言っても、イラク軍の侵攻の印象があって、フライトが一杯で諦めたイランのエスファハンの代わりに急遽やってきたということもあり、実は予備知識がまったく無い。

どこか路上ライブがやれる場所が無いだろうかとガイドブックをめくると、クウェートタワーがこの町のランドマークと書いてあるので行ってみることに。

12時15分 
タクシーでクウェートタワーへ タクシー代0.6KD(約240円)


12時15分~13時15分 クウェートタワー近くの海岸通りで歌う。

人が集まってきて大賑わい。
海からもジェットスキーに乗った若者が数人聴きに来る。
海から自分の歌を聞いてもらうなんてまったく初めての経験だ。(笑)

先日のペルセポリスで歌った時、過去の風景が重なり、すでに同じことの繰り替えしになりつつあるのか?と自問自答を繰り返していたが、そんなものは自分の驕りで、やっぱりまだまだ自分はこれからなのだと、何だか嬉しい気持ちになる。

世界がとても広く大きいことや、自分がとてつもなくちっぽけな存在であることを感じた時などに、意味も無く嬉しい気持ちになるのはなぜだろう。



しばし歌った後、タクシーをひろってバスターミナルへ向かう。

最初1KDと言われ、往路で0.6KDで来たというとメーターを使うと言われる。
しかし最初こそメーターを動かしたが、さらにそのあとボタンを押してキロメーター(走行距離)表示に切り替えられてしまう。

バスターミナルに着いて、1.7km走ったことが表示されていたが、これが料金で1.7KDを払えと言われる。

ふざけるな、これが走行距離であることは知っているし、お前の最初は言い値で1KD、オレは同じ距離を走って0.6KDだったと言い返すと、じゃあポリスにいくから車に乗れと言われる。

どうせグルの仲間の所に連れていこうとしているのだと思い、バスターミナルの中にポリスがあるので、そこへ一緒に行こうとハッタリをかます。

しかしそいつは自分の知っているポリスに連れて行くからとにかく車へ乗れと言ってきかないので、こちらもわざと大きな声を出して、こんな走行距離のメーターなど知らない、オレは同じ距離を0.6KDで来たんだと叫び続けると人が集まってきた。

イスラムの国は泥棒や不正を許さず、こちらが正しければ普通の人達は助けてくれると聞いたことがある。

現に人が集まってくると、そのタクシー運転手はしどろもどろになり、わかった最初の言い値の1KDでいいからと言い出した。


本当は0.6KDなのにと思いながら、もうかなりウザくなってきており、ここが落としどころかもしれないと、1KD(約400円。細かいお金が無かったのもある)を運転手に投げつけて、タクシーから荷物を取り出しバスターミナルへ向かう。

同じふっかけられるのにも、バーレーンではもう少し穏やかな空気が流れていたのに、物価こそ高いがここはまだまだこれからの発展途上国なのだろうか。
そういえばバスや徒歩で町を見回してもインターネットカフェすらない。

13時30分~14時30分 エアポートバスで空港へ 0.25KD(約100円)


チェックインカウンターへ行くとき、荷物運びのおっさんにセキュリティ検査の機械から出てきた自分のバックパックをもぎ取られる。
自分で持つというのに、こちらの言うことを聞かずそのまま荷物をチェックインカウンターへ運ばれる。この距離実に5メートルも無い。

しかし案の定そいつが金を払えと言ってきた。
オレは自分で荷物を運ぶといっただろう、金は無いと言いつづけると、最初はああだこうだわめいていたが、そのままどこかへ行ってしまった。
インド人っぽかったが、その方面の外国人労働者なのだろうか。
先程のタクシーの運転手といいまったく頭にくる。

チェックインの後、フライトまで時間があったので、インターネットカフェを探すが、免税店はあってもここにインターネットサービスは無いと言われる。
一国の大きな首都空港なのにトイレもアラブ式のみ。
物価だけ一人前なのにまだまだこれからの国のようだ。


空港にコンビニのような売店があったので250mlのコーラを買う。
これが0.15(約60円)
おそらくこの値段がある程度正しいこの国の物価なんだろうと思う。
地元の安食堂しかり、タクシーしかり、外国人と見ると騙してでも何でも金をむしりとってやろうということだろうか。

他の発展途上国、特に観光地などでよくあることだが、「騙す」ということが「悪いことでない」国や町も実によくある話だ。

「うそをつくのは悪いことなので、うそをついてはいけません」と幼稚園?でならった記憶があるが、残念ながらこれは日本という小さな島国の中での価値観である。

うそをつく行為、人を騙す行為が、セールストーク(ジャパネット○かたみたいなもの)やサービストーク(お世辞のようなもの)と同等レベルの価値観である国は、残念ながら数多く存在する。

この国もそのうちの1つのようだが、この物価の高さでか?とアンバランス感にやや呆れる。これも世界は広いということなのだろう。(汗)


KWI17:05/DOH18:20 QR135(カタール航空)

カタール航空の飛行機は新しいエアバス。イラン航空とは大違い。


空港でカタールのアライバルビザ取得。100QR。(約2800円)
なぜかイミグレーションカウンターでクレジットカード払いのみ。(現金不可)

イミグレでビザカード?それともマスターカード?といった会話をするなんて初めての経験。やっぱり世界は広かった。(笑)
すぐビザが取得できたので、これはこれで良い仕組み?なのかもしれない。(笑)


メータータクシーで中心部のホテルへ 24QR(約700円)

19:15 ガイドブックに乗っていたホテルに到着。 
AL NAKHEEL HOTEL(旧リージェンシーホテル)

ドーハで最も安い部類の中級ホテル(ドーハに安宿は無い。1件だけユースホステルが郊外にあるらしいが、ものすごく町から離れておりタクシー代等を考え1泊だけだからとこのホテルを選択)だが350QR(約1万円)もする。

こういう場合は、通常ディスカウントレートが適用されるインターネット(booking.com)等でホテルを抑えるのだが、クウェートにインターネットカフェが無かったのが誤算だった。

しかしホテルは町の中心部ドーハフォート、スークアルジャナダに程近く、立地は最高。ホットシャワー、洋式トイレ、エアコン、TV、冷蔵庫、フリーインターネット(しかも日本語入力OK)付。
インターネットをたんまり使って元をとることにしよう。(そんなに使えないと思うが。笑)


スークを歩いてまずは両替をする。
1USドル=3.4QR。 1QR=約35円。

売店で飲み物を購入。
350ml缶コーラ1QR(約35円)、水1.5l 2QR(約70円)


明日の朝移動の為、ギターを持ってドーハフォートへ。
この町には残念ながらランドマークが無いので、最寄りの目ぼしい場所をとドーハフォート前で数曲歌うが、ライトアップもされておらずかなり薄暗い。

地元民が喜んでくれた(冷やかされているような気もしたが。苦笑)が、これは場所の選択を誤ったと早めに切り上げることに。

そのままスークワキーフ(Souq Waqif)へ入ってすぐのところでイラク料理店を発見。
スークワキーフは外国人女性観光客等も何人も見かけ、夜歩いても大丈夫そうな繁華街だ。

少し高級そうな店構えだったが、珍しいのでイラク料理店に入ってみることに。

Al Adhamiyah Iraqi(ドーハフォートからスークワキーフの大通り入ってすぐ左手)


チキンブリヤニ(チキンカレーピラフ)+ナン、ホブス、スープカレー付。
40QR(約1100円)
缶コーラ 3QR(約105円)

チキンカレーピラフやナンがウマイ。
しかもスープカレーはザク切りジャガイモや野菜がごろごろ入って、ダシもしっかりとってあるまさにスープカレー。

インド等で薄いだけの水っぽいカレーを見かけるが、これはちゃんとダシも出ており、美味しく飲めるまさにスープカレーだ。

札幌のスープカレーのルーツはイラクだった?(たぶん違うと思う。笑)

それにしてもイラク料理は日本人の口によくあう。
はっきり言ってこれはウマイ!(イラン料理よりずっとウマイ)
これは意外な発見だ。


食事の後、ホテルに戻ってインターネットのサイトを見ていると、日本人女性2名がこの日、イエメンで誘拐されたことがニュースになっていた。
(※後日この2人は無事に解放された)

実は今回メインの行き先をイランにするか、イエメンにするかでかなり悩み、フライトがとれそうだということでイランに行くことにした経緯があり、複雑な気持ちになる。


イエメンはサナアは大丈夫だが、それ以外の町は部族闘争が激しく、外国人観光客もよく武装勢力に誘拐される事件が出ており、サナア以外は危険だという話も聞く。

アラブ諸国は宗教上の制約やその価値観の関係で女性が旅しずらいが、イエメンはその中でも女性がとりわけ旅しずらいことで有名だ。
今回彼女達が拘束されたのもイエメン中部のマリブという町の近郊で、ここはシバの女王関連の遺跡があった場所だったはずだが、外国人の誘拐事件も過去におこっていた場所だと記憶している。


確かに旅では、その時々で状況が常に変動する。
しかしもし自分が今回イエメンに行っていたとしたら、やはり比較的安全なサナアだけにしていたと思う。


もちろん他の場所へ行っても運よく何も起こらないかもしれない。
しかし今回彼女達はその場所へ行くことは危険であることを容易に知ることができたはずだと思う。

今回自分が行こうと思えば陸路で行けたはずのイランのエスファハーンへ行かなかったのも、インターネットで昨年も同エリアで外国人観光客が誘拐されたニュースを知って、危険の可能性を考えて回避したものだ。

彼女達にそのリスクを犯してまで、マリブへ行く理由があったかはわからないが、これでまた1つイスラムの国に対して日本で偏見が生まれることは確実だ。


またこのような事件が中東でおこると、「だからアラブは危険だ」という話になりがちだが、自分が実際にアラブに来て感じるのは、石油で潤うアラブは欧米諸国と遜色ない国々も多く、イスラム教徒だって親切な人たちは多い。

時々バクシーシを要求され嫌な思いをすることもあるが、弱者に味方するという意味では、キリスト教徒より親切なのでは?と思うことすらある。


今回の件はイスラム教とも関係なく、実際テロ行為を行っているのは、イスラム教徒の中でも、日本でも大事件となった○ウム心理教のようなカルト集団である。
日本では彼達はカルトというカテゴリに属されているが、意図的にうがった見方をすると、彼達は仏教徒ということになる。

我が家もそうだが、日本人の多くはそれ程熱心ではないにしても、家の宗派は仏教徒ということは多いと思う。それに対して見知らぬ遠い外国の人達からまったくお前達仏教徒は!と、○ウムのテロ行為について文句を言われても、「俺達とカルトを一緒にするんじゃない!」と怒りたくなるだろう。


アジアでも南米でもアフリカでも、政治集団としての過激派組織が外国人が誘拐をしたりする事件は時々あり、今回も同じレベルの類の話だ。

それなのにイスラム教という言葉がつくと、またイスラム教徒がテロ!的な印象を感じるニュースが流れるのは何か違うのではないかと感じる。


自分は何の義理も無いので、決してイスラム教徒を味方する訳ではない。
2001年9月11日以降、西側諸国ではイスラム教=テロリスト的な価値観が意図的に流されている感がある。
だが旅をしていて感じるのは、それは必ずしも事実では無いように思われる。

少なくとも自分自身が肌で感じたもの、自分自身の良心と価値観に正直に向き合った言葉をここで綴りたいと思う。


今回日本人女性2人が誘拐されたイエメンだが、先日シリアであった日本人旅行者に1つだけ1番良かった町は?と聞いたら、イエメンのサナアと言っていた。
他にもイエメンは良い国だという話を何度も聞いたことがある。
(しかしサナアだけ良くて、後は外国人にはあまりフレンドリーでは無いという話もよくきく。苦笑)

先日もニュースになっていたミャンマーやチベットについても自分がつい数年前に旅した場所だ。


常に世界は動き続けている。
しかし事実と真実は必ずしも同じではない。

編集作業1つで、意図的にいかようにも視聴者を誘導することが可能な、現代のメディアの怖さみたいなものは、たかがちょっとかじった程度ではあるが、自分もかつてメディアの世界に片足の小指の先を突っ込んだ数年の経験の中で感じている。


自分は戦場カメラマンでもジャーナリストでも無いので、危険を冒してまで、本当に危険な場所へ行くことはおそらく無いと思う。

しかし誰から与えられたものではなく、自分のこの目で見この身体で感じたものを、自分自身のちっぽけな価値観に重ねていこうと思う。

※写真:クウェートタワー

2008年5月6日(ペルセポリス&シラーズ/イラン)

2008-05-18 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



8時 町へ出て両替をしようと思うが、銀行は9時以降でないと両替レートがでないと言われる。
8時30分 ホテルから出てすぐ右の両替屋が開いたのでそこで両替。

レートは次の通り。1USドル=9,200RIS(リアル) 1EUR=14,200RIS
70ユーロを両替する。994,000RIS

※ちなみにホテルやレストラン等、イランではVISA、MATER、AMEX等全てのクレジットカードが使えない。キューバでもアフリカでもクレジットカードは使えるのに、ある意味さすがイラン。(笑)


ホテルでペルセポリス+ナグシェ・ロスタム往復のタクシー(約4時間の行程)を手配してもらう。

タクシー半日チャーター代 250,000RIS(約2700円)

9時 ペルセポリスへ 片道車で約45分~50分

もちろんペルセポリスへギターを持って行くが、入り口のゲートでギターを没収される。
ペルセポリス入場料5000RIS(約55円)

1時間程ペルセポリスを見て回る。

紀元前からの遺跡だけあって痛みは激しいがかなり広大。
この遺跡を見ながら、昔見た、映画「アレキサンダー」を思い出す。
(レンタルビデオだけど)


アケメネス朝ペルシャ帝国の都ペルセポリス。

アケメネス朝ペルシャといえば、メソポタミア文明から発祥しハンムラビ法典(目には目を歯には歯を、、、で有名)やバベルの塔で知られるバビロニア(当時の首都は現在のイラクにあたる)を滅ぼしその領土を支配、紀元前550年~330年に栄え、最盛期には現在のリビア、エジプト、イスラエル、シリア、レバノン、ヨルダン、イラク、トルコ、キプロスから東はインド近くまでもの領域を支配した古代イランの大帝国だ。
(ペルシャ帝国といえばこのアケメネス朝か紀元226~651年のササン朝ペルシャを指す)

この広大な軍事大国も、後にギリシャ・マケドニアの王、アレクサンダー大王との戦いに破れ滅亡する。


遺跡のレリーフ等を見ながら、今は廃墟と化したこの古代文明の遺跡に、映画アレキサンダーで見た壮大な世界が重なる。

ここにやっとこれたのだという思いが沸々と沸いてくる。


遺跡を見て回るが外国人観光客が少ない。
昨年日本人の大学生がイラン(バム郊外のパキスタン寄り国境近く)で誘拐され、まだ未解決ということもあってか(パキスタンの武装ゲリラで現在パキスタンにいるという説あり)、日本人の姿は殆どない。欧米の外国人観光客の姿もまばら。


12時 遺跡の入り口ゲート(駅の金属製の改札ゲートみたいな真新しいもの)を出てすぐのところで、返してもらったギターを取り出し歌う。

すぐにイラン人に取り囲まれ大盛り上がり。いつもの通り英語のカヴァーの曲や日本語の自分の歌等、1時間程歌う。

イラン人は反米感情があって英語の歌は嫌いかな?とも思ったのだが、そんなこと全然なく盛り上がって楽しんでいる。
そういえばここへ来る時もタクシーの運転手は、アメリカの昔のヒット曲のテープ(イランではいまだにカセットテープが主流。笑)をかけていたのを思い出す。

歌を聞いてくれたイラン人が歌のお礼にとガムやお菓子をくれる。


そういえば以前、マチュピチュ(ペルー)入り口ゲートでギターを取り上げられ、遺跡を出てすぐのところで歌っていたらジモピー(当時グッバイボーイと呼ばれた子供達だったが)にお菓子をもらったことがあったなあと、昔の記憶に思いをはせる。

昔の同じような光景が重なるようになってきたということは、この旅のスタイルも円熟期に入ってきたのだろうか。
少し複雑な気分になる。


13時 その後ペルセポリスから車で7~8分のナグジェ・ロスタム(王家の墓)へ
ここはダレイオス1世、2世等の墓もある、ぺトラ遺跡にも少し似た印象のネクロポリス。
予備知識等なく、ペルセポリスへ行きたいといったらオマケにつれてきてくれた遺跡だったが意外に良い。
しかし規模は小さく30分もせず全部遺跡を見て回る。
入場料3000RIS(約30円)


14時過ぎにシラーズのホテルに戻る。

14時30分 ホテル近くの地元民向け食堂(ハーシェミー)へ。
全然英語が通じない。

チェロウ(長い白米のごはん)、キャバーブ(羊肉?のケバブ)が27,000RIS(約300円)味はまあまあ。ちょっと塩辛い?

コーラ6000RIS(約60円)。ボラているか?という値段だが、メニューもなく英語も通じないので、店員の言い値である。(汗)

ほうれん草のスープ8000RIS(約80円)。なんじゃこりゃ?というお味。ローカルスープということで飲んでみたが激しく後悔。塩コショウを何度ふってみても、いっこうにまともな味には戻らない。(汗)


15時30分~17時
宿から歩いてバザーレ・ヴァキーハ(市場)へ。細い路地が続き迷い込んでしまいそうな市場を通ってそのままシャー・チェラーグ廟へ。

ちなみにシャーとはペルシャ語(イラン語)で王を指す言葉だが、自分達の世代だとガンダムを思い出してしまう。
(苦笑)


ブルーにそまったドームがとても美しい。さすがシラーズ旧市街の目玉といわれるだけある。
ブルーのイスラム寺院といえば、エスファハンが最も有名で、このシャー・チェラーグ廟よりも一回り以上大きいと言われる。

本当はエスファハンにも行きたいのだが、今回はシラーズからのフライトを確認するも予約が一杯でNGだった。

バスでも片道8時間程だが、今回の短期の旅程だとアラビアへ戻るフライトの関係でスケジュールがかなり厳しくなること、またエスファハンでも外国人旅行者が武装ゲリラに誘拐される事件がここ数年おきており、行くならば空路と決めていたので、今回は見送ることに。

まるで巨大な宝石のような真っ青なドームを眺めながら、今回は縁が無かったエスファハンを想像する。


ホテルへの帰り道、西洋人向け?のファストフード店に入る。

缶コーラ350ml 5000RIS(約50円)
ペットボトルコーラ 300ml 3000RIS(約30円)
ペットボトル水 1.5l 2000RIS(約20円)

パンピザ 32000RIS(約320円)
昭和の喫茶店で出てきたピザのよう。(あまり覚えていないが)
はっきり言ってかなりマズイ。


インターネットカフェへ 日本語読みOK。書きNG。
速度はまあまあ。
30分5000RIS(約50円)


日没となる19時頃には宿に戻る。
シラーズは比較的安全ではあるが、ここイランではできるだけ夜間の外出は控えた方がよさそうと判断。
(※夜間の外出が可能な場所かは、女性や幼い子供が多く出歩いているかどうかである程度判断できる)

翌日以降の準備等をして就寝。

※写真:ペルセポリス

2008年5月5日(マナーマ/バーレーン→シラーズ/イラン)

2008-05-17 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



8時~9時 ホテルのプールへ
中東で中級以上のホテルはプールがついていることが多い。
小さい屋外プールだが、つかの間のプチリゾート気分を満喫。

10時 ショッピングモールの1つ、ゴールドシティへ。
中東はショッピングモールが非常に多い。ここは貴金属専門のショッピングモール。
どこまでいっても貴金属関連の店ばかり。さすが石油で潤うアラブという感じ。
もちろん買える訳がないので冷やかして早々に立ち去る。

ゴールドシティ裏のインターネットカフェへ
1時間0.2BD(約54円)シリアと違い速度も快適。日本語OK。

11時 ホテルをチェックアウトし荷物をフロントに預ける。

11時15分~12時45分 タクシーをチャーターして世界遺産のバーレーンフォートへ
タクシー代15BD(約4000円。ぜったいボラれていると思う)
ホテルからフォートへは片道15分程度。

バーレーンフォートでしばし歌う。
しかし自分以外誰もいない。
気温は40度強。数曲歌うが暑いし客もいないしで歌う気になれず、歌うのをやめて景色を眺めることに。
だがあまりに暑く長居もできない。早々に退散する。

13時30分~14時30分
ゴールデンチューリップ内の日本食レストランへ
スペシャルランチ 9.5BD+コーラ1BD+5%税+15%サービス料

味付けや魚はウマイ。しかし米は日本の米のように丸い米ではなく長い米。
もっちりはしているけど、この米で作った寿司はありえなそう。弁当メニュー選択で正解。

味的にはヨーロッパの現地人が作る店よりずっとウマイ。かなり日本の味を再現している。しかしサービス料15%はとりすぎでは?

現地人のおっさんと太ったおばさんが、無愛想に給仕(といっても呼んでも来ない)するだけで、サービスらしいサービスを受けた覚えがない。

アブドラザ・ブッチャー(古い)そっくりの太ったおばさんが日本の着物を着ていたが、あの着物がサービスなのか?
キレイなお姉さんが隣でお酌でもしてくれるなら別だが(おやぢ的発想)、無愛想なブッチャーが着物姿で魔除けのようにレジ前に立っているだけでサービス料15%なら、そのサービスいらないのでもう少しまかりませんか?と言いたくなる。(汗)

ここマナーマはスターバックスやケンタッキーフライドチキン等もあり、暑いしホテルもチェックアウトしてしまったしで、時間をつぶそうかと思うが、値段も割高そうなので、結局またインターネットカフェに来てしまう。
1時間0.2BD(約54円)


タクシーで空港へ 4BD(約1080円)

これでもたぶんボラれていると思う。
本当はバーレーンではタクシーはメーター製なのだが、なぜか皆絶対メーターを使わない。(何度言っても壊れていると言って使ってくれない)


そういえば昨晩乗ったタクシーの運転手と話した時のこと。
その運転手は以前電話関連の技術者で、その際は月収2000USドルだったらしい。
しかし40代のある日突然給料が半分となり、物価高のバーレーンでは事実上のリストラ宣告だったらしく、40代半ばで会社をやめ、タクシーの運転手になったという。

この運転手もメーターを倒さず最初10BDとぼってきたが、色々話しているうちに仲良くなり結局5BDになった。(これでもボラれていたと思うが)


シリアからバーレーンに来る際、飛行機で隣の席になったバーレーン人夫婦は、旦那さんはUKに留学経験があり、奥さんは南インドで留学していたらしい。
彼達は政府関係者だと言っていた。(エコノミークラスだったが)
外国人労働者はもちろんだが、この国は現地人にとっても、石油や政府関連のエリート富裕層と、それ以外といった格差社会なのかもしれない。

事実昨日行った外国人労働者向けのインド人の店では一食200円強、そこそこのレストランだと4000円近い。
これは日本の牛丼屋や立ち食いそば屋と、こじゃれたレストラン等の構造とも当てはまる。

世界的にはアメリカ型の資本家至上主義社会(日本もバブル以降アメリカ型社会になりつつある)、共産圏や発展途上国等、一部の国家利権者至上主義社会(本来は平等社会であるはずも現実はこうだと思う)、格差社会が当然のようにも思える。

我々日本人が世界のあちこちを旅できる反面、自分の生まれた町や国から一生出ることのできない人々の方が世界では圧倒的に多い。
残念ながら我々が生きるこの世界は間違いなく不平等社会だ。

今住んでいる欧州は労働者中心の社会だが、これは法律で過剰なまでに労働者を保護しており、一方で欧州も日本の年金制度のように矛盾も生まれていたり、消費者よりも提供者の方が優位にたつことも少なくなく、やはり社会を成立させるには、何かに目をつぶらなくてはいけないのだろうか。

それともまったく別の新しい社会の仕組みがあるのだろうか、、、?


BAH20:00~SYZ23:00 GF324(ガルフ航空) 約1H遅れ 
時差1時間30分(欧州からは+2時間30分、日本からは-4時間30分)
フライト時間約1時間半。

23時 シラーズの空港でイランのアライバルビザ取得
1時間近く待たされるが何とか無事1週間のアライバルビザを取得する。
ビザ代50USドル。(写真等は必要なかった)

今回の1番の目的地?イランに入国でき一安心。

ここシラーズは、世界遺産にもなっているペルセポリスへの最寄町。
バーレーンからシラーズへは、イランの首都のテヘランから行くのと同等距離かむしろ近い位。テヘラン/シラーズ間の国内線はすぐ満席になり予約がとりにくいので、今回はこのルートを選択。


空港からガイドブックに乗っていた中級ホテルのコウサルへTEL。
部屋が空いているというので、タクシーでホテルへ。(15分~20分)
タクシー代6USドル。

夜遅いせいか空港に両替がない。
しかしイランでは経済制裁を受けている相手のアメリカドルがそのまま使える。(苦笑)
※1USドル=92000RIS(リアル) 


25時 ホテルチェックイン
フロントのおっさんは英語が片言。
トイレシャワー、エアコン、朝食付 1泊250,000RIS(1泊約2700円)


25時30分頃就寝。

※写真:バーレーンフォート

2008年5月4日(ダマスカス/シリア→マナーマ/バーレーン)

2008-05-16 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



8時30分~11時30分 オールドダマスカスへ 
朝食を買い食い。ピスタチオのアラブ菓子がGood。これとチーズサモサで25SP。(約55円)
サモサ(インド風揚げパン)はちょっと微妙だった。

聖パウロが洗礼を受けた聖アナニア教会へ。入場料25SP。
地下洞窟のような教会。当時のキリスト教は密教的な位置づけだったのかと想像させられる。


ダマスカスは地理的にイスラエルと近いこともあり、キリスト教関連の場所も少なくない。
オールドダマスカスは町の半分がイスラム教地域、もう半分がキリスト教徒の地域にわかれているようだ。

またこの町はすごく複雑に入り組んだ細い路地が多く迷いやすい。
町の中央近くにのびており聖書にも登場?しているという「まっすぐな道」を中心にオールドダマスカスを縦断する。


11時30分~12時 インターネットカフェへ 30分50SP(約110円) マルジェ近くの@uralは日本語入力もOK。

マルジェ広場の生ジュース屋でマンゴージュースを飲む。冷たくて超ウマイ。ジョッキ1杯75SP。(約80円)
中東エリアでの意外な楽しみの1つが、このキュッと冷えて濃厚な甘さの生ジュースだったりする。

12時~13時 町中のバスターミナル ガラジュ・バラムケへ 
通常マルジェから徒歩15分だがかなり迷い30分以上かかる。
気温も高く、バックパックとギターもあるので汗だくになる。

13時~13時半 空港へ 
Airport Bus 35SP+荷物台25SP(たぶんボラれた)

14時 チェックイン
15時半発のフライトだが2時間遅れ
空港内のインターネットダイヤルアップサービスでバーレーンのホテルを予約(booking.com)1時間2USドル
※バーレーンは安宿が無く中級ホテル以上になる為、ホテルの予約サイトで手配。
(通常旅で宿泊する中級ホテル以下の場合は、直接現地へ直行するが、中級~高級ホテル以上はサイトで予約の方がディスカウントレートの為お得)


DAM17:30/BAH20:30 GF902(ガルフ航空)

イミグレーションで2週間ビザ取得。5BD(約1360円)
両替50EURO=約30BD(1BD=1.7EURO。約270円)

21時 ホテルへ タクシーでマナーマ市街まで5BD(約1360円)約15分
ホテル30BD(約8100円)

バーレーンの夜景は、規模感こそ大きくないもののリゾートエリアのドバイや香港のよう。バーレーンは世界でも屈指のリゾートタウンに発展したドバイの後姿を追っているのかもしれない。

水400ml 0.1BD(約27円)
水1.5l 0.2BD(約54円)


地元外国人労働者が行くような安食堂へ
インド人の作るチキンインドカリーライス+水=1.1BD
バーレーンはかなり物価高だが、外国人労働者(インド人やフィリピン人等)向けのお店は安価。


写真:聖アナニア教会(ダマスカス)

2008年5月3日(ダマスカス/シリア)

2008-05-15 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



AM5時30分~7時30分 パルミラへ

朝日に照らされた遺跡が美しい。
遺跡はやはり人の殆どいない早朝、夜明けがベスト。

しかし広大なこの遺跡も"ここ"という場所が無い。
なぜかぺトラのように"やっと出会えた"という実感が無い。

7時30分~8時30分 朝食。アラブ式朝食もイマイチ。
ただ甘くて硬くて食べられなかったフリーズドライピスタチオ豆腐のオリジナルに出会う。
フリーズドライと違ってちゃんと食べられるがやっぱりカタイ。まあ自分でお金を出して食べようとはやっぱり思わない。

8時45分 ダマスカス行きのバスへ乗ろうとバス停へ。しかし2社合計で毎30分時にバスがあるも、9時、9時半、10時、10時半、11時と連続して満席で乗れず。
13時まではアウト、それ以降もわからないと言われる。別の町が始発の為、予約も不可。これは困った。
しかし同じくバス待ちの日本人2人とタクシーをシェアすることに。1人1100SP(約2400円)
11時~14時 タクシー移動。約3時間。PM2時過ぎにダマスカス到着。

アル・ハラメインホテル。
ドミトリー1泊540SP(約1200円)

15時~17時 オールドダマスカスへ

町をぶらつき買い食いの昼食。
レバノン風ピザ 25SP(約55円) 焼きたてが超ウマイ。(冷めるとマズイ)

アラブ菓子(ワルバード) 25SP。ピスタチオ入り。なかなかウマイ。
トルコアイス 50SP。すごい行列ができていたので並んで食べるがイマイチ。
味覚が違うのか?

マンゴー生ジュース 60SP。かなりウマイ。
水1.5ℓ 25SP

両替 10USドル=450SP。

ゴールドスークを歩く。
非常に大きい地元の商店街アーケード。
イスタンブールのグランバザールを思い出す。

ウマイドモスクも壮大でキレイ。
外国人は本来有料らしいが、地元人用の入場門から入ったらタダだった。(知らなかった)

なおシリア人は敬虔なムスリムだと思っていたが、お祈りの音楽が流れてもお祈りしていない奴が多い。
トルコ等もそうだが、意外にいい加減なイスラム教徒が多い印象があり。
イスラエルとの問題は宗教的な意味合いよりも領土争い等の利権問題の方が大きいのだろうか。

17時30分~19時 宿に戻って歌う。

19時過ぎにマルジェ広場近くのレストランでケバブ等を食べるがイマイチ。
見た目はレバノン料理に近いものでも味は完全に別物。

口直しに同じくマルジェ近くのアルディークアルフィッディ(Al-Deek Al-Fiddi)へ

ハーフチキン90SP(約200円)
コーラ40SP(約90円)

ニンニクマヨネーズソースの鳥丸焼きが超ウマイ。
鳥は地鶏風?
まさにB級グルメ。

部屋に戻るとドミトリーの相部屋にロンドン在住のイギリス人青年がチェックインしてきた。
見た目はハリポタのラドクリフ君そっくり。
彼もミュージシャン志望でギターを持って旅をしているとのこと。ただし路上ライブはしないらしい。

彼はこの後レバノンに戻ってそこでティーチングプログラム(語学学校の講師?)でサウジアラビアに行くといっていた。
他でもよく聞く話だが、サウジアラビアは観光ビザが非常にとりにくく、サウジアラビア航空が主催するパッケージツアーでないと入国ができないが非常に高額。一方サウジ国内の企業からのレターがあれば比較的容易に労働ビザがとれるので、彼も労働ビザでサウジに入国すると言っていた。3ヶ月サウジにはティーチングプログラムで訪問すると言っていた。

自分が日本で音楽をやっていたこと、また自分がUKの音楽が好きだったことを話す。
90年代はRadio HeadがNo1だと思っていたが、今のUKのNo.1ミュージシャンは誰だと思う?と自分が問いかけると、「コールドプレイかな?」という答えが返ってきた。
I think so tooと返す。
この日は相部屋となった日本人と3人でPM11時頃まで話す。

※写真:ウマイドモスク

2008年5月2日(パルミラ/シリア)

2008-05-14 | 旅メモ&旅日記(中東・アフリカ)



朝7時にホテルをチェックアウト
ホテル→カラージュ・シャール・ハロウのバスターミナルへ タクシー代 3000LP(約200円)
セルビス(乗り合いタクシー)を待つ間ギターを取り出し少し歌う。ジモピーのおっさん達がGoodと言ってくれる。

本当はバールベック等もう少しレバノンでゆっくりとしたいところだか、今回のレバノンはシリアビザを国境で取るための入国の為、日程的にゆとりもなくこれで移動することに。

ダマスカス行きの乗り合いセルビス代 10USドル(約1000円) ※レバノンでは普通にUSドルで支払いが可能

7時50分頃セルビスが出発。
9時50分頃レバノン側イミグレーションを通過。セルビスの運転手が出国カードをくれ記入し手続き。
10時頃レバノン出国。
10時5分頃シリア側イミグレーションへ。同じくセルビスの運転手が入国カードをくれ記入し手続き。
入って左手に支払いカウンター。1ヶ月ビザが24USドル(支払いはドル払い)
その後入って右手の外国人向けカウンターでビザ取得。(写真等は不要)
10時15分頃シリア入国。手続きは意外に簡単。


10時40分頃ダマスカスのガラージュ・バラムケ(バスターミナル)へ到着。
タクシーでパルミラ行きのバスターミナル、ガラージュ・ハラスターへ。 タクシー代200SP(シリアポンド。約450円)
1EUR=約70SP、1USドル=約45SP

11時10分頃ガラージュ・ハラスターへ到着。(ダマスカスの町を挟んで反対側のターミナル。ダマスカスには複数の長距離バスターミナルがあり行き先によって違う。これはヨルダンのアンマンも同じ)
パルミラ行きのバスチケットを購入。110SP。(約250円)

11時30分~14時30分 パルミラへバス移動。意外に大きくて立派なバス。

郊外のパルミラバスターミナルから市内へ移動。鈴木と名乗るシリア人(かなり怪しい)が片言の日本語で声をかけてくる。
鈴木のタクシーに乗る。タクシー代25SP(約55円)

ガイドブックに乗っているドミトリーが一杯。鈴木の案内で別のドミへ行くがここも一緒。しかも店主がかなり横暴。
鈴木も熱心にツアーをすすめてきてウザイので振り切って、少しまともな中級ホテルで宿泊することに。
オリエントホテル 30EUR(45USドル) ※ここはユーロ、ドル支払いが可能。

15時~15時半 町中のレストランで昼食。鶏肉のベドウィンフード350SP(750円)、水1.5リットル100SP(220円)。
メニューをみせてくれというが無い、今日のメニューはこれだけとのこと。でも別のテーブルでは別のものを食べている。
たぶんボラれたと思う。町なかを歩いていても呼び込みがウザく、ここはかなりツーリストずれした町だと感じる。

15時半~18時 徒歩でパルミラ遺跡へ。

遺跡で歌っているとすぐに子供が寄ってきて10人以上の子供達に囲まれる。
すごく盛り上がり、他の観光客などはその光景に写真をバチバチととられる。ほとんど見世物状態。

しかししばらくするとポケットに手を突っ込んでくる子供がいる。叱ると今度はかばんのポケットを勝手にあけだす。
ギターを弾いており手が離せないのを良いことにやりたい放題。

こちらが何度か注意していると、それを見たシリア人の大人が子供恫喝。
ポケットに手を入れた子供達が悪態をついてどこかへ行ってしまった。
ふと気がつくと自分のペットボトルの水が無い。水持って逃げたか。
まあ被害が水ぐらいならよしとしよう。

だがそのほかにも歌っているとギターのペグをいじってチューニングを変えようといたずらする子や1曲歌い終わる度になんか頂戴とバクシーシを要求する子、ひどいのは後ろから蹴飛ばしてくるバカもいる。
こんなことは世界を旅していて初めての経験。

個人的に最悪だと思っているインドのヴァナラシですら歌っている時は子供達を含めて皆友好的だった。
でも子供達のうちの半分ぐらい(特に女の子)は目を輝かして一生懸命きいてくれ、またバカたれの子供達をしかる子供も沢山おり、その部分だけが救いだった。


帰りがけ町なかで飲み物を買う。

コーラ350ml 25SP(約55円)
水500ml 25SP(約55円) 本当は1.5ℓで25SPらしい。ここでもボラれる。

インターネットカフェ。1時間100SP(約220円)日本語読み書きOK

夕食。カワジ(Kawaj)+ヨーグルト+レンズ豆のショルバ(スープ)+ホブス(パン)で250SP(約550円)
カワジは鍋焼き煮込み的な感じ。ベドウィンフードらしいが結構ウマイ。
生マンゴーシェーク100SP。(約220円)これもなかなかGood。

シリア人は良い人が多いというが、ここパルミラに関しては例外のようだ。
モロッコやヨルダンよりもウザくレベル的にはエジプトやエチオピアと同等かそれ以上。
観光客がこうしてしまったのか。それとも元々この土地の人々の気質なのだろうか。
非常に残念だ。

写真:パルミラの遺跡で歌った場所