拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

ある夜の物語

2013-06-26 | 旅人のひとりごと


縁あって、星新一さんの「未来いそっぷ」を読む機会がありました。

これがホントに自分が生まれる前の作品か?と思うような、その後の時代を予言するかのような内容のショートストーリー(同氏の場合はショート・ショートと言うのでしょうか)が詰まっていますが、その中でも昨夜読んだ、「ある夜の物語」というサンタクロースの話に、とてもとても心が温かくなりました。
(風呂上りだったので、体も温まっていましたが。笑)


で、さっきネットで検索してみたら、なんとアニメになってニコ動にアップされていました。(少し原作から内容がカットされていますが)



人や作品との出会いは、本当に縁だなあと思います。

10代・20代で何度か大きな挫折を味わう中で、そういった目に見えない縁というものを、大切にしたいと思うようになりました。

自分も1人の表現者として、縁あって自分の楽曲や作品と出会ってくれた人に、時間や場所を越えて、何かを感じてもらえる存在になりたいと思っています。


ある夜の物語.mp4

仕事場近くのお茶屋さん

2013-05-31 | 旅人のひとりごと



仕事場の近くにあるお茶屋さんに、ここのところ毎週通っています。


よく噛んで食べなさいと子供の頃教わった記憶がありますが、1人で昼食をとるとあっという間に食べ終わってしまうので、これまた毎週のように通っている行きつけのお店でアジのタタキを頂いた後、昼休みにそのお茶屋さんでお抹茶を頂いています。


時間帯や立地の影響があるのか、いつ行ってもガラガラで、お客は自分1人という事もしばしば。


きっと誰かに話せば、物好きだねって笑われるのかもしれませんが、でもそのお店で、美味しい抹茶と懐かしい素朴なお茶菓子を頂くと、ほっと気持ちが落ち着くんです。


自分1人が足しげく通った所で、何の足しにもならないのでしょうが、せっかく自分がそのお店の良さに気づいたのだから、大して力になれなくても、応援したいって思うんです。


プロミュージシャンとして挫折を味わい、1人でギターを抱え世界を旅して、お客が1人でも、誰も立ち止まってくれなくても、いつも心を込めて歌おうと思い10年、路上で引き語りをしてきたからなのでしょうか。


例えお客が入っていなくても、このお茶屋さんを応援したいと思う、そんな自分がいます。



※写真:いつも頂いている抹茶

日本の育児休暇制度が3年になるらしい

2013-05-04 | 旅人のひとりごと


安倍政権で、育児休暇制度を現行の1年から3年に延長する話が出ているようです。

一方で、女性の雇用を控える企業が増えるのでは?とか、当の女性からもキャリアプランが心配という声が大きく、意外にもネガティブな反応が多いのだそうです。

欧州では女性どころか、男性にも育児休暇が浸透しており、成功事例が幾らでもあるのに、スポンサー至上主義&島国根性丸出しのメディアが、おかしな世論を作ろうとしているのでは?と勘ぐりたくなります。


この5月から官公庁では、早くもクールビズがスタートしました。
(民間では6月~9月が多いようです)

当初は「なんだよクールビズって?」と思ったものですが、2005年の小泉政権時に開始されて以来、いつの間にかすっかり定着して、今ではノーネクタイ&ノージャケットですむクールビズ・シーズンを心待ちにしている自分がいたりもします。


何かを大きく変えようとした時、目先のデメリットや、変わることへのネガティブ論が出るのは世の常ですが、保険制度や年金制度の崩壊をはじめ、中長期の視点にたてば、少子高齢化社会はデメリットの方がはるかに大きいのは明白です。

少子化対策について、日本は欧州等に比べると明らかに「発展途上国」であり、日本の未来の為に少子化対策は避けて通れない大きな課題となっています。


もちろん民間だけで何とかなれば良いのですが、海外での韓国との輸出競争など、官民一体で対策をとらないといけないものがあることを、在欧中に思い知らされたのも事実です。

一案だけでなく、二案、三案と、政府には思い切った少子化対策政策を打ち出して欲しいと思っています。

あれから2年

2013-03-11 | 旅人のひとりごと


東日本大震災から2年が経ちました。

福島原発の問題等もあり、まだまだ復興への道程半ばという印象がある現在。

自分など今、直接的には何も出来ていない事に不甲斐なく思いますが、日々自身にできる精一杯で毎日を生きていくことが、結果的に被災地、そして日本の未来に繋がると、そんな風に考えています。


先週、2020年夏季オリンピックの開催地選考視察に、IOCの評価委員が来日していました。

時を同じくして自分も仕事で先週、東京ビックサイトを訪れた際、同視察団を出迎える着物姿の女性を見かけました。


現状は明記されていませんが、ぜひとも「東日本大震災からの復興」を旗印に、2020年夏季オリンピックを東京で開催すること、そしてそれまでに官民一体となって日本の復興・再生に取り組むことを明言して欲しいと、個人的に思っています。



※写真:震災直後に日本へのお見舞いとして、フランクフルト在住時のドイツ人大家さんから頂いたチューリップ

ミュージシャンの価値観

2013-02-09 | 旅人のひとりごと


ここのところよく、自分の“根っこ”について考えさせられます。

モノゴトの良し悪しを決めるのは、育った環境の影響が大きいのか、自分の価値観はやはり音楽人としてのソレがベースだと感じます。


音楽人(ミュージシャン)の美学は一言で、「良いモノ(音楽)を作る」ただこれだけに尽きます。


もちろん色々な意味で成功したいし、大切な人に認められたいという気持ちはあります。

しかしそれらは、極論を言うと「良いモノ(音楽)を作る喜び」と比較すると、「オマケみたいなモノ」だったりします。


ただいくら良いモノを作っても、商業的な結果がでないと、色々困難な状況に追い込まれることを、自分の半生の中で実感してきました。

儲かる、儲からないなどという世界とは、無縁で生きていたいと常々思っていますが、不況下に企業が倒産に追い込まれるのと同様、CD等の録音物が売れない今の時代はより顕著だと思います。


これは今自分の生活を支えている仕事でも、自分にとって本質的には同じで、目指すのは「良いモノを作りたい」ただそれだけに尽きるし、その良いモノを作り続けて行きたいからこそ、「結果を出したい」という思いがあります。

そしてそれらを「徹底的にやり抜く」のは、音楽人として至極当たり前の話です。


しかし音楽人にとってごくごく当然のこれらの価値観は、そうでない世界で日々生きていると、それが当たり前では無いと感じることが多々あります。

音楽人としては、シンプルに生きているつもりでも、周りには違って映るのかな?と感じます。


自分達に比較的考え方が近いと感じるのが、やはり同じようにモノづくりをしている人達で、欧州時代は日系製造業の人達との関わりも多かったので、どことなく同じようなニオイを感じていました。

もちろん異国の地で、日本人同士助け合っていこうという思いが、よりプラスに働いていたとは思いますが、日本に帰ってきてから1年以上経って、いろいろと考えさせられることがあります。


「高い志を持って、より本質的かつ懸命に、良いモノを作り続けたい」

そんな風に生きていけたらと、1人の音楽人として日々思っています。



※写真:今回のアルバムで良い音楽を作ろうと一緒に頑張ってくれたギタリストと、初めて全国ツアーをしたステージでの1枚。
父親へ捧げる曲をカタチにしたいという思いがキッカケでしたが、長い月日を越えて、再び一緒に音楽ができたことに大きな喜びを感じます。
僕達ミュージシャンを前へ前へと動かすエネルギーは、いつの日も、その「思い」です。

アルジェリアのテロ事件

2013-01-23 | 旅人のひとりごと


日揮の日本人駐在員7人を含む、多くの犠牲者を出したアルジェリアでのテロ事件。

これまでそれ程大きな問題が起こっていなかった場所ということもあって、海外で仕事をしたり、旅をしたりする自分達にとっても、決して他人事ではありません。


時を同じくして、マリの紛争に、旧主国のフランスが軍事介入したので、これらとの関連性が疑われましたが、アルジェリアやマリの事件首謀者の声明からはどうやら無関係のようです。

むしろ発端は所謂“アラブの春”で、近隣の独裁政権が倒れ、武器が大量に流出したこと、イスラム過激派にとっても歯止めとなる軍事政権が近隣から無くなったことの影響だと言われています。


数年前に自分が陸路で旅をしたシリアやマリが、今では内戦に近い状態で大きなショックを受けています。

国際社会は本当にめまぐるしく移り変わるものだということを、その地を実際に訪れ、何らかの関わりを持ったりすると実感します。


一方で、日本に帰国して約1年になりますが、これだけ地球のサイズが小さくなって、世界が近くなっても、島国ということが影響してか、やはり日本と国際社会の間には、心情的にまだまだ距離があるのだなと感じます。


ビデオ会議や電話で、よく海外の同僚や顧客と一緒に仕事をするのですが、海外で仕事していた頃に見えていた景色と、東京で見える景色がこんなにも違うのか!?という、驚きに近いこの感情は、やはり実際に体験しないとわからないものかもしれません。


この距離感を早く縮めないと、日本の未来は危ういものになると、自分は思っているのですが、この1年日本国内から出ていないこともあってか、最近海外にいた頃に感じていたその気持ちが、少しずつ薄れつつある自分自身に対して、少し危機感を感じています。


1つだけ言えるのは、今回のアルジェリアの事件は、自分達にとって無関係な遠い国の出来事ではなく、すぐ傍で起きた身近な現実だということです。


地球のサイズが日々小さくなっていく中で、いつ自分達が当事者として同じような場に居合わせるかわからない世の中になってきていることを、忘れてはいけないと思う今日この頃です。


※写真:ニジェール川沿いで朝食を作る女性達と、朝の漁にでる男性達。(2007年マリにて)








ウィーンフィルのニューイヤーコンサートをみながら感じたこと

2013-01-02 | 旅人のひとりごと

元旦の夜は恒例のウィーンフィルのニューイヤーコンサートをみていました。

同オケを聴きながら欧州で過ごした日々が脳裏に浮かび、なんだかノスタルジックな気持ちになりました。

当時は正直、楽しかったことよりも、苦しかったことや大変だったことの方が何倍も多く、日本での生活をよく懐かしんでいたのに、不思議なものです。


ウィーンフィルの奏でる上質なウィーンナーワルツは、シュトラウスの時代から200年経った現在、世界的にもウィーンの代名詞といえる同街の象徴となっています。

一方、最近ミュージシャン仲間の間では、「今や日本の音楽業界はアイドルとアニメソングだけで、ポップスやロックは絶滅寸前だ」という声が溢れています。

欧州在住時に目にしたのは、ベルリンフィル等、世界最高峰のクラシック文化を持つドイツでも、若者のクラシック離れが進み、コンサートホールに足を運ぶ聴衆の多くは年配の人たちか、外国人という状況でした。

それでもその古き良き文化を何とか残そうと、欧州各地で色々な活動がされています。

一例として、音楽が盛んなアイルランドでは、普段オフィスで仕事をしている人たちが、週末にはパブに楽器を持ち寄りあちこちでセッションが始まります。

中にはプロ顔負けの凄腕の人たちがいて、そうやってアイリッシュ=音楽というイメージが世界的にも確立されています。


自国の若者のリスナー人口は減ったとしても、その音楽が素晴らしければ、その聴衆の分母は世界人口に変わります。
例えばドイツ語圏の人口は1億ちょっとですが、世界人口なら60億以上です。

我々日本人も嘆くのではなく、同じように外に向けたアプローチをし続けることが大切だと感じています。


島国に生まれ育った我々日本人は、色々な物事の分母を1億2千万で考えてしまいますが、音楽に限らず、身近なものからその分母を60億に頭を切り替えていくことが重要だと、海外で生活しながら日々感じていました。

JPOPSやJROCKを世界に広める入り口は、ひょっとしたら既に世界でも地位を確立している日本のアニメやゲームとのコラボなのかもしれません。

日本の音楽、そして日本という国全体が、既に転換期に入っていますが、これまでと大きく発想をジャンプさせ、新しいチャレンジをしていかなくてはいけないと感じる、今日この頃です。

※写真:ウィーンフィルの本拠地、ウィーン楽友協会。

故郷を離れた日

2012-12-29 | 旅人のひとりごと


メジャーリーガー松井秀喜選手が引退しました。

今朝はLive映像で引退会見をみましたが、どこか晴れ晴れしたような表情でした。
きっと今は限界までやり抜いたという充実感があるのでしょう。

でもグラウンドのいつもと違う場所で、一人の観客として試合をみた時、自分が“その場所”にいないドウシヨウモナイ寂しさが、ぐっと込みあげてくるものだと思います。


かつて“自分がいたその場所”を訪れることは、遠く離れた故郷を訪れた時の気持ちと、どこか似ています。

そこで親しい仲間が出迎えてくれると、自分の居場所に帰ってきたような気持ちになります。

しかし時間が経ち、よく知った風景が見る影も無く変わってしまうと、まるで思い出の一部分を切り取られたような気持ちになります。


自分も地元を離れて20年近くなりますが、実家の近所は、子供の頃遊んだ風景が殆ど残っていません。

それでも生まれ育った家で、両親が出迎えてくれると、「ただいま」という言葉が自然に沸いてきます。

そういう意味で、それまでは当たり前だった、“実家に両親がいてくれること”と“帰る場所があること”は、故郷を離れて初めて、本当にありがたいものだという事を知りました。


明日からお正月明けまで、実家に戻りますが、父親は入院しているので、今回出迎えてくれるのは母親だけです。

まだ想像ができませんが、いつか出迎えてくれる人がいなくなり、自分が生まれ育った家も無くなったら、いったいどんな気持ちになるのでしょうか。


18年前、父親の車に自分の荷物を詰め込んで東京へ旅立った、不安と期待が入り混じったあの日の気持ちは、もう今ではすっかり薄らいでしまいました。

毎年当たり前のように迎えていたお正月ですが、その父にとって、おそらくもう次という言葉は無いのでしょう。


残された時間が僅かだとしても、たとえその場所が病室だとしても、父親と迎える最後の時間を、大切に過ごしてこようと思います。

たった1人の誰かの為に、心を込めて歌い続けたい。

2012-12-26 | 旅人のひとりごと


今クールに見続けたドラマ、遅咲きのヒマワリが最終回を迎えました。

その中で心に残ったフレーズが、「夢は俺(私)のもの」という言葉。


目標だったり、成し遂げたいって思うことは、色々あります。

それは仕事上のことだったり、人生の中でのものだったりと様々です。


でももし「あなたの夢は何ですか?」と聞かれたら、表題につけた言葉を自分は答えると思います。


日曜日にレコーディングを終えて自宅に戻り、禁酒生活明けだからと久しぶりに今住んでいる近所の、ミュージシャンが集う飲み屋に顔を出しました。

そこで自分がリスペクトする、先輩プロミュージシャンのベーシストから言われたのが、「絶対に音楽をやめんなよ」という言葉でした。

間もなくこの世を去る父親に感謝の気持ちを伝えたくて、11年ぶりに今レコーディングをしていることを話した時、その先輩ミュージシャンから言われたこの一言は、すごく自分の中で響いた言葉でした。

「お前はたとえ観客がたった1人でも、魂を込めて歌うことができるシンガーだから、どんなことがあっても歌をやめて欲しくない。ショービジネスとか、金は関係無い。音楽は死ぬまでやり続けることに意味がある。そして何年先でもいいから、いつかお前の音楽を手伝わせて欲しい」と、その先輩ミュージシャンは言ってくれました。


人は年齢を重ねて、背負うものや、しがらみなどが増えると、好きな事を続けることや、夢を見続けることが少しずつ難しくなっていきます。

実際自分もこの10年は、音楽を続けていたといっても、表舞台から完全に姿を消して、時折数日の休暇をとり、ギターを持って旅をしては、路上で歌っている状態でした。

それを10年続けて、100ヵ国という世界の半分以上の国を、ギター片手に歌いながら回ったものの、日常生活の中では職場の同僚も、自分がうた歌いだと知っている人は殆どいません。

この10年は自分にとってそういう年月であり、それを選択したのは他の誰でもない自分自身です。


それでも歌うことをやめなかったのはなぜか。

父がもうすぐこの世界からいなくなってしまうと知り、最後に自分にできることは何かないかと考えた時、出した答えが、父の為に曲を書き、歌うことだったのはなぜか。

それは、自分はうた歌いであり続けたいという思いが、いつも自分の中にあったから。

例え観客が1人でも、歌う場所が路上でも。


「たった1人の誰かの為に、心を込めて歌い続けたい。」

その思いをいつまでも持ち続けたいと思います。


父の背中

2012-12-21 | 旅人のひとりごと


良くも悪くも“真面目で一生懸命”、、、それが子供の頃から、自分がずっと見続けてきた父の背中でした。


仕事一筋で趣味も無く、家の事を何もしないばかりか、日曜日も休むことなく仕事をし、幼少の頃も遊んでもらった記憶が殆ど無い、そんな父を見て、父のようには絶対なりたくないと子供ながらに思ったものですが、年齢を重ねると、知らず知らずよく似た部分が自分の中にもあることを、ふと気付かされたりします。


しかし人生の終わりを迎えようとしている今なお、全ての人間が避けては通れない“死”というものに対して、父は自分にその背中を見せてくれているような気がします。


ストレッチャーのまま移動することができる介護タクシーの存在や、ストレッチャーにも硬さが色々あって、長時間寝ていて楽なものや硬くて痛いもの等色々あること、自分達が絶対だと思っている精密検査や人間ドックでも見つからない病気は沢山ある(むしろ見つかるものの方が圧倒的に少ない)ことなど、父のことがなければ知らなかったことが沢山あります。


ミュージシャンあがりの雑草が、底辺から這い上がろうと必死だった頃の気持ちを、すっかり忘れかけていた最近の自分。

“良いときばかりではない、誰もが成り得る弱者の気持ちを忘れるなよ”と、かつては経営者として会社を切り盛りし、バブル時代にはRolexの時計をしてBMWを乗り回していた父が、半身不随で力なくベッドに横たわりながら、今もその背中で教えてくれている気がします。


口下手であまり多くを語らない父ですが、最期までその背中を、この目に焼き付けようと思います。