拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

セッション20/シンジのパート「日本人同士の支えあい」

2012-02-19 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

今日は翼が通うフランクフルトの日本人小学校と、同じ敷地内の日本人中学校、そして平日は夫々の現地校に通いながら、土曜日だけ同じ校舎に通う日本人補習校の子供達の合同運動会に行ってきました。

全日と補習校で小学校1年生から中学3年生までが一緒に行うので、子供だけで400人以上いてかなり大規模ではありますが、かけっこや綱引き、玉いれや、リレー、ねぶた祭りのような合同遊戯等、中身は僕達のよく知っている日本の運動会そのもの。

運動会になるとお父さん達の主戦場となるのか、望遠レンズの付いた一眼レフのデジカメ片手に、我が子を撮影するベストポジションを求めて、子供達以上に親の方がシノギを削っていましたが、海外での狭い日本人社会なので、隣をよく見ると仕事上のお客さんだったりして、「あ、どうもお世話になっています」と挨拶したら、子供がかけっこでゴールしていたみたな事が、あっちでもこっちでも起こっていました。(笑)


本当に海外での日本人コロニーは狭いので、仕事で旦那さん達が初めて名刺交換をした後に話をしてみると、子供同士が日本人小学校のクラスメートだったり、実は奥さん同士が知り合いだったりすることがよくあります。

否が応でも公私共に繋がってしまうので、仕事で下手は打てないというのはありますが、一方で、独身の他の同僚には厳しくクレームを言うお客さんでも、子供が同級生の僕には、すごく丁寧に接してくださるという利点もあります。
(もちろん僕はお客さんに怒られるような事はしていませんけれど。笑)


こういった日本人同士の繋がりがあると、どこのお店が美味しかったとか、デュッセルドルフのインマーマン通りに新しく出来たラーメン屋は、麺を日本から空輸していて日本と同じ味だからぜひ1度行ってみて等、私生活でも情報交換ができてすごく助かります。

最近ではインターネットで日本をテレビ番組を見ることができたり、父の日や母の日でもネット通販で日本の両親へ配達ができたり、デュッセルドルフやフランクフルトのような、比較的日本人コロニーが大きい都市では、日本人の作る日本料理店が複数あったり、日本の本屋まであったりと、海外でもかなり日本に近い生活を送ることができます。


年配の10年以上海外生活をしているお客さんの話を聞くと、昔は日本にもう帰らないつもりで日本を出たものだったが、最近の若い人達は毎年のように日本へ一時帰国するし、軽い気持ちで海外に来ていると嘆かれたことがあります。

でも経済の背景等から、これからもっともっと日本人が海外で活躍しないといけない状況の中では、海外へ出る敷居は、低ければ低い方がいいと僕は思っています。

たとえ任期が3年でも、そこで得たものを日本に持ち帰って、日本の未来の為に役立てられればそれで良いのではないかと。


もちろん日本人同士の付き合いしかなく、まったく現地に溶け込もうとしないのは問題だとは思いますが、中国の架橋の人たちの様に、同じ日本人同士が支えあって、海外で頑張っていくことは、これからの日本にとっては大切なことだと僕は思うんです。

ドイツに来る前に東京で仕事をしていた時は、人との関係が希薄になりがちだったかもしれないと今振り返ると感じますが、これからの日本の未来を考えると、日本人同士がもっと手を取り合い、助け合っていくことが大切だと感じています。

そう、僕とカズさんのように。
(僕達の場合は、いつも僕ばかり一方的に助けてもらっていますね。ホントすいません。汗)





P.S.
お客さんに紹介してもらい訪れた、デュッセルドルフのインマーマン通りにある、ラーメン店の一杯です。

さすが空輸で日本から麺を運んでいるだけあって、日本ラーメンと同じクオリティでした。(笑)



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セッション19/カズさんのパート「自分が目指すもの」

2012-02-18 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズ@野毛のチン麺はMY Soul Foodです。(笑)

話のわかる上司がやって来て、よかったじゃん。

でもドイツ人達とあんまり喧嘩しないように、気をつけなよ。

プロフェッショナルとして大切なのは、それが正しいか、正しくないかということではなく、"自分の目的を実現すること"や、"結果"なのだから。

オレ達ミュージシャンが、"できるだけ良い演奏"をレコーディングして、それを"世に出したい"と思うようにね。
(まあオレもすぐに熱くなって、その過程でいつも喧嘩しちゃうから、今だにうだつが上がらないのだけれど。苦笑)


シンジの話を聞きながら、ヨルダンのペトラでの出来事を思い出したよ。

ペトラは、映画"インディ・ジョーンズ/最後の聖戦"で、聖杯が隠された遺跡として登場する、実在の遺跡なのだけれど、この遺跡で歌っていた時のこと。


ヨルダンは石油が殆ど出ない国で、他の産油国みたいに裕福じゃないんだ。

だから未だに砂漠のベドウィン(アラブ遊牧民)達の、昔ながらの生活が所々残っていたりするのだけれど、彼らも生計を立てるために、観光客向けのビジネスをやったりしているんだよ。


このペトラ遺跡の中でも、観光客向けのレストランがあって、ギターを持ってペトラの遺跡を歩いていた時、そのレストランの1つで、ベドウィンのおやじに声をかけられたんだ。

自分のギターを指さして、「演るのか?」と聞かれたから、「もちろん」と答えて、その場で何曲か英語や日本語の曲を歌ったんだよ。

そうしたら、その店のベドウィンのおやじが、「ウチの店で働かないか?」って言うんだ。

彼曰く、オレがこの店で歌ったら、もっと沢山の日本人観光客がやってきて、店が流行るだろうって、熱心に口説いてくるんだ。


「それは嬉しい誘いだけれど、オレは日本で仕事を持っているから、ここで働くわけにはいかないな」と話したんだ。

そうしたら、「お前の給料は、らくだ何頭だ?お前はらくだを何頭持っている?」と聞くんだよ。


彼達ベドウィンにとって、らくだは今だに富の象徴であるらしく、オレが「らくだは持っていないな」と返すと、「なんだ、そんなところやめてしまえ。お前がここで働けば、ここにいるラクダをお前にやるから」と言うんだ。

まあ外国人をからかった、ちょっとしたジョークなのかもしれないが、それでもそんな風に言われて嬉しかった。

ちなみにその時は、「オレにらくだは必要ない。可愛いジャパニーズ・ガールをくれるなら考える」と返したのだけれど。(笑)


もう1つ、西アフリカのマリの首都バマコから、ジェンネまで旅した時の話。

その時は、エアコンも付いていないオンボロバスで、10時間以上も移動したんだけれど、車内が狭いから、バックパックをバスの下にある荷物置き場に入れたんだ。
(バスの屋根の上に乗せてロープで縛るか、下の荷物入れの2択だった)

しかし後から乗ってきたジモピーが、20頭位のヤギを連れていて、ヤギはどうする気だろう?と思っていると、ヤギ達をバッグパックが入った下の荷物入れに、詰め始めたんだ。


悪路で灼熱の中を10時間以上も移動するから、当然家畜達にとって過酷な環境。

目的地に着いた時には、ヤギが何頭か死んでいて、しかも俺のバックパックは、ヤギ達の汚物マミレになっていた。
(念のためバックパックの外側を、ビニールのゴミ袋で覆ってあったから、そのくそマミレになったゴミ袋だけを捨てたけど、ふざけんじゃねえ!って感じだろ?)

でもマリでは、ヤギは大事な財産であり、荷物なのだから、他の乗客の荷物と一緒にのせるのは当然のことで、いちいちそれで怒るオレの方が悪いらしい。

本当に所変われば、"当たり前"って、国ごとで違うのだと、思い知らされた出来事だった。


シンジ。オレはこう思うんだ。

世界に出たら、日本の価値観や物差しは通じない。

まずはその国の"当たり前"を知るところから始めて、実際にその中に飛び込んでみて、そこで自分達の良さを発揮し、自分達が目指すものを実現していけば良いのだってね。


そうそう、アフリカと言えば、俺はアフリカ等の発展途上国に行くと、よく現地の中華料理屋を利用するんだよ。

日本人としては時々、米が食べたくなってくるのだけど、まともな日本食レストランはめったにないし、一方で中華料理は、大抵の国で、中国人の経営するお店があるから。
(マリのバマコでも、中国人のおばちゃんが経営する店があった)


世界のあちこちで中華料理のお店に入ると、こんな遠方の小さな国で、オリジナルに近い味付けの、すごく美味しい店があるんだという、良いサプライズの店があったり、逆になんじゃこりゃ!っていう感じの、現地風に味付けを変えた、オリジナルからは程遠い味の店があったりするんだ。

確かドイツの中華料理店も、味付けがローカル風になっていたと思うから、シンジもイメージわくよな。


ただし場所によっては、オリジナルに近い美味い店が流行っていなくて、逆にすごくマズイ、ローカル風の店が流行っていることもある。

オレなら間違いなく前者の店に入るけれど、だからといって後者の店がやっていることが間違っているとも思わないんだ。


これは想像だけれど、前者の店は、本場の味を届けたいと思って頑張っているのだろうし、後者の店は、この場所でビジネスとして成功したいと思って、異国の地でそこに適合しようと、頑張っているのだと思う。


大切なのは、自分が何を目指し、その目的を達成する為に、ちゃんと前進しているかどうかで、どちらが良いか悪いかじゃないって、オレは思うんだよ。


だからオレは、シンジが目指す道をしっかりと定めて、そこに向かって進んでいるならば、それでOKだと思っているんだ。





P.S.
写真は、ヨルダンのペトラで歌った時のものだよ。

あの時、オーナーの誘いを受けていたら、今頃オレはここで歌いながら、ラクダを引いていたのだろうか、、、???



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セッション19/シンジのパート「日本人が求めているもの、ドイツ人が求めているもの」

2012-02-17 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

翼がフランクフルトの日本人小学校に、通い始めました。
入学式はまさに日本と同じ。

違いは、入学式が行われる体育館に、ドイツと日本の国旗が2つ飾られ、式典で両国の国家が流れることぐらいでしょうか。


さて春の人事異動の季節になりました。

技術部長の矢部さんが日本へ帰国となり、シンガポールから新しい上司の堤さんという方が、後任としてフランクフルトにやってきました。

堤さんは、アメリカで生まれのアメリカ育ちらしく、誰にでもズバズバものを言う人なので、まわりのドイツ人も日本人現地社員も、そして若手の日本人駐在員までが、戸惑っているようですが、僕はこの人とウマがあいそうです。

というのも、これまでウチの会社で抱えていた、"事なかれ主義"で"なーなーの体質"を、「アホかお前ら?」と一刀両断し、カイゼンしようとしているからなんです。


早速これまで個人的に進めてきた、"問題が起こる前に、事前に対策を打つこと"や、どのIT技術者でも、会社の顧客サポートができるように、"社内の技術情報をドキュメント化すること"、そして日本人・ドイツ人関係なく顧客サポートができるよう、"システム言語やドキュメントを英語で統一すること"等を、全社的に進めるよう助言したところ、「君みたいな技術者がウチには必要だ。ぜひ君が中心になってそれを進めてくれ」と賛同してくれたんです。

日本では"そんなの当然だろ?"と思うことばかりですが、現場に目が届かない現地法人では、各々が自分流でバラバラに進めている(しかも"面倒なことはやらない"になりがちな)現実があります。

 以前は自分が何か提案すると、面倒そうなことは(実際は何もしないことの方が、トラブルになってから面倒なのに)、いつも「まーまー」と言われて何も変わらず、問題が起こっても、再発防止の為の抜本的な対策ではなく、とりあえず目先の沈火作業に終始していたので、ようやく現場を回す上で、最低限必要なことが、進められそうです。
(踊る○捜査線じゃないですが、「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」みたいなことが、これまでは度々あったんです。苦笑)


もっともドイツ人同僚達は、かなりノリが悪いみたいですけれど、、、。


先日この堤さんと2人きりで、夕食をご一緒する機会がありました。

お酒を飲んでいることもあり、堤さんの口からは、ドイツでの生活が始まったばかりで、カルチャー・ギャップから生じる、溜まった愚痴がこぼれます。

「シンガポールでは、現地人技術者が日本に憧れを持っているから、日本人マネージャの指示をよく聞き勤勉だったが、ドイツ人ワーカーはプライドばかり高いものの、働かないことの言い訳ばかりを並べて、ドイツ人マネージャの言う事しか聞こうとしない。」

「おまけにシンガポールでは、優秀な現地人が"日系企業から学ぼう"と集まってくるのに対して、ドイツでは優秀な現地人が、世界的にも有名なドイツ企業に就職してしまうので、日系企業に集まる現地人は、意識の低い奴らが多い」とこぼしていました。


そして夜もふける頃、「ドイツでは本当に"消費ニーズ"があるのだろうか?」という話題になりました。

「現在ドイツのサービスレベルが低いのは明らかだが、それはサービス提供者だけの問題ではなく、そもそも高レベルな付加価値サービスを、市場が求めていないからではないか?」と、ドイツに来たばかりの堤さんが、ドイツ生活3年目の僕に問いかけます。

"実はドイツの人たちは、それ程便利にならなくてもよい"と考えており、基本的に旅行と車以外にお金をかけない人たちなので、"高くて便利なものより、不便でも安いもので充分"と考えているから、サービスの質があがらないのではないか?と言うのです。

極論を言えば、我々日系企業が目指す、高いクオリティの製品やサービスというものは、そもそもドイツ市場はそれ程求めておらず、欧州内の日系顧客以外の現地企業は、韓国製品のように、安くてそこそこなモノがマッチしているのではないか?と続けます。


思い当たる節があったものの、僕は即答することができずに、その場は「1度同じ質問を少し噛み砕いて、ドイツ人の同僚達に聞いてみてはどうでしょうか?」と答えました。

僕も周りのドイツ人達が、本当はどのように考えているか、すごく興味があったからです。


しかし後日この話題を、社内のチームミーティングで、ドイツ人同僚達にぶつけてみたところ、意外な答えが返ってきました。

「日本のクオリティは素晴らしいけど、ドイツのそれも劣っておらず、どちらも高品質で素晴らしい。そして我々ドイツ人は、常に高品質なものを求めている」とドイツ人同僚達は言うのです。

これは彼達が、日本に1度も住んだことが無いから、このように感じているものの、実際に日本の"本当に便利な生活"に慣れれば、また違う答えが返ってくるかも、、、という印象。

でも同時に、以前ドイツ人同僚達と一緒に飲んだ時の、こんな話を思い出しました。


「日本はコンビニやファミレス、ファストフード等、24時間のサービスも多く、日曜日でも平日と同じように買い物ができるけど、ドイツもそんな風になったらいいって思わない?」と僕が訪ねると、彼らは「それで休日出勤や残業が増えて、家族と一緒に過ごせる時間が減るなら、便利じゃなくても構わない」と、皆口を揃えて即答されたんです。

堤さんの言葉が適切かどうかわかりませんが、僕が思うに、きっと日本人が求めているものと、ドイツ人が求めているものは、完全に同一ではないような気がします。

それは"文化の違い"であり、"価値観の違い"なのだと僕は思うんです。


最近はインターネットの普及で、今や世界中どこへ行っても、大都市は皆同じようなものが同じように流行っていると、海外生活の長いベテランの方達はよく言っていますが、実はそれに至るプロセスや内容は、少しずつ事情が異なっているのではないかと、自分の周りを見渡すとそんな風に感じるんです。

もちろん圧倒的な優位性を持った、世界的ヒット商品であれば、話は別なのかもしれませんが、、、。


そうそう。もう1つ。
ドイツ人の同僚達に対して、堤さんが聞いた別の質問の回答が、すごく面白かったんです。


堤さんが「ウチの会社の顧客は日系企業が多いが、ドイツ企業を新規に獲得する為に、1番有効な対策は何か?」と問いかけると、満場一致で、「まずは大きくて、キレイで、立派なお客さん向けの会議室を作ることかな?」と答えるんです。

「ドイツではいかに安くて良い製品やサービスでも、その会社の会議室がみすぼらしかったら、絶対その会社と取引をしようと思わない。うちの会社にドイツ企業の顧客が少ないないのも、この会議室がショボイからだ」とまで言います。


そこで僕が彼達に、「安くて、ものすごく美味いけれど、小汚い小さな店」と、「雰囲気が良いけれど、高くてマズイ店」どっちに入る?と返しました。

するとこちらも満場一致で、「マズくても、雰囲気の良い店に決まっているでしょう!!!」と、即答されました。

そして僕が「小汚くても、安くて美味い店が、自分は好きだけれどなあ、、、」と呟くと、ドイツ人同僚達に「え???」っと、衝撃的な顔をされ、その場がシーンとしちゃいました。
(その時、野毛でチンチン麺食べている、カズさんの姿を思い浮かべていました。笑)


僕は日本とヨーロッパしか知りませんが、世界各地を旅したカズさんはどう思いますか?





P.S.
写真はドイツ人が大好きなケーキ、"ザッハ・トルテ"です。

オリジナルはウィーンですが、ドイツ全国の洒落たカフェで食べられる、いわゆる"チョコレートケーキ"です。

ザーネという生クリームと一緒に食べるのですが、一般的な日本人には甘すぎるので、半分も食べられません。

先日ウィーンに出張したお土産に買って帰ったのですが(結構いいお値段なんです)、ドイツ人には「いいね!」と大好評。

でも日本人には「うーん」という感じでした。(笑)



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セッション18/カズさんのパート「バトンリレー」

2012-02-15 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズです。


フランクフルトへの引越しが終わったみたいだね。よかった×2。

ドイツでネットを使った不動産詐欺?が流行っているなんて、知らなかったよ。

シンジは被害にあわなかったみたいだから、よかったけれど。


引越し業者も、地元の安いトコを見つけられて何より。

さすがはドイツ生活3年生。ちゃーんと経験を積んでいるね。


オレ達旅人も、最初は騙されたり、ボラれたりしながら経験を積んで、少しずつトラブルを回避する術を見につけていくのだけれど、海外生活も同じなのかもしれないな。


フランクフルトは都会だけあって、南ドイツよりは生活しやすそうだね。

車も要らないっていうことは、日本の首都圏で生活するのと同じような感覚だろうか。

オレも駐車場代が高くて、横浜では車無しの生活だから。

ただインターネットの移設の件は災難だな。
モバイル接続ができるだけマシなんだろうけど、やっぱりスピードは遅いだろ?

オレも今のADSLから今度、光にしようと思ったのだけれど、ウチのボロアパートはまだ未対応らしくて、開通まで最低2ヶ月はかかるって言われた。
これじゃドイツと変わんないよ、、、。(まあADSLはフツーに使えているけれど)


イースターエッグの写真サンキュー。すごく懐かしいな。

日本じゃイースターの文化が無いから、本当に久々に見たよ。


初めてイースターエッグを見たのは、ニュージーランドのクライストチャーチなんだ。

そこのユースホステルで、宿泊者全員にイースターエッグのチョコを配っていたっけ。

本当に小さな卵形のチョコだったけれど、その時は結構生活を切り詰めていたから、なんて素敵な文化なんだ~って思った記憶がある。
イースターとチョコレートは、本来関係ないのだろうけれど。(笑)


そうそう。その時のユースホテルでは、ワーキングホリデーで、フルーツ畑でバイトしながら旅をしていた、岡崎君という青年にあったんだ。

岡崎君とは年齢も近いからすぐに仲良くなって、ユースホステルには、"フリーフード"といって、前の旅人が不要になった食材を寄付する文化があり、それを使って"タダ飯"を作ることを教えてもらったっけ。

まさに"先人の知恵"という感じなのだけれど、貧乏旅行者のオレには、本当にありがたい情報だった


他にも岡崎君にはクライストチャーチで、すごく親切にしてもらったんだ。

その時オレは、高校時代の親友から結婚するってメールをもらっていたんだけれど、日本に一時帰国する金もなかったから、せめて何かできないかって思い、ミュージシャンらしく?結婚のお祝いのラブソングを作ったんだよ。

ただ録音する為のラジカセすらない状態だったから、どこかで借りられないかって思っていることを岡崎君に話すと、電話帳で格安のホームレコーディングスタジオを探してくれたんだ。


本当はギター片手に、ラジカセの前で歌うぐらいかな?って思っていたのだけれど、彼が「親友の一生のことなのだから」と言って、クライストチャーチ郊外のレコスタを見つけてくれ、スタジオまで一緒に着いてきてくれて、そこにあったピアノで引き語りをしたっけ。

激安ラジカセを買う位の予算しか無かったから、スタジオを借りられたのは、録音とトラックダウン込みで1時間ポッキリだったけれど、そこは元プロミュージシャン、3テイクだけね!と事前に言いながらも、日本のミュージシャンの意地で、2発目でちゃんと決めたから。(1発目じゃなかったのが、ちょっと悔しいが。汗)


岡崎君は、今でも一生付き合える大切な友達で、お互い日本に帰ってきてからも、ずっとつながっているよ。


彼から教わったフリーフードの話は、その後旅を続けながら、他の旅人達にも伝えて、まだその文化が根付いていない場所でも、オーナーから許可をもらって、フリーフードコーナーを作ったこともあったっけ。

そして岡崎君にしてもらったように、その後の旅でオレも、出会った若い旅人達に、できるだけ親切にしてあげるよう、心がけてきたんだ。助け合うのはお互い様だから。

こんなバトンリレーのように人間は、誰かの経験が詰まったバトンを受け取り、自分の経験をそこに付け加えて、また誰かにそのバトンをつないで、今日まで走ってきたのだと思うんだ。


シンジもドイツ生活で得た経験を、いつか誰かに伝えていくのだろうな。





P.S.
今日はそのクライストチャーチのスタジオで撮った、地元のレコーディングエンジニアのおっさんとの2ショット写真だよ。

10年以上前の、まだ20代の頃の写真だから、すごく若いよ。オレ。(笑)

このおっさんは、今も元気だろうか。



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セッション18/シンジのパート「新生活のスタート」

2012-02-14 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

今年もイースターの季節になりました。

そして我が家のフランクフルトへの引越しも、無事終わりました。

ドイツに来て初めての本格的な引越しで、一時はどうなることと思いましたが、これでちょっと一安心です。


今回は最初インターネットのドイツ語イモビリゲン・サイトで、個人契約の物件を探したのですが、街中心部にある安くてすごくお値打ちな物件に連絡すると、「自分はイギリスに住んでいて今ドイツにいないから、部屋の内見はできないので、写真だけで決めて欲しい。敷金と初月の家賃を納めてくれたら鍵を送る」といった類のメールが送られてくる、今流行の不動産詐欺ばかりで挫折しました。

7~8件メールを送ったうちの4件が詐欺で、その他は返事なしだったので、本当にびっくりです。

同じようなメールが送られてくるので、何かオカシイと思い、かつての相棒で、フランクフルトでも再び同僚となるゲッツェに、「どう思う?」とメールを転送して確認したところ、「これは今流行りの不動産サギだよ」と言われ、「ああ、やっぱり」という感じでした。


シュトゥットガルト郊外に住みながら、フランクフルトの物件を探すのは容易でないので、金額の上限はあるものの、礼金と仲介手数料、引越し代は会社負担ということもあり、今回はフランクフルト市内にオフィスを構える、日本人の不動産業者を使いました。

フランクフルトやデュッセルドルフでは、物件探し1つとっても、日本式のサービスが受けられるので、シュトゥットガルト等の地方都市と比べてすごく便利です。

翼が4月から日本人小学校に入学するので、日本人小学校の徒歩圏内であるハウゼン地区にマンションを借りることにしたのですが、南ドイツと比べると割高なものの、東京や横浜と比べればそれでもかなり安いです。


ただ家賃が高くなっても収入が増える訳ではないので、車を手放すことにしました。

10年落ちの車を買ったものの、ガス代だけでなく、修理費等の車の維持費が毎年かなりかかっていたので、その維持費分で、ある程度の差額は埋められそうです。

フランクフルトの都心ならUバーン(地下鉄)が発達しているのと、市内の日本人経営のお店が米や調味料を無料配達してくれるので、車が無くても大丈夫かな?と思っています。


しかし1番の問題は電話とインターネットの移設で、事前に連絡をした際には、1週間で移設できると言われたものの、実際にフランクフルトに引っ越してみると、まだ完了しておらず、コールセンターに問い合わせると、最低でもあと2ヶ月はかかるとのこと。相変わらずのドイチェ・クオリティで、まったくもってアリエナイです。

今やインターネットは電話以上に重要な生活インフラなので、半年間の解約ペナルティを承知で、このプロバイダとの契約を解除して、ボーダフォンに切り替えることにしました。

回線の納期が2ヶ月以上遅れているのは、プロバイダ側の不手際なのに、こちらが半年分もよけいに、ペナルティの回線利用料を払わされるこの仕組みは、まったくもって意味不明ですが、元々このプロバイダを紹介してくれたゲッツェが、フランクフルトに引っ越した時にも同じく3ヶ月遅れたらしいので、彼のアドバイスで解約することにしました。

ボーダフォンを選んだのは、DSLモデム用の英語マニュアルがあることと(ゲッツェが今使っているT.COMはドイツ語のみ)、回線開通までに1ヶ月程かかるものの、その間無料でUSB接続でつなぐモバイルインターネットを利用可能なので、開通までの間はモバイルでインターネットにつないでいます。(今Faceworkにもモバイル接続でログオンしています。笑)


それと今回シュトゥットガルトからフランクフルトへの荷物運搬ですが、当初日系大手の引越し会社に見積依頼した際に、約50万円と言われびっくりしました。

独身時代に横浜の実家から都内のアパートへ引越した際も、荷物の運搬費用は10万円以下だったので、同じ位かな?と思っていたのですが、50万円は礼金等を含めて、会社から言われている予算を大幅に超えるので、妻の麻友に、「駄目元でいいから、現地の業者をあたってみてくれない?」と聞いてみたんです。


ドイツ語が堪能な麻友が、電話帳を使って、町の引越し屋をかたっぱしからあたったところ、10万円弱で引越ししてくれる現地業者が見つかったので、こちらに頼みました。

ドイツ語対応のみの地元業者なら、こんなに値段が違うのだと、今回改めて思い知らされました。


まだ部屋には未開封のダンボールが何箱もありますが、少しずつ生活を立ち上げていきたいと思います。





P.S.
今日は家の近所に飾られていたイースターエッグの写真をアップロードします。

4歳でドイツに来た翼も、来週から小学校1年生になります。

新しいフランクフルトの生活が、今から楽しみです。



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セッション17/カズさんのパート「オレの道、シンジの道」

2012-02-13 | ニッポンジン!



シンジへ。

お疲れ~、カズです。

シンジの同僚の言葉を借りると、オレは"留学組"かあ。

だけど、語学留学している人と、俺達旅人をひとくくりにするのは、ちょっと無理があるなあ。

それに同じ旅人だって、旅に出る理由は1人1人違うからね。


そういえば世界一周の旅をしている時に、ブラジルのサンパウロの日本人宿でこんなことがあった。

長期旅行者の中には、ドラッグや女性を求めて、発展途上国で長期滞在している奴らもいて、俺が半年以上旅をしていることがわかると、ある長期滞在者から「ミュージシャンとかカッコつけていても、本当は女かドラッグ目当てなんでしょ?女が欲しければいつでも言ってよ。良い所紹介するから」と言われたんだ。

オレはこれまで海外を旅していて、金で女性を買ったことも、ドラッグをやったことも1度も無かったから、その言葉にすごく憤慨したんだよ。


確かにある程度、人はタイプ分けできるかもしれないけど、結局は1人1人、別々の人間なのだから、何でもひとくくりにするのは無理があるって、オレは思っている。

だから「何組?」って聞かれたらきっと、「オレはミウラカズシだ!!!」って答えるだろうな。

オレにはオレの道が、シンジにはシンジの道があるように、誰にでもそれぞれ歩んでいる道があると思うから。


でも確かに今の日本は、1度レールを外れると、這い上がるのが簡単じゃないとは思う。
大企業の会社員等は特にね。

それは同じくサッカーで挫折し、早大中退後、派遣社員で苦労しながら、ステップアップしてきたシンジは、よく知っているよな。


現実は現実として受け止めなくてはいけない。

だけど「それはおかしいんじゃないか?」と思う事は、俺達が変えていけばいいだけの事。


国際化が進む中、日本はこれから否応なしに、様々な分野で、変わらざる得ない状況が迫ってくると思う。

以前シンジが言っていた"雑草組"にとって、こんな時代は大きなチャンスだと思うんだ。


例えば幕末の激動の時代を経て、明治政府と近代日本の仕組みを作ったのは、江戸幕府の重鎮ではなく、外様である薩長の下級武士達だったじゃないか。
("竜馬好き"のオレに言わせれば、今の日本の状況は"黒船再来"という印象だ!!!)


身分なんて関係ない。

志を持った者達が、新しい時代を、新しい日本を作っていけばいいとオレは思うよ。


シンジはこれからフランクフルトへ引越しか。

新しい生活の立ち上げは大変だと思うけれど、それも1つの良い経験だと思うから、頑張って。

フランクフルトでは、これまでと違う生活が待っていると思うけれど、シンジならきっと大丈夫だよ。

シンジらしい道を、これからも歩いていけるとオレは信じている。

こちらこそ、これからもよろしく。




P.S.
今日の写真は、北京郊外のGreat Wall(万里の長城)で撮った1枚だ。

以前北京から敦煌まで、歌いながら中国を旅したことがあったのだけれど、万里の長城って北京にも敦煌にもあって、ずっと繋がっていたんだ。

シンジのドイツでの道は、この"万里の長城"のように、まだまだ続いていくのだろうね。



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セッション17/シンジのパート「僕は何組?」

2012-02-12 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

ドイツ生活を始めて約2年。

僕も常駐先を卒業となり、フランクフルトオフィスへの自社復帰が認められました。

そして今は、新しく日本からやってきた後任の黒木さんと、1ヶ月かけて業務の引継ぎと、私生活の立ち上げのお手伝いを行っています。
(僕がシュトゥットガルトで生活立ち上げした時には、前任者の助けが無くて苦労したので、僕にできることは何でもお手伝いしたいと思っています)


黒木さんはバウムさんと同じ40代前半で、人生の大センパイですが、国立大学の大阪大卒業後はベンチャーで起業し、事業経営を行っていたらしく、ITエンジニアになったのは3年前だから、技術者としての経歴は僕の方が長いようです。

それでも得意の英語力を生かして今回転職されただけあって、ドイツ生活2年の僕よりずっと英語が話せます。(僕はどちらかというと、技術力優先で転職したので)


1つ面白いのが、黒木さんの奥さんはロシア人の超ベッピンさんで、大学卒業したてのピチピチの22歳。

黒木さんとは年の差20歳で、黒木さんが製作していた"美しい日本の風景"をテーマにした、写真サイトを通して知り合い、元々日本の文化に興味を持っていたロシア人の奥さんが、大学の冬休みを利用して日本へ短期留学した際に、付き合いだしたのだとか。

奥さんの写真を見せてもらったのですが、モデルさんかと思う位キレイで、思わず倒れそうになりました。(笑)


キレイな白人女性といえば、こんな話がありました。


今常駐先で国際回線の移行プロジェクトを行っていて、先日自社のデュッセルドルフ拠点から、僕達と同じ現地採用の日本人技術者である、五反田さんがシュトゥットガルトに来ていたので、黒木さんと3人で一緒に飲んだんです。
(現地採用の日本人同士で一緒に飲み会なんて、初めての試みです)

この五反田さんは僕と同じ年の32歳なんですが、ドイツ人女性が大好きらしくて、これまでのドイツ生活3年間で、何人ものドイツ人女性と付き合っているツワモノなんです。
(欧米の男性と、日本人女性のカップルや夫婦はよくみかけますが、逆パターンってすごくないですか?これって僕のコンプレックスですかねえ???)


この日も3人が飲んでいるバーで、ドイツ人女性が通り過ぎる度に、五反田さんが「あの娘かわいくなかった?」と僕達に聞くんです。

僕は妻の麻友を含めて、日本人女性としか付き合ったことがないし(実は白人女性は強そうなので、僕はちょっと苦手なんです)、黒木さんは東欧・ロシアが専門らしく、「南ドイツの女性には興味が無いです」と、僕達がツレナイ返事を返すものだから、五反田さんは「カワイイのになあ~、あの娘カワイカッタのになあ~~~」と繰り返し呟いていました。(苦笑)


僕よりも1年長くドイツで生活している、五反田さんの話題の中で、ドイツで生活してる日本人は、大きく分けて3種類だという話がありました。


1つ目が会社の辞令でやってきた「駐在組」

彼曰く、駐在組は個人の意思と関係なしに海外赴任している、日本のサラリーマンが多い為、日本式を重んじ、現地式に対してネガティブな感情を持っている人も多いとか。

駐在組の特徴は、いずれ日本に戻るので、とにかく問題をおこさず無事に任期を終えたいと思っている為、"なーなー"の"事なかれ主義"が少なくないとも、五反田さんは言っていました。


2つ目が日本が嫌で海外に出た「ローカル組」

日本での生活が嫌になり、日本を捨てて海外へ来た脱出組が多く、総じて日本式を否定し、現地式を重んじるのが特徴なのだとか。

中にはあえて外国人と結婚して、日本の国籍を捨てるツワモノまでいるそうです。

ただドイツにいるローカル組は、一生懸命働く事がキライな人も多く、それが欧州の労働者階級では一般的な考えの為、自ら進んでドイツに来た人もいると、五反田さんは話していました。


またドイツで暮らす日本人でも、駐在員とローカル組との間には、大きな身分の差があり、駐在組はローカル組を、日本人の癖に働かない奴らと馬鹿にしている一方で、ローカル組は駐在組を、海外に来ても日本式が捨てられない、カワイソウな人達と馬鹿にしているとも言っていました。


ここで黒木さんが、「日本は1度レールから外れると、とたんに人生の選択肢が無くなる、閉鎖的な社会だと思いませんか?」と話し出しました。

黒木さんは阪大卒の所謂エリートですが、ベンチャー起業で挫折しIT技術者に転身したものの、その時にはもうITバブル後で、かつ30代後半での技術者転身だった為、かなり苦労されたそうです。

黒木さんは、「日本式の働き方を否定するつもりは無いが、今の閉鎖的な社会のままなら、自分は日本へ帰りたいとは思わない」と話していました。


そして3つ目が「留学組」

海外を知るために日本を出た人達で、日本式は否定せず、日本の良いところはよいと考え、海外の良いところを学んで、いずれ日本へ帰ろうと考えているのだとか。

多くは学生やワーホリ、旅人として海外に出て言葉を習得し、現地採用の形で海外で仕事を得ることも多いそうです。


留学組の中には、海外を知るうちに、日本式よりも現地式の方が居心地がよくなり、そのままローカル組になる人もいるのだとか。


ただし一見さんのまま、1年前後で日本へ帰ってしまい、せっかくの経験をその後の人生に生かせていない人も、少なくないからね~と、五反田さんは話していました。


続けて五反田さんから、「田川君は何組?」と聞かれました。

「僕はどちらかというと留学組ですかね、、、日本で面接を受けて、現地採用でドイツに来ましたけれど、、、」と返事すると、「じゃあいずれ日本に帰っちゃうんだ」と言われ、「まだよくわかりません、、、、」と返すのがやっとでした。

そう、僕はこの先ずっとドイツでやっていくつもりなのかどうか、あまり深く考えたことが無かったんです。


でも1つ言えるのは、日本は今、国内消費が頭打ちになり、この先いやおうなしに日本人が、海外へ出ていかなくてはいけなくなると思うんです。

そういう意味で、こんなに簡単に3つのグループにわけられるのかどうか、よくわからないと僕は思ったりもします。


そして僕が、五反田さんのいう"留学組"なのだとしても、自らの意思で海外に出て、外の世界を知り、その経験を日本に持ち帰って生かすというのは、決して悪いことではなく、むしろこれからの日本に必要なことだと思うんです。

カズさんは旅人として世界中を旅しているから、五反田さんの言葉を借りると"留学組"なんでしょうけれど、その経験を日本で生かせていない事は無いと、僕は思うのですけれど、どう思います???


その場で僕が言葉に詰まっていると、すかさず黒木さんが、「じゃあ五反田さんは、何組なんですか?」と助け舟を出してくれました。


五反田さんは、よくぞ聞いてくれたとばかりに目を輝かせて、「僕はドイツ人女性と知り合う為にドイツに来たんです。日本人女性にまったく興味が無いので」と即答していました。

それを聞いた黒木さんが、「じゃあ五反田さんは"性癖組"ですね」と一言。

一瞬、その場がシーンとなり、どうしようかと焦りましたが、五反田さんと黒木さんが、ガハハハハハと大笑いしてその場が収まったので、安心しました。

どうやら五反田さんと黒木さんは、"外国人女性好き繋がり"で、気があうみたいです。
(こんな言い方をすると、二人に「ドイツとロシアを一緒にするな!」と叱られそうですが。汗)


そんなこんなで、お客さん先での常駐生活も、あと数日で終わりです。

この2年間は本当に色々ありましたが、今日「今週一杯で田川がフランクフルトへ戻り、これからは黒木が担当となります」という全員メールを出した後、100人以上の人達からありがとうメールを戴き、中には直接電話でお礼を言ってくれる人達もいて、胸が熱くなりました。

この2年間は僕のこの先の人生を支えてくれる、本当に貴重な経験だっと思います。

来週からフランクフルトへ移動になりますが、これからも引き続きよろしくお願いします。




P.S.
南ドイツも春になりました。

日本のものとは種類が違いますが、桜が咲いていたので、なんだか嬉しくなって手持ちのデジカメで撮影した1枚を、今日はアップしたいと思います。

桜を見ると、日本の卒業式や入学式を思い出しますね。


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セッション16/カズさんのパート「かけがえの無い宝物」

2012-02-11 | ニッポンジン!


シンジへ。

あけおめ~~~!カズです。
今年もよろしく~!!!

さて、トラブルが無事収束して何より。
1週間の自宅療養は大変だったね。もう体調は大丈夫???

すごく頑張ったのに、会社の上司からそんな風に言われたら、確かにへこむよな。

だけどシンジの話を聞いて、初めてオレが海外を旅した時の事を思い出したよ。


オレの初めての旅は20代の時。それまでの仕事を辞め、ギター片手に1年間、ろくに英語も喋れない、飛行機の乗り方も分からない状態で、いきなり世界一周の旅に出たんだ。

僅かな貯金も全部吐き出して、大変な思いをして、危険な場所に行って何になるんだって、周りから言われたよ。アイツは頭がおかしくなったと言う奴もいた。


自分自身、旅の最中トラブルにあって、お金をとられたり、怪我をしたりした時に、本当にオレは何をやってるんだって思ったよ。


でもその経験は、今のオレという人間を支えてくれる、大きな太い柱になっている。

そして何より、その旅で知り合った多くの友人は、10年という月日を越えてなお、今も一生付き合える友達として、オレにとって大きな大きな財産になっているんだ。

ニュージーランドで会った人、アメリカで会った人、タイで会った人、場所は様々だけれどね。


その中でも、イースター島で出会ったアメリカ人のコナンとは、彼がギタリストだった関係で、一緒にチリのサンチャゴのライブハウスで歌ったり、世界一周の旅の後、彼が日本に遊びに来てくれた時に、二人で東京、名古屋、大阪と旅をして、路上で一緒に歌ったりもしたんだよ。


彼が結婚した時は、奥さんを連れて日本に遊びに来てくれて、東京の新橋の焼き鳥屋で一緒にお祝いをしたんだ。


そんな多くの大切な友人達と出会えた旅は、オレにとって"かけがえの無い宝物"なんだよ。

旅の前に「そんな意味の無いバカな事をして何になる」と言った人達に対して、胸を張って「オレは間違っていなかったよ」って言えるんだ。


シンジの前任者が言った「やったモノ負け」なんて、きっと無いってオレは思うんだ。

その出来事をプラスにできるか、マイナスになるかは、他の誰かが決めることではなく、自分次第なんだって。



そういえば、イースター島でこんなエピソードがある。

発展途上国で貧乏旅をしていると、よく騙されたり、ボラれたりすることがあるのだけど、イースター島でコナンとタクシーをチャーターした時に、その世界一周の旅で初めて、こちらの言い値に対して「そんなにいらないよ」と、金額を下方修正されたんだ。

こちらが払うと言っているのだから、黙ってもらっておけばいいのにと思うよな。

だけどその運転手は、「この小さな島で酷い行いをしたら、この村にいられなくなってしまう。誰も見ていないと思っても、どこかで誰かが見たり、聞いたりしていて、いつか必ず自分に返ってくるからね」と、オレ達に言ったんだ。

そしてそれは、おそらく悪いことだけじゃないって、オレは思っている。

日本円にしたら、たった数百円のことかもしれない。

でもそれが回りまわって、きっとこの運転手に幸運が訪れるだろうって、オレは信じているんだよ。


シンジ。シンドイ時は下を向いちゃいけないって、オレは思うんだ。

サッカーの試合と同じで、下を向けば足が止まる。だからシンドイ時程、前を向いて、いつもより強く腕を振り上げて、オレは走るようにしているんだ。

90分走り抜いた後に、笑ってピッチの上に立っていたいから。


シンジ。お前は決して1人じゃないよ。

インターネットのその先には、このオレがいて、俺達の絆はネットを通して、ちゃんと繋がっているから。

その事を忘れないでいてくれよ。


カズより



P.S.
今日の写真は、イースター島のラノララクで、夕日を見ながら歌った時の写真だよ。

これはオレのアメリカ人の親友、コナンが撮ってくれた写真なんだ。

初めてギター片手に世界一周した旅で、1番思い出に残っている、オレのとても大切な写真なんだよ。


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セッション16/シンジのパート「雑草のプライド」

2012-02-10 | ニッポンジン!



拝啓、カズさん。シンジです。

先日お話していたメールシステム移行の不具合ですが、日本の畠山さんから管理者アカウントをもらって、休日夜間返上で対応し、何とか無事に落ち着きました。

今回はエディタを使って、レジストリというシステムプログラムを修正しての問題解決だったので、少し骨が折れました。
(畠山さんにも休日出勤してもらい、日本側で事前に全てのデータバックアップをとって、こちらの作業中もずっと待機してもらいました)


多言語問題の一例で、"プログラム"というシステム関連の名称がありますが、英語や日本語ではプログラムなものの、ドイツ語では"プログラーメ"と書かなくてはいけなかったりして、これは多言語環境の無い日本の担当者は気づかないし、普段はわりと柔軟な対応をしてくれる日本の会社も、未経験の国際対応だと急に及び腰になったりするのだと、改めて思い知らされました。(契約範囲外なら尚更ですが)


日本からの長期出張者の増田さんは、シュトゥットガルトの古谷さんに、「だから田川さん達に初めからまかせればよかったのに」とこっ酷く叱られ、「今回は本当にありがとうございました」と最後にお礼を言いにこられ、日本に帰国されました。


でも実は、その後過労でダウンし、クリスマスを含めて約1週間、ドクターストップで自宅療養するハメになったんです。(クリスマス連休のおかげで、実際会社を休んだのは3日だけでしたが)

新しい同僚のバウムさんは、結局1ヶ月間のシックリーブらしく、常駐要員が誰もいなくなるというので、ようやく会社が動いて、この3日間は、ゲッツェが臨時で助っ人に戻ってきてくれていました。


これまで散々彼の応援を自社に要請していたのですが、彼のドイツ人上司のマテウス氏が、ゲッツェはそのプロジェクトにはもう関係ないからと、断っていたみたいです。

ゲッツェは心配して、僕の自宅にまでお見舞いに来てくれて、「もう少し早く来れたらよかったのだけれど」と言ってくれました。本当に彼はいい奴です。


でも自社の技術部長である矢部さんからは、「お客さんからも感謝され、無事問題が収束してよかった」と言われつつも、3日間ダウンしたことについて、「ウチは今回の件では一円にもならないのに、ただでさえ12月の人がいない時期に、交代要員のゲッツェを出すはめになって、むしろ赤字だな」とチクリ。

それに加えて「現地社員の人達が体を壊しても、会社は守ってくれないし、間違いなく冷たい対応になると思うので、もっと自分のことを考えた方がいいと思うよ」というお言葉を戴きました。


彼の言うことは正論だし、僕のことを心配して助言してくれたのかもしれませんが、現場の状況を見ないにも程があります。

1ヶ月も病欠しているバウムさんには何も言わないのに、夜間休日返上でシステム不具合対応をし、3日間だけ病欠した僕にだけ嫌味を言われるのは、どうかと思ってしまいます。

しかも僕が倒れる程の対応をする前に、何度も会社にヘルプを求めたのに、それを"請負業務範囲外"の一言で無視したのは誰だよって感じです。


僕がトラブル対応せずに、問題が収束しないままの方が、ウチの会社的にはよかったとでも言うのでしょうか。


僕はエリートではない雑草で、自分の技術1つでここまで這い上がってきたという、雑草なりのプライドがあります。

今回のトラブル対応については、その雑草の技術とプライドにかけて、僕の責任で行ったことなので、これが仮に別の大きな問題になった時は、自分が責任をとって会社を辞める位のつもりでいたんです。(妻の麻友や、まだ幼い翼には申し訳ないですが)

しかし今回のことについては、何か釈然としない後味の悪さが残っていて、これは体調がまだ完全に回復していないからなのか、「やり遂げた感」よりも、「何だかな~」っていう気持ちになっているんですよね。


前任者の戸川さんから「ここでは"やったもの負け"で、まともにやればヤル程、損をするんです」と言われた言葉が、今回の件以降、頭から離れません。


それでもシステム移行が落ち着いて、現地のお客さん達からの「ありがとう」という言葉が、今の僕の支えになっています。

僕はこのお客さん達の笑顔を支えに、ドイツで頑張っていこうと思っています。


P.S.
僕が家でダウンしている間、妻の麻友と翼は、古谷さんの奥さん達と、ニュルンベルグのクリスマスマーケットに、日帰りで行ってきたそうです。

今日は麻友が撮影した、その時の写真をアップします。

ああ、僕も行きたかった、、、。


カズさん。今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。

田川真司


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セッション15/カズさんのパート「ダブリンで飲んだギネスビール」

2012-02-09 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズです。

トラブル対応、本当にご苦労様。

くまさんは、森に帰っちゃったのか。
しかも会社からの応援も無いとなると、現地のお客さん達にとっては、シンジだけが頼みの綱だな。


シンジの今の状況を聞いて、こんなエピソードを思い出したよ。

オレの生まれて初めての海外旅行は、ギター1本抱えての世界一周の旅だったのだけれど、アジアや中南米等では、英語の歌や、オリジナル等の日本語の歌で盛り上がっていたものの、アメリカのニューヨークではまったく相手にされなかったんだ。

特に、オレがリスペクトしている、ジョン・レノンの碑がある、マンハッタンのセントラルパーク内のストロベリー・フィールズで、ジョンやビートルズの曲を歌っていた時に、地元のお婆さんから言われた、「ここは私の大切な場所だから、歌うのを辞めてくれ」という言葉は、すごく大きなショックだった。

オレの歌は、英語ネイティブの国では通用しないのか?ってかなり落ち込んだよ。


でも音楽で大切なのは、この胸の深い所にある魂だと思って、何度も繰り返しオリジナルの曲を聴きなおして、練習を繰り返したんだ。


それから何年かして、アイルランドのダブリンに行った時のこと。

ここは同じく、オレがリスペクトする、U2のボノの故郷。

ダブリンは、一般の人たちが週末に楽器を酒場に持ち寄っては、即席のセッションステージができあがるほど、音楽好きな町だから、路上でU2のうたを歌っていると、皆すごく歓迎してくれて、あっという間にオレのギターケースの中は、コインで一杯になった。


調子があがってきて、そのうちに路上でもエコーがある、響きのよい場所で歌いたいと思い、天井のある細い路地裏でU2のうたを歌っていたんだ。

すると自分の歌声を聞いた、若いジモピーの兄ちゃん2人組がやってきて、自分の顔を見てびっくり。

すぐに彼達が大笑いをして、「U2のボノが歌っているかと来てみたら、中国人のボノだったよ。お前最高だ!」と言って、財布の小銭入れをひっくり返して、中のコイン全部、日本円で千円以上の小銭を、オレのギターケースの中に、ドシャドシャっと入れたんだ。


その日は小雨が降る中での路上ライブだったけれど、2時間位歌って2000円強の稼ぎ。

オレはお金目当てに路上で歌っているわけじゃないけれど、昔のNYでの苦い思い出があったから、これは嬉しいサプライズだった。

音楽好きの人々が集まった町ということもあるけれど、英語ネイティブの国、しかもU2のお膝元の国で、U2の曲を中心に歌って歓迎されたというのは、すごく嬉しかったし、自信になったんだ。


その後アイリッシュパブに入り、路上で稼いだ金で、地元のギネスビールを飲んだんだ。

黒ビールはそれ程好きじゃなかったけれど、そのダブリンで飲んだギネスビールは格別だったよ。


誰もオレの事を知らない、世界の路上の片隅で、1人ギターをかき鳴らして歌う時に、頼れるものは自分だけだったりするけれど、その1杯のビールは、大きな自信と誇りになって、今もこのオレを支えてくれているんだよ。


シンジ。誇りを持って戦うんだ。

お前のやっていることが、"誰かに必要とされている"なら、いつか必ず"結果"がついてくると、俺は信じているよ。


P.S.
今日は、そのギネスビールを飲んだ、ダブリンのテンプル・バーにある、アイリッシュパブの写真をアップするよ。

シンジにも、美味い酒が飲める日が必ず来ると、俺は信じている。



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