今年も9.11の日を迎えました。
2001年にアメリカでおきた同時多発テロ事件。
グラウンド・ゼロと呼ばれる、旧ワールドトレードセンタービル跡地等で、今年も追悼式典が行われたようです。
2000年の節目の年にギターを抱えて歌いながらの世界一周の旅に出て、偶然訪れたその場所を歩いていた時は、まさか1年後にあのような事件が起こるとは想像も出来ませんでした。
しかしあの事件をきっかけに、誰が叫んだのか、21世紀は「テロとの戦い」の世紀と呼ばれ、今なお世界のあちこちで多くの血が流れています。
9.11の事件は風化させてはいけない、人類の歴史の中でも大きな事件。
しかしその被害者であるアメリカは、今なお加害者?として、世界で戦争を続けています。
世界を旅していて思うことは、戦争に正しいも悪いも正義も悪もない。ただ全ての戦争は悲惨な結果を生み、一部の権力者や利権者を除けば、殆どの人にとって戦争はマイナスでしかないということ。
血を流さずに解決できるよう最善を尽くすこと、それがまず第一で、相手が言うことを聞かなければ殺してもかまわないというのは、それが誰であれ、宗教や思想がどうであれ、やっぱり正当化されるものではないと自分は思います。
「戦争」も「平和」も「愛」も「自由」も、日本で生活をしていると、とんでもなく非現実的に思える、思わず「嘘臭い」とさえ思ってしまう程、リアリティとは対極にあるような言葉ですが、世界を旅しながら、自分の目で「みて」、この耳で「聞いて」、そしてこの肌と心で「感じて」みると、これらの言葉にリアリズムが無い日本という国の方が、むしろ不思議な国のような気がしてくるのはなぜでしょうか。
人類がこれまで生きてきた歴史の中で、常にそのテーマは中心にあったのだと改めて感じることがよくあります。
もちろんたかが通りすがりの旅行者に、実際にその場所でその歴史の中で生きてきた人達と同じように実感ができるはずはありません。
しかしそこに足を運んでみると、自宅のテレビの前で、上から斜めから好き勝手な言葉をはき捨てていた時とは違った感情が、自分の中に芽生えてくるのも事実です。
グラウンド・ゼロとは元々、原爆投下跡地や、核実験跡地の爆心地を指す言葉で、9.11で旧ワールドトレードセンタービルが崩壊したその場所が、そのグラウンド・ゼロの光景によく似ていた為、定着した言葉なのだそうです。
そう、もともとグラウンド・ゼロとは、広島や長崎にアメリカによって投下された原爆の爆心地を指す言葉です。
たかだか65年程度、自分達の親や祖父母が幼少だった頃の、誰もが知っている日本の場所をさす言葉が、なぜか今ではものすごく別世界の場所、出来事、、、まるで映像上のフィクションかのように感じてしまう現実が、他でもない、私達の日常の中にあります。
我が祖国に原爆が投下された当時の日本人は、今の日本の姿が想像できたでしょうか。
そして約半世紀後、自分達の孫の世代となる日本人は、後世に今の私達のことをどのように語るのでしょうか。
マンハッタンのグランド・ゼロは、9.11同時多発テロ事件以来1度も訪れていませんが、それ程遠くない未来に足を運んでみたいと思っています。
もちろん自分にとっての旅のパートナーであるギターと一緒に。
写真:2000年の旅で訪れた、ニューヨークのセントラルパーク内にあるイマジンの碑