拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

セッション10/シンジのパート「ドイツのクリスマスと日本のお正月」

2012-01-26 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

早いもので今年も間もなく終わりですね。

つい先日までドイツの町々に、ヴァイナハツ・マルクト(クリスマスマーケット)のライトアップの灯りが点り、広場にはグリューワインやソーセージ片手に人々が集まり、まるでお祭りのような賑わいを見せていたのに、クリスマス当日からひっそりと町は静まり返り、クリスマス連休はお店も閉まっていました。


今日は大晦日のカウトダウンに、常駐先のお客さん達と忘年会を兼ねて、家族揃って花火を持ち寄って集まることになっています。
(妻の麻友は年の瀬の大掃除中で、じゃまだからと家を追い出され、息子の翼と2人で、トルコ人が経営している町の小さなインターネットカフェに来ています)


ドイツで初めての年越しですが、初詣をして、お手製のおせちを囲んで、家族と一緒にゆっくりとすごす日本のお正月と違って、ドイツでは1月1日深夜0時に向けて町中でカウントダウンをし、1月1日になった瞬間、町中で花火を打ち上げるのだそうです。

そして深夜0時の花火をピークに、1月1日になると、今まで何事もなかったかのようにフツーの1日になるそうで、1月2日はもう平日で、通常通り会社に出社します。


逆にドイツのクリスマスは、教会へ行って家族と一緒にゆっくりと過ごすそうで、ドイツのクリスマスケーキも、日本のような丸いデコレーションケーキにロウソクを立てたりせず、シュトレンというドライフルーツや雑穀の入ったパンを焼いて、家族みんなで食べるのだそうです。
(先日同僚のゲッツェが、東ドイツの田舎のお母さんから送られてきたというシュトレンをおすそ分けしてくれました)


シュトゥットガルトでのドイツ生活が約5年になる、常駐先マネージャーの古谷さんの話だと、日本のお正月とドイツのクリスマスが似ていて、クリスマスイブにお祭りのように騒いで、クリスマス当日に何もしない日本のクリスマスと、ドイツのお正月が似ているのだそうです。

これも文化の違いなのですかね。


今回のカウントダウンパーティですが、この古谷さんが声をかけてくださり、参加させてもらうことになりました。

海外の地方都市では日本人が少ないので、お客さん達と僕のような出入り業者の担当が、お互い助け合って、家族ぐるみでお付き合いさせてもらっていたりします。

まだドイツ生活をはじめたばかりの僕は助けてもらうばかりですが、ウチの麻友はドイツ語が堪能なので、奥さん同士では麻友が重宝されているのだそうです。


それではこれから町のスーパーマーケットで花火を買って、今晩のカウントダウンに備えたいと思います。


カズさん、本年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。

田川真司



P.S.
写真は先日訪れた、シュトゥットガルトのヴァイナハツマルクトでの1枚です。

今回は翼と一緒に、このミニチュア模型をぐるりと回る、ミニ蒸気機関車に乗ったり、特設のアイススケートリンクで、翼と一緒にスケート初すべりにチャレンジしました。

この町のクリスマスマーケットはドイツ最大として有名で、最も有名なニュルンベルク、最も古いドレスデンと並んで、ドイツ3大クリスマスマーケットに数えられているのだそうです。


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セッション9/カズさんのパート「物々交換はエチオピアの常識???」

2012-01-25 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズです。


ヨーロッパを出張していたかと思ったら、今度はトルコかあ。

旅人的には、トルコって物価もそこそこで、見所が多いし、リーズナブルな国内長距離バス網がよく整備されているし、飯もそこそこイケるしで、結構良い所なんだけれど、仕事だとなかなか大変そうだなあ。

いわゆる"常識"っていうものは、本当にその土地、その土地で全然違うからなあ。


さて自分にとって常識が覆された国というと、エチオピアを旅した時だろうか。

スーダン首都のハルツームから、エチオピアのアジスアベバに飛行機で入国したのだけれど、とにかく最初からトラブル続きだったんだ。


空港での現地ビザ取得時に、「お前の顔は日本人じゃない。絶対中国人だ」と勝手に決め付けられ、「おまえのパスポートは、中国で偽造したものだろ?」とか難癖つけられて、なかなかビザを発給してもらえなかったんだ。(酷い話だろ?)


やっとビザが貰えて、すっかり誰もいなくなった荷物受け取りのターンテーブルへ行ってみると、自分のバックパックと寝袋が無いんだよ。

どうやらハルツームで別の便に間違って荷物が載せられたらしくて、他にも10名以上、荷物が届いていない人がいて大混乱。


おまけにその航空会社の次のエチオピアへのフライトは4日後しかなく、それまで荷物が届かないって、その航空会社のスタッフから言われたんだ。

でも4日後っていうと、自分がエチオピアを出国する為、予約を入れている便なんだよ。



実は、エチオピアはマダガスカル等と並んで、アフリカでも3大南京虫生息地として、バックパッカーの間では有名で、安宿のベットで無対策で寝ると、体中南京虫にヤラれて、そのオゾマシイまでの痒みと跡がなかなか消えない!と言われているんだ。

だからベッドに振りかける超強力殺虫剤や、ベッドに敷くキャンプ用のビニール製ブルーシート、そして布団代わりにブルーシートの上に置いて使う、厚手の寝袋等を完備してきたのに、それも全て届かな~いって訳。これはめっちゃヤバイ。


しかしその航空会社のスタッフに、荷物が無ければ着替えもできないし、4日間どうしたらいい?と粘って交渉してみると、衣装代の名目で1万5千円分位の金額を、USドルの現金で支払ってくれたんだよ。

物価が激安のエチオピアでは、超高級ホテルでも1泊5千円もしないから、これは高級ホテル3泊分位の料金。もちろん超高級ホテルのベッドに南京虫はいない。


当初の予定では、この後アジスアベバに1泊して、翌早朝の便でゴンダールを経由してラリベラへ行こうと思っていたのだけれど、このまま空港で朝まで6時間ちょっと待てば、航空会社から支払われたお金で、残りの3泊を全て高級ホテルに泊まることができる。

おまけに過去に何度かロスト・バケージされた教訓から、2日分位の着替えはいつも手持ちのデイバッグに入れているので、着替えを最小限にして、洗剤買って、風呂場で洗濯でもして、切り抜けることにしたんだ。


そんなこんなで、デイバッグとギター1本持って、翌朝ラリベラに到着。

そのラリベラの町から、ユネスコの世界遺産にもなっている教会の遺跡までは、車をチャーターしなくてはいけないのだけれど、そこで雇った運転手兼ガイドが面白いんだ。


その時自分は、昔バンコクで買った黄色のGショックの時計をはめていたのだけれど、車で移動している時から、その時計に興味深々で、どこで買ったんだ?幾らしたんだ?エチオピアではそんなカッコいい時計は無いから、俺に譲ってくれ!ってしつこく絡むんだ。

これはオレにとっても大事な時計で、まだ使う予定だからと最初は断っていたのだけれど、あんまりしつこいんで、「それだったら今日お前に払う予定の車代とガイド代、そして明日空港へと移動する車代と交換でどうだ?」って言うと、「本当にそれでいいのか?やったあー!」とその運転手が叫んで交渉成立。


バンコクのマーブルコーンでこの時計を買った時は、日本円で1500円位で、この時交渉していたラリベラへの1日車チャーター費用と同じ位だったのと、もう3年も使っているから、こちら的にはかなり良い条件。

物々交換という手段は、ここ「エチオピアの常識」らしい。


だけど超一流ホテルが1泊5千円位の物価の国で、1500円でも感覚的には自分達でいう数万円位の相場感なのに、その大事なギャラを捨てても、このバンコクで買った黄色いGショックが欲しいのか?って感じだよ。(それだけエチオピアは"モノが無い"のだろうけど)


その日は無事に、教会の遺跡前でも歌うことができ、大きな問題もなくホテルへと戻ったんだ。


その後、ラリベラを離れアクシムへと向かう翌朝、その運転手は朝7時30分にきたのだけれど、車じゃなくて歩いてくるんだよ。

おいおい!話が違うじゃないか!って思ったのだけれど、前日は知り合いの車を借りていただけで、自分の車じゃなかったらしく、空港までの車は、約束から1時間遅れで到着。


本当に車が来るか実はちょっぴり不安だったけれど、まだ時計は渡していなかったから、1時間程ホテルのロビーで、この男とエチオピアのコーヒー等の世間話をして待っていたんだ。こんなこともあろうかと、かなり早めの時間を伝えておいて正解だった。


無事に空港に到着してから時計を渡すと、ありがとう、ありがとうと何度もギュッと握手され、物々交換は無事成立。よっぽどこの時計が欲しかったらしい。
(たぶん日本人だったら、あげるよと言っても断られそうな、自分の"貧乏旅専用時計"だったのだけれど。ちなみに日本でのMY時計は、ケータイ電話だったりする。笑)


"所変われば常識も変わる!"という感じだけれど、エチオピアでは他にもエピソードが。


エチオピアは世界的にも有名なコーヒー豆の産地で、ここでは"コーヒーセレモニー"といって、日本の茶道のような"コーヒー道"があり、緑のコーヒー豆を炒るところから始めて、1時間以上かけてコーヒーを飲むのが"常識"らしい。

豆を炒るところから始めるので、コーヒーを飲んでいるのに「透明感」を感じるほどスッキリしていて、とんでもなく美味いコーヒーなんだよ。

それはこのコーヒーを飲むためだけに、遥々エチオピアまでやって来てもいいかもと思える位で、今まで日本で飲んでいた黒い液体は何だったのだろうか?と衝撃を受けたんだ。


そしてもう1つ、エチオピアでの忘れられないエピソードが。


ラリベラの後にアクシムで滞在した後、無事にアジスアベバに戻ってきたのだけれど、その空港での出国時、パスポートコントロールを通る時に、ゲートの係員のおっさんが自分のギターを指差し、歌うのか?と聞いてきたんだ。

「もちろん。オレはジャパニーズ・プロフェッショナル・ミュージシャンだ!」(元だけど)と答えると、「1曲歌ってけ、歌わないと通さないぞ」と言われたんだ。

そこはツーリストが並んでいる、首都空港のパスポート・コントロールの出国ゲート。これはジョークかもしれないと思い、「本当にいいのか?」と念を押して聞いたのだけれど、「当たり前だ」と言うから、その場でギターを取り出して"スタンド・バイ・ミー"を歌ったんだ。

そうしたら、出国手続きの列に並んだ多くの一般人旅行者も含め、皆手拍子ですごい盛り上がりよう!(日本でもコレぐらい盛り上がってくれよ!って位、本当に盛り上がった。苦笑)


歌い終わると、パスポートコントロールの4人のおっさん達が、ゲートから飛び出してきて、次々に握手を求めてくるんだよ。

でもよく見るとゲートに誰も係員がいなくなり、出国待ちの長蛇の列ができているんだ。おっさん達の気持ちはうれしいが、ちゃんと働け!って感じだよな。


他のツーリストや空港職員からも、「サンキュー」とか、「GOOD!」とか声をかけられ、熱いものが胸に込みあがってきた。

元気をもらってお礼を言いたいのは、こっちの方だったのだけれど。
(もっとも中にはおっさん達に待たされて、不機嫌そうな白人もいたけど。苦笑)


それにしても首都空港のパスポート・コントロールで即興ライブだなんて、世界の半分以上の国を旅しても、後にも先にもここだけで、ものすごく貴重な経験だったよ。


最初は「偽造パスポートだろ」と難癖つけられ、南京虫対策をしていた荷物も届かずにどうなるかと思ったけれど、結果的に大きな問題もなく、物々交換や出国ゲートライブ等、一生忘れられないような、特別な経験をすることもできた。

"ニッポンの常識"なら、パスポート・コントロールで、職員が職務放棄して、外国人に即興ライブをさせるなんて、トンデモナイ話だと思うけれど、オレは奴等のそんな所が、心から"最高だ!"って思っている。


海外では本当に、予定通りいかない事が多いけれど、それでもオレ達は、「柔軟に、したたかに生き抜く」ことが大切なんだと思う。

その先には、シンジ。

"一生忘れられない素敵な出来事"が、お前を待っているかもしれないぜ。


カズより



P.S.
今日はそのラリベラの写真です。

エチオピアにはこのラリベラの教会目当てで訪れたのだけれど、「物々交換」、「コーヒーセレモニー」、「出国ゲートでの即興ライブ」のインパクトがあまりに強すぎて、この教会の事をあんまり覚えていないなあ、、、。(苦笑)


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セッション9/シンジのパート「トルコの常識?日本の非常識???」

2012-01-24 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

今週は出張でイスタンブールに来ています。


イスタンブールはヨーロッパとアジアの境界線と言いますが、はっきり言ってここはヨーロッパとは別の文化圏なのだと強く感じています。

早速ですが、今週にあったトンデモ話を聞いて下さい。


今回トルコの現地業者へ事前に、インターネット回線の引き込みを手配していたのですが、その現地業者担当であるギュドガンというエンジニアと、お客さんのオフィスで朝9時に待ち合わせをしたのに、彼が到着したのは午後1時過ぎ。

しかも頼んでいた回線がうまく引けておらず、翌日も、翌々日も同じく朝9時に待ち合わせをしたのですが、3日連続でオフィスに来たのは全て午後になってから。


彼を待っている時間、サーシャさんというお客さんのトルコ人受付女性を通して、現地業者の担当者へ電話をしてもらうと、もうオフィスを出たが渋滞につかまっていて、少し遅れるが急いでいくという内容を繰り返すばかり。

でもその現地業者のオフィスから、待ち合わせのお客さんオフィスまでは、通常なら車で30分もかからない距離で、連日片道4時間以上かかるなんてことは絶対にないんです。


おまけにその現地業者エンジニアのギュドガン氏は、回線開通後、彼達の作業範囲であるCISCOのルータ設定がうまくいかずに戸惑っていたので、こちらもただ待っているだけで次に進まないからと、「ちょっと見せてみて」と僕が切り分け作業を始めると、「オレ用事を思い出したから帰ってもいいか?」って僕に聞くんです。


「いやこれは君の会社の作業範囲だから、インターネットがつながるまでは帰ったら駄目だよ」と返事をし、僕がそのまま作業を続け、ふと後ろを振り返ると、先ほどのやりとりから5分もしないのに、もうその場にギュドガン氏の姿が無いんです。


急いでサーシャさんに、彼の携帯を鳴らしてもらったのですが、電源が切られているようでつながらず。

このままじゃせっかく出張してきているのに、自分達の仕事が終わらないので仕方なく、僕がそのまま不具合対応をして、何とかうまくつながったからよいものの、本当にアリエナイです。(調べてみたら単純な接続設定ミスでした)


今回は事前にメールのやりとりで業務範囲と納期をきちんと決めており、「まったく問題ない、もうすべての作業が終わっているから大丈夫」と言われ、トルコへのフライトチケットを発券したにもかかわらず、実際に来てみると回線は引けていない、設定はやっていない、不具合切り分けも機器設定も途中で帰ってしまうといった、トンデモナイ状態です。


これはあまりに酷いと思ったので、業者と直接契約をされているお客さんの日本人駐在員の佐田さんに、「ちゃんと対応をしないこの業者にクレームをし、機器設置費用等は払わないで下さい、業者もできれば変更することをお勧めします」と話した所、以前ドイツに駐在していたこともある佐田さんの話では、これでもこの辺の業者の中では最大手で、他は会社間での取引ができない個人業者や、さらに対応が悪い業者しかおらず、週の半分以上インターネットの回線断があるトルコでは、これが当たり前なのだとか。

「ドイツではできることでも面倒だと、"できない"と言って、対応してくれないことが多いですが、トルコではできないことでも何でも"できる"と言って、とにかく仕事を取ろうとするから、話半分で聞いておかないと駄目なんです」と、ドイツとトルコ双方で駐在経験がある佐田さんに諭されました。


作業も一通り完了し、夕食を佐田さんとご一緒することになり、日本食レストラン(トルコではドイツと違って魚をよく食べるので、日本食も安くて美味しい)へ、佐田さんの車で移動していた時のこと。


橋の手前ですごく渋滞し、2車線にもかかわらず車が4台も横に並んでおり、「ここの人達は順番を守って並ぶこともできないから、こうしていつも渋滞しちゃうんですよね、ああドイツでの生活が懐かしい」という佐田さんの言葉を聞いて、ドイツでの小さなトラブルで日々苛立っている自分が申し訳ない、という気持ちになりました。


世界の常識、日本の非常識とよく言われますが、"トルコの常識"は、僕達の知っているそれとは、かなり違うみたいです。



P.S.
写真は今回トルコで滞在したホテル近くの有名な観光地、ブルーモスクです。

平日の仕事での滞在だったので、観光はできませんでしたが、早朝にモスク前の公園を散歩しながら撮った1枚です。

イスラム圏は初めてなのですが、早朝にスピーカーから流れてくるコーランで毎朝、かなり早く目が覚めたおかげで、早朝散歩ができました。(苦笑)


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セッション8/カズさんのパート「ラテンの国で出会った笑顔」

2012-01-22 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズです。

バルサやメッシのサッカーがみれていいなあ。しかもUEFAチャンピオンズ・リーグかよ!めっちゃ羨ましい。

オレも今度スカパーに入って、UEFAチャンピオンズ・リーグで戦うバルサをみてみたいなって思っていたところだから、よけいに羨ましい。
(ただし我らがボルシア・ドルトンムントと戦う時は、オレはドルトムントを応援するけれど)


スペインは楽しそうだね。

オレも中南米を旅していた時は、スペイン語できたらいいなっていつも思っていたよ。
基本的にラテンの国では英語通じないからさ。

タクシー乗っても、行き先の住所を告げて、降りるときに「アキ!アキ!」(ここだよ!)と言って、「クアント?」(いくら?)と、「ウノ・ドス・トレス」等の簡単な数字で支払いをすませ、「グラシアス」(ありがとう)、「アディオス」(さようなら)でオシマイだったから。オレのスペイン語は。
(それでも旅できちゃうのが、ラテンの国の良いところなのだけれど。笑)


中南米は見所が多いし、ラテンのノリは大好きで、どこへ行ってもギター持っていると歌ってくれっていう話になって、そこで歌うと大盛り上がりになるから本当に最高なんだ。

路上だけじゃなくて、中南米ではその場のノリで結構飛び入りでステージへあげてくれたりして、エルサルバトルの首都サン・サルバドルの大衆酒場で歌わせてもらったり、チリの首都サンティアゴのライブハウスで歌わせてもらったりしたこともあるよ。


スペイン語ができないオレは、ビートルズやU2みたいなメジャーな英語の歌をうたうことが多いのだけれど、知っている歌だと皆一緒に歌ってくれて、その場で大合唱になるんだ。

そんなノリのよさと、人の温かさみたいなのがすごく大好きで、スペイン語覚えて、向こうで暮そうかな?って一瞬真剣に考えてしまうほど。

おまけにスペイン系のお姉さんは、美人が多いしね。(笑)


ただシンジみたいな海外で仕事しようっていう人達には、あんまりラテンの国では仕事が無いかもしれないね。すごくいい奴等だけれど、皆働かないからなあ。(笑)


それでも南米だったら、今はブラジルがホットらしいね。

今や中国やインドに続いて、次はブラジルの経済成長が期待できるって、TV番組で誰かが話していたなあ。

ポルトガル語覚えてブラジルへ行くっていう人達も、これから出来てくるかもしれないね。


ブラジルと言えば世界屈指のサッカー大国だけれど、ブラジルで歌いながら旅していたとき、サンパウロのモルンビーや、リオのマラカナンでサッカーの試合観戦をしたことがある。向こうはチケットが安いから、日本人宿の連中と一緒に試合をみに行ったんだ。

代表クラスの世界の一流プレイヤーになると、より給料の高いヨーロッパに皆行ってしまうけれど、明日のスーパースターを夢見る若いプレイヤー達がしのぎを削っていて、すごくいい試合をしていた記憶がある。


特にマラカナンでは、昼間にもスタジアム見学で訪れたのだけれど、ギター持って中に入ったら、清掃員のおっさんが歌ってくれというので、観客のいないスタジアムで清掃員のおっさん達の為に、U2の"I still haven`t found what I`m looking for"を歌ったんだ。

おっさん達、すっげー喜んでくれたんだけれど、その笑顔をみていると、歌っているこっちも何だか元気がわいてくるんだよ。

しかもそこがサッカーの聖地の1つ、マラカナンだと思うと、たとえ観客が数人でも、じーんと胸が熱くなって、今も一生忘れられない思い出だよ。


ただその歌詞じゃないけれど、あれから10年以上経った今でも、オレは相変わらず何かを探し続けているような気がするな。きっとそれはずっとかもしれないけれど、、、。



P.S.
その時のマラカナン・スタジアムの写真をアップします。

またラテンの国で歌って、あのとびっきりの笑顔に会いたいな。


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セッション8/シンジのパート「スペインではシエスタを???」

2012-01-21 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

今週は出張でバルセロナに来ています。

南欧はあまり英語が通じず、仕事でお会いする人達も「ワタシはあまり英語が上手じゃないから」と謝られたりします。
(僕もまだ流暢というレベルからは程遠いですが、まだ僕の方がうまく英語を話せるかもと、ちょっとだけ自信になりました)

そんなこともあってか、スペインで駐在している日本人の方々も、スペイン語を勉強されて、仕事もスペイン語でやりとりされています。


これは昨日、お客さんの日本人駐在員の堀田さんと、現地スタッフのエンリケさんと3人で昼食(初めての本場のシーフードパエリア)を食べていた時のこと。


「堀田さんはスペイン語が堪能だから良いですね」と僕が話すと、堀田さんはエンリケさんに向かって、「でも僕はカタルーニャ語がまだまだだから、ここでは出来るウチに入らないよね?」と切り替えします。

どうやらバルセロナでは標準語のスペイン語以外に、ご当地のカタルーニャ語があって、町でみる標識などもスペイン語とカタルーニャ語が併記されていたりします。


それに対してエンリケさんが、「じゃあ僕がカタルーニャ語のレッスンをしてあげるから、その代わりウチの会社でもシエスタ(昼寝休憩)の導入を考えてみてよ」と笑いながら返します。


なんでもスペインでは、午後の就業中に昼寝休憩をとる文化がまだ残っているらしく、エンリケさんの前職ではシエスタの制度があったとのこと。

シエスタは午後1時~4時が長い昼休みとなり、ゆっくり食事をとったり、食後に昼寝をしたりするスペインの文化で、空調が発達していなかった時代は、夏の熱い午後は昼寝をして、朝と夕方のみ働らくというのが、この国の標準的な生活スタイルだったみたいです。

他にもスペインの現地企業では、シエスタまでいかなくても昼休み休憩が2時間あったりする会社もあるものの、日系企業のこのお客さんでは通常の1時間の昼休みのみなので、あまりに少ないといった話を、エンリケさんがしていました。


堀田さんは笑いながら、「ウチは日系企業だから、就業規則がある程度、全社的に決まっているので、それは難しいね」と返していましたが、このエアコンも発達した21世紀に、スペインの現地企業ではまだ昼寝休憩の制度を取り入れている会社があることに驚きです。


よく日本では「ドイツ人は働きもの」というイメージがありますが、僕達日本人と比べると、仕事をよく病欠したり、残業は殆どしなかったり、面倒な仕事はすぐ「それはオレの仕事じゃないからできない」と言われたりと、ドイツの人達はあまり働かないというのが実情です。

それでも3時間の昼休みを使って、昼寝休憩する制度が残っているスペイン等の南欧と比べると、決められたことはちゃんとこなし、1日の就業時間をきっちり働くという意味で、ずっと働き者という事がわかります。


ただしスペインにも良いことはあって、食事が美味しいし、スペイン語やイタリア語の発音は日本語に近くて親しみやすく、お客さんのスペイン人スタッフの中には、英語は苦手だけれど、日本語の方が得意(話す方だけで、読み書きはちょっと無理みたいですが)という人がいたりします。


そして何より僕とカズさんの共通趣味である、サッカーへの情熱が凄いです。

ドイツではサッカーは労働者階級のスポーツという雰囲気があって、ビジネスでお会いするお客さんとサッカーの話をすると、「私はフッスボール(ドイツ語でサッカーの意味)に興味が無い」と言われることが多いですが、スペインの人達はマネージャの方々も含めて、皆サッカーが大好きです。


実は昨晩エンリケさんに連れられて、FCバルセロナのチャンピオンズリーグの試合を、カンプ・ノウ・スタジアムで観戦しました。

すでに決勝トーナメントを進出を決めていることもあって、当日券があまっていたみたいで、僕が大学時代までサッカーをしていた話をしたら、一緒に来るかい?と誘ってくれたんです。


生まれて初めてのチャンピオンズリーグ観戦、カンプ・ノウ、そして生メッシを堪能しちゃいました。

仕事で来ているし、今回は平日だけなので、いつものようにオフィスとホテルと駅や空港だけの往復かなと思っていたのですが、ほんとカズさんには申し訳ないですけれど、スペイン最高です!


P.S.
写真は昨晩試合観戦したカンプノウでの1枚です。

夜8時過ぎの試合開始だったので、試合が終わってホテルに戻ったのが夜11時過ぎでした。

僕だけ楽しんじゃってすいませ~んという感じですが、マジで最高でした。(笑)


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セッション7/カズさんのパート「変わりゆくもの。変わらないもの。」

2012-01-17 | ニッポンジン!


シンジへ。

お疲れ~、カズです。

今月はLiveが3本立て込んでいて、昨日は秋葉原の昭和通り側のライブハウスで歌ってきたよ。

もちろんLiveはその場の雰囲気で作っていくものだから、アドリブは結構大事だったりする。

シンジが言うように、フランス人とでもたぶん同じだと思うけれど、う~ん、フランス語の歌はどうだろうね。しかもクラシック音楽は、アドリブの許容範囲が、他の音楽と比べて狭いから。(苦笑)


さて、フランス人の同僚が初めて覚えた日本語が、「かめはめ波」っていうのはスゴイね。

そういえば先日何かの雑誌で、スーパーサイヤ人の孫悟空のコスプレをしたアメリカ人が外国人向けに、アキバのサブカルチャーを紹介して広めているという記事を読んだよ。

オレが10代の頃、少年ジャンプで読んでいたドラゴンボールが、世界的に有名だったとはびっくりだ。


アキバといえば、昨日Liveのリハーサルが終わった後、本番前に少し時間があったので、壊れたマウスを買い換えようと、秋葉原の電気街方面へ行ったんだ。

日曜日ということもあって歩行者天国では、アニメか何かのコスプレをしたお姉さん達が沢山歩いていて、その中にはコスプレの外国人のお姉さんもいたよ。

それを所謂アキバ系のお兄さん達が、バシャバシャカメラで撮影している不思議な光景を目にしたんだ。


しかも自分が通りを歩いていると、メイドの格好をしたお姉さん達に次々と声をかけられるんだよ。

よくよく周りをみわたすと、長髪のアキバ系の人達が何人かいて、実は最近Liveステージ向けにオレも少し髪を伸ばしていたのだけれど、ひょっとしてオレ、この人達と同じジャンルだと思われたってか???

おいおい、ミュージシャンの長髪と、アキバ系の長髪は違うだろって感じだろ!?
まったく髪なんか伸ばすんじゃなかった、、、。

秋葉原がサブカルチャーの中心地になっていると噂には聞いていたけれど、10年位前まではただの電気街だったのに、しばらく来ないうちにいつの間にこんな町になってしまったのかって感じだよ。


ある意味、今や秋葉原は、アニメ好きの人達の聖地なのかもしれないけれど、それならいっそのこと、アニメやキャラクターといったサブカルチャーを、もっと海外に売り出したら、大きな輸出品になるかもね。

フランスでもそんなに人気があるなら、オペラ座の隣にでも、でっかいアキバ系のビルでも建てたりして?


そうそう、この前テレビを見ていたら、「ディ○ニーランドは遠すぎる」をキャッチフレーズに、ミッ○ーマウスや、ドラ○もん等のなんちゃってキャラクターが跋扈する中国の遊園地のニュースをやっていたけれど、日本のサブカルチャー輸出が成功したら、日本食レストランのように、そのなんちゃってキャラクター達も、世界のあちこちで見ることになるんだろうか???(以前からアジアでは、似たようなモノをよくみかけていたけれど)


去年の年末、ずいぶんと久々に地元の静岡へ帰った時、生まれ育った町並みが少し変わっていて、子供の頃ボールをけって遊んだ空き地が住宅街になっていたりして、ちょっとショックを受けたのだけれど、同じようにパリや秋葉原が変わっていくことにショックを受けている人達が、少なからずいるのかもしれないな。

でもそれが歴史が作られていくということなんだと思うし、その歴史の中でオレ達が生かされているということなんだと思う。

そしてその歴史の中でオレは、自分らしい足跡を何か1つ残したいって、いつも思っているよ。

カズより



P.S.
アキバの電気街から昭和通側のライブハウスに戻る途中に、昔ながらの秋葉原の街並みをガード下に発見したので、その写真をアップするよ。

アニメ系のお店のすぐ近くに、こんな町並みが変わらず残っていてくれたことが、ちょっと嬉しかった。


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セッション7/シンジのパート「パリジャンの休日は漫画喫茶で過ごす???」

2012-01-16 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

今週は出張でパリに来ています。


システム移行プロジェクトで、自社のフランス人技術者のデシャンがヘルプに来てくれているのですが、そのフランス人が面白いんです。

見た目はイケメンのフランス人青年なのですが、日本語ペラペラなので、どこで日本語を覚えたの?って聞いたら、日本のアニメが好きで、本場のアニメを見るために日本語を覚えたのがきっかけで、学生時代に日本へホームステイし、その後ホームステイ先の娘さんと結婚したのだとか。

初めて覚えた日本語が、"かめはめ波"だと聞いて、思わず飲みかけのコーヒー吹き出しちゃいました。(苦笑)


でも今パリでは日本ブームがすごいらしくて、パリジャンやパリジェンヌが"スシ"だけじゃなくて、フツーの日本食や日本のお弁当、ラーメンを食べたり、日本風の漫画喫茶で休日を過ごしたりするそうです。


実際に自分もお客さんのフランス拠点マネージャの浦木さんに連れられて、オペラ座近くのうどん屋に行ったのですが、日本人経営のお店で、まさに日本の味そのまま。

他にも日本風の中華料理屋や、古本のブックオフまであって、ここは本当にパリの街中なのだろうか?という感じでした。


パリ市内だけでも100軒以上の日本食があるらしく、残念ながら9割以上は、日本人以外が作る、焼き鳥屋も寿司屋も一緒になった、下手すると韓国焼肉や中華料理もごじゃまぜの「なんちゃって日本食」みたいですけれど、それだけ日本ブームっていうことで、ちょっと嬉しくなりました。

パリに来たらフランス料理か?と思っていたのに、なぜか連日日本食を食べています。(汗)


それでもフランスに来て驚いたのが、クロワッサンの美味しさ。
日本に住んでいたときは、実はクロワッサンがあまり好きではなかったのですが、こちらのクロワッサンはバターが濃厚で、歯ごたえがもっちり&サクサクしていて、めちゃくちゃウマイんです。

その中でも、先週出張で泊まったリヨンのホテルで食べた朝食のクロワッサンが絶品で、口に入れただけで農場の風景が浮かびそうな位、香り高い濃厚なバターが口の中に広がって、これから毎朝このクロワッサンを朝食に食べたい!って思う程でした。


リヨンといえば、リヨンのフランス人のお客さん担当者リベリーさんと仲良くなって、その人が参加している合唱サークルの練習に飛び入りで参加させてもらいました。

突然の日本人訪問にもかかわらず歓迎してくれ、文化会館のような場所で、ピアノ伴奏と指揮者付で30人位のフランス人と一緒に歌ったのですが、楽譜は子供の頃ピアノを習っていたので少しは読めるものの、歌詞が全部フランス語だったので、殆ど口パクでした。(汗)
カズさんならミュージシャンだから、こういう場合アドリブで何とかなるんですかね?


さてこの後、電車(フランスの新幹線のTGV)でパリからシュトゥットガルトへ戻ります。
初の陸路での国境越えなので、島国育ちの僕には何だか不思議な感覚です。


そういえば今回フランスに来て、フランスの人達とドイツの人達の違いというか、発見がありました。

今回のプロジェクトの1つにセキュリティシステムの導入があるのですが、基本的に決められたことは、ドイツの人達はきちんと守るのですが(逆に決められたこと以外は守りませんが)、フランスの人達はそれが会社が決めたルールであっても、自分がそれが良いと思わないと、なかなか納得してくれず、お客さんの日本人マネージャー浦木さんと一緒に説明にするのに骨が折れました。


ドイツだけにいると、日本との比較でドイツの悪いところばかり見えてしまうのですが、時々こうして国境を越えると、他の国との比較で、ドイツにも良いところがあるのだなと改めて感じました。
(先日カズさんが言っていた"発想転換"ではありませんが、視点を変えると違って見えるということなんでしょうか)


フランスでの滞在は食事も美味しく、見所満載ですごく楽しかったのですが、同じEURO通貨でも、感覚的にパリの物価は倍以上するので、少なくともお財布にやさしいドイツの方が、生活はしやすそうです。(笑)



P.S.
写真はご存知エッフェル塔です。

先週末にリヨンからパリへ電車移動し、週末パリSTAYだったので、パリ市内を観光しちゃいました。

パリは生まれて初めてなので、もちろん初エッフェル塔です。


登ってみようと思ったのですが、すごい行列で断念しました。

と言っても、実は東京タワーでさえ登ったことがないですけれど。


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セッション6/カズさんのパート「発想転換」

2012-01-15 | ニッポンジン!



シンジへ。

お疲れ~、カズです。

相変わらずトラブル続きだねえ。


トラブルが続くと本当にへこむよな。オレもこれまで旅でトラブルが重なって「本当やってられねえ!!!」って泣きたくなったことが何度もあるよ。

でもシンジ。トラブルの中には、良いトラブルと悪いトラブルがあるって知ってるか?


そうそう、トラブルと言えば、オレがアフリカのタンザニアを旅していた時のこと。


タンザニアのザンジバルという島のビーチに、日本人のオーナーが経営するバンガローがあって、アフリカを旅する日本人達が集う日本人宿になっているんだ。

東アフリカを旅している中で、マラリアっぽい症状が出ていたのと、ザンジバルはオレがリスペクトしている、元クイーンのフレディー・マーキュリーの故郷ということもあって、オレはそのザンジバル島のバンガローにしばらく滞在し、安静にしていたのだけれど(結局原因は抗マラリア薬の副作用だったのだけれど)、そこで出会った日本人の旅人に、ジンバブエのハラレのアフリカンミュージックが良いらしいと聞き、体調も戻ってきていたから、ぜひ行ってみることにしたんだ。


ハラレ行きのチケットを電話で手配してもらい、ザンジバルからタンザニアの首都ダルエスサラームまで船で移動して、そこから飛行機で飛ぶことになったのだけれど、予約したフライトの前日に、そのオーナーが船着場のあるストーン・タウンまで用事があって車で移動するというので、自分もそのオーナーの車にご一緒させてもらうことにしたんだ。


でも当日、人通りの少ないサトウキビ畑のあぜ道で、突然車が故障して動かなくなり、他の車が通りがかるのを1時間以上待つことになってしまったんだ。


そしてやっと車が通りかかり、オーナーの知り合いの青年海外協力隊の技術者がいる修理工場まで、その車を運転していたアフリカ人に頼んで、ヒッチハイクで移動したんだ。

その後、その協力隊員と一緒に、車が故障している場所までレッカー車で戻って、車を工場まで運び、状態を見てもらったのだけど、エンジンの故障だからすぐには直らないと言われ、結局車を預けて、さらにヒッチハイクで車を乗り継いでストーンタウンに到着したのは夜。

もうその時には、ジンバブエ行きのフライトに間に合う為に、オレが乗らなくてはいけなかった、その日の最終の船が出た後だったんだ。


当初の予定では、翌日ジンバブエのハラレに飛び、そこでアフリカン・ミュージックを聴いた後、ジンバブエとザンビアの国境沿いにある、世界三大瀑布の1つビクトリアフォールズや、チョベ国立公園のあるボツワナへ行こうと思っていたのだけれど、この車のトラブルで、翌週のハラレ行きのフライトまで、待たなくてはいけなくなったんだよ。

でも実はその数日後、巨大なサイクロン(インド洋の台風)がジンバブエとモザンビークを襲い、日本のニュースでも報道される位、両国で多くの人達が死傷した、歴史気的な大災害が起こったんだ。


車が故障した時には、なんてオレはついてないんだろうって思ったけれど、もしあのままジンバブエに飛んでいたら、命に関わるような大変な目にあっていた可能性があり、ある意味すごくラッキーだったかもしれない。

その時ジンバブエに行けなかった代わりに、ダルエスサラームで会った人から「ミュージシャンなら西アフリカへ行ってみたら?」と言われ、オレはその後セネガルやマリを旅して、そこですごく貴重な経験をすることができたんだ。


西アフリカの話は長くなるから、また別の機会にでもするけど、本当に何がラッキーか、アンラッキーかは、長い目でみたらわからないなって、その時しみじみと思ったよ。


でも縁があればいつかそこへたどり着くことができるもので、その数年後に、ちゃんとビクトリアフォールズも、チョベ国立公園も訪れることが出来たんだ。

しかもチョベ国立公園は5~9月の乾季になると、チョベ川の水を求めて約6万頭もの象が集まる、世界最大の象の生息地で、数年後の日本のゴールデンウィークの5月に、何の予備知識もなく偶然ベストシーズンに訪れ、1日に数千頭を超える象の大群に出会うという、一生忘れられない程の感動的な体験をしたんだよ。
(ちなみにザンジバル島のエピソードは、2月の雨季の時期だった)


人間生きていると、"ついてないな"って思うことがよくあるけれど、それがついているか、ついていないかは、大きな視点でみると、またちょっと違っていたりすることがよくあるんだよ。

シンジも今回のトラブルはしんどかったと思うけれど、飛行機や電車が遅れたって、命をとられる訳じゃないからさ。


今おこっているトラブルは、ひょっとしたら自分にとって実はラッキーな、"良いトラブル”なのかもしれないって思うと、ちょっとワクワクしてきたりするんだよ。

もちろん命に危険が及ぶトラブルは、明らかに悪いトラブルだと思うけれど、命が無事なら、本当にそのトラブルが良いか、悪いかなんて、ずっと後になってみないとわからなかったりするものだからさ。


発想転換だよ!シンジ。



P.S.
写真はボツワナで象の大群に出会った時の1枚だよ。

この時は十頭から百頭を超える群れに次々と出くわし、1日で数千頭の象に出会ったんだ。

これまでケニアやタンザニア、南アフリカで、いわゆるサファリを体験したことがあるけれど、普通は1日車で走り回って、10頭位の象に出会えるかどうかなんだぜ。


日本を1歩出ると、予定通りにいかないのが当たり前。

仕事はそれでは困るのかもしれないけど、例え予定通りいかなくても、毎日この地球はちゃんと回っているのだから。


ちょっと位のトラブルを楽しめるようになると、きっと今見えている景色と違う世界が、見えてくるかもしれないぜ。



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セッション6/シンジのパート「シャイセ・バーンは何処へ行く?」

2012-01-14 | ニッポンジン!


拝啓、カズさん。シンジです。

ドイツでは冬の足音が聞こえてくるようになりました。

ようやくドイツの生活にも少し慣れたところですが、仕事でシステム移行のプロジェクトがスタートし、毎週のように出張で欧州内を飛び回っています。

そんな出張生活で、またもやトラブルが連発しています。


欧州では時々ストライキがあると聞いていましたが、先日シュトットガルト空港からデュッセルドルフ空港へ飛行機移動しようとした際、飛行機会社のストライキにあい、自分が利用予定だった飛行機が運休になりました。

どうしたらいいか空港職員に訪ねらたら、まずは航空会社のカウンターに行けと言われたので、朝の6時前から1時間半以上も長い行列に並びました。


しかしようやく自分の番になって係の窓口に行くと、航空会社の職員が、代わりの飛行機は明日以降しか飛ばないから、自分で電車のチケットを買ってデュッセルドルフへ行けと言うんです。


「電車のチケットの買い方もよく分からないし、ストライキで飛行機が飛ばないのは航空会社の責任だから何とかしてくれ」と粘ったのですが、とにかく飛行機は飛ばない、航空会社では払い戻ししかできないから、デュッセルドルフに行きたければ自分で何とかしろとキツイ口調で言われて、はい次の方!でオシマイ。


仕方なしに空港から中央駅までSバーン(近郊電車)で移動し、シュトゥットガルト中央駅でデュッセルドルフまでICE(ドイツの新幹線)の切符を買って移動したのですが、そのICEも1時間以上遅れて、計5時間以上、空港への移動と待ち時間を合わせると約10時間もかけて、ようやくお客さんのオフィスに到着しました。

朝10時からお客さんと打ち合わせだったのに、それも翌朝に延期に。

しかも話はそれだけじゃないんです。


翌週にフランクフルト近郊でもシステム移行の作業があって、その帰りにフランクフルト中央駅からシュトゥットガルトへ戻ろうとした時のこと。


雨で電車がかなり遅れていて、ずっと乗り場ホームで待っていたのですが、予定時間から30分以上遅れてようやく電車が来たので、乗り場にある電光掲示板で行き先を確認して、シュトゥットガルト方面行きのICE(新幹線)に乗車し、座席に座っていました。


しかししばらくしてDB(ドイチェ・バーン/ドイツ鉄道の意味)の職員が、乗車券の確認にやってきて、自分の番が来たのでチケットを見せたところ、行き先が反対だと言うんです。

ちゃんと乗る時に行き先を確認して乗ったはずなのだけどと言うと、この日は雨でどの電車も大幅に遅れが出ており、おそらく乗り場が突然変わったにもかかわらず、電光掲示版の表示変更が間に合わなかったのだろうとのこと。


よくよく思い返してみると、ドイツ語で何かアナウンスをしていたような気がするのですが、英語のアナウンスが無かったので、僕達外国人には内容がわからず、乗り場前の表示を信じて電車に乗ってしまったみたいなんです。

しかも乗ったICE(新幹線)がハンブルグ方面行きだったようで、次の停車駅まで1時間以上止まらず、そこで反対方面行きのICEを30分以上待って、しかもこちらも1時間程電車が遅れ、フランクフルト中央駅に戻ってきたのが、夜の9時過ぎ。

最初にフランクフルト中央駅でICEに載ったのが夕方4時過ぎだったので、合計5時間も無駄な時間を過ごしてしまいました。


さらにシュトゥットガルト行きの最終のICEが終わっており、特急電車に乗ってシュトゥットガルトに到着したのが夜の11時過ぎ。郊外の自宅に着いたのは深夜0時過ぎでした。


この話を後日、同じ会社の赤井さんに話したところ、「DB(ドイチェ・バーン)ではよくある話だよ。定刻で電車が到着することは本当に稀だし、だからドイツ人も含めて皆、シャイセ・バーン(くそったれ鉄道)って呼んでいるんだ」と言われました。


やはりドイツでは、ゆとりを持った予定を立てなくてはいけないようで、大事な打ち合わせや仕事がある時は前日移動が必要みたいです。


P.S.
写真はドイチェバーンのEチケットです。ICE(新幹線)のチケットを座席指定も含めてインターネットで購入して、Eメールで送られてくるEチケットをプリントアウトして持っていけばよい、便利な制度です。(このやり方は同僚のゲッツェに教えてもらいました)

確かにEチケットは便利ですが、それ以外はまったくもって不便な鉄道会社です。(涙)


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セッション5/カズさんのパート「郷に入るか?入らぬか?」

2012-01-13 | ニッポンジン!



シンジへ。

お疲れ~、カズです。

ビール祭りかあ。いいねえ。

昼飯の酒、シンジも一緒に飲んでみたらよかったのに。
"郷に入れば郷に従え"って、昔から言うしね。


まあそれでヘベレケに酔っ払って、午後働けなくなったら、それ以降は誰もシンジに酒を勧めなくなるんじゃない?

まあ社会人的言えば、ダメダメなんだろうけど。(ひょっとして人としてもダメダメか?)


実はオレも昔、旅の途中で1回だけ、ミュンヘンのオクトーバーフェストに行ったことがあるんだよ。

でっかいテントが沢山あって、バンドの伝統音楽の生演奏があって、客は特大ジョッキでたらふくビール飲んで、皆でヨッパラって最高!

夜がふける頃には、気絶するぐらいまで飲んでいる奴もいたっけ。
(シンジ的には最低か?)


知っての通りオレは歌いながら旅をしているから、バンドマン達の方に目がいくんだよ。

その時に演奏していた、チョビヒゲで吊りバンド短パンの太っちょオッサンがいたんだけれど、でっぷりした腹のくせに、妙に短パンが小さいんだよ。(それがバイエルンの伝統衣装なのかもしれないが)

そんな見た目なのに、結構シブイギター弾いて、ソウルフルな歌声なんだよ。これが。


このオッサンかっくいー(目を閉じていればだけれど)と思い、ステージの合間にそのおっさんの所へ行って、英語で「アンタ最高だな。一杯おごらせてくれ」と言ったんだよ。


ジョッキ片手に飲みながら、「オレは(元だけど)ジャパニーズ・プロフェッショナル・ミュージシャンで、歌いながら旅しているんだ」と話すと、「お前はドイツやヨーロッパの伝統音楽を知っているか?」って聞いてくるんだ。

ドイツやヨーロッパの昔の曲なんてあんまり知らないけど(80年代のジャーマンメタルのHelloweenぐらいか?)、前のステージでこのおっさん達が演っていた、80年代に流行ったユーロ・ビートの曲、「"マイケル・フォーチュナティのギブ・ミー・アップ"なら知ってるけど」と話すと、今日はもう1本ステージが残っているから、ぜひ一緒にやろうという話になって、この日最後の夜10時からのステージで1曲限定ということで、突然飛び入り参加することになったんだ。


太っちょのオッサンがドイツ語でオレのことを紹介すると、平日の夜で少しまばらになったビアホールの観客達が拍手するので、ここは「郷に入れば郷に従え」だ!と思ったんだけど、よく考えたら俺ドイツ語しゃべれないから、咄嗟にモノマネで「郷で~す。ジャパ~ン!!!」って叫んだんだ。


で、皆シーンとして、めっちゃキョトン顔。

よく考えたら、ドイツ人が郷ひろみなんて知るわけないんだけど、突然の事でめっちゃあがってたんだよね。しかもドイツ語では日本のこと「ヤーパン」って言うなんて知らなかったし。(後で知ってナルホドって感じ。汗)


でも何事も無かったかのように曲が始まって、チョビヒゲ吊りバンド短パンの太っちょオッサン達と一緒に、ギブ・ミー・アップを歌ったら大盛り上がり。

やっぱり音楽は国境を越えられる!って感じだよね。

その後はシュラーガーっていう伝統音楽や、ドイツの懐メロを数曲おっさん達が続けたんだけど、俺はもちろんそんな曲知らないから、客席最前列でビール片手に最後まで聴いて、ステージ後に「ダンケシェーン!!!」って叫んで、おっさん達と一緒にギュッと強い握手を交わして、ミュンヘンのユースホステルに帰ったんだけれど、オクトーバー・フェストと言うと、このおっさんの"チョビヒゲ"と"短パン"を今でも思い出すよ。(顔はもう思い出せないけれど。苦笑)


郷に入るか?入らぬか?は、シンジ次第だと思うけれど、俺からのアドバイスはただ1つ。

「ドイツで郷ひろみのモノマネはやめておけ」ってことだな。


それじゃあまた。



P.S.
今日の写真は、その懐かしのオクトーバー・フェストの写真だよ。

ミュンヘンの白ビールは飲みやすいから、どんどん飲んで結構酔っ払って、夜にはかなりベロベロだった気がする。

でもいくら酔っ払っていたとはいえ、「郷で~す」は無いよなあ。
(ミュージシャンとしても、人としてもダメダメだろって感じ)

これ書きながら思い出して、ちょっとへこんだ。(涙)



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