新聞の広告欄に駒澤大学の禅の言葉が掲載されていた。啐啄同時である。それを引用すると、以下の説明がなされていた。
【引用】
雛が生まれようと卵の中から突っつくのが「啐」、すかさず親鳥が外から殻を突っつき、誕生を助けるのが「啄」。これが師弟関係です。
別の辞書では、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこととある。
もともとは、中国の漢詩、碧巌録から来た熟語である。それを調べようとインターネットで検索したら知的障害者の学生を中心としたボートを楽しむサークル「アメンボウ・シーズ」というホームページにたどり着いた。碧巌録に記載された語源が書かれてあるので、興味ある方は検索され、参考にされたい。
平素ではなかなか触れることができない含蓄のある言葉はほかにも数あるが、長年教育訓練に従事していたこともあり、適切な意味を知ることの必要性を感じた次第である。教育の原理原則をまさに射抜いていると思われる。どうも教育の効率化を受験戦争に勝つための手段ばかりが表に出て、どこ大学や○○高校等の有名校に何人合格したなどの塾の広告宣伝が目につく。実は教育現場で見落とされがちな師弟関係をもっと充実させるべきではないかということである。
決められたカリキュラムをこなすだけの一方的な授業に始終し、教育の根幹たる生徒の潜在能力を引き出し、教え育むということで、教授陣に必要なのは、啐啄なのである。
それも、雛が内側の殻を突っつく音や響きを親鳥が聞き分け、そのタイミングを計って外側からの手助けを行うことなのである。
相手が求めないのに詰め込む学習方法は、相手の能力を軽視する教師の強制力 (場合によっては暴力) であり、人格を無視した行為であるし、詰め込まれる生徒からすれば、学習意欲を損なうきっかけとなり、おちこぼれの原因ともなり得る。老婆心ながら、このことを考え教師など師に当たる方々が自分の教育方法について再度、見直す機会にされたいと思っている。