鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

加勢鳥の神事

2017年01月28日 00時00分01秒 | 紹介

 今時、若い衆がミノをかぶって奇声を発しながら、街を練り歩く、見物人は加勢鳥に扮した若者に柄杓で水をかけるようである。厳寒の山形上山市で行われる民族芸だそうである。400年前から続いているといわれ、発祥の歴史などはよくわからないが、火伏の神事で、冬場の火災を鎮めるという意味は、わかるような気がするが、蓑をすっぽりかぶる姿は、東南アジアやアフリカの原始宗教を彷彿とさせ、不思議な雰囲気を醸し出している。ちなみに、海外からの伝来説はないようである。

 

 新年の行事とされ、新しい年の五穀豊穣や商売繁盛を願って毎年2月の11日に上山市で行われている。明治時代に入ってこの風習は途絶え、復活したのは1959年のことである。加勢鳥は火クイ鳥のことで、火災が延焼する姿を火クイ鳥にたとえたようで、火伏、すなわち消火活動が柄杓(ひしゃく)で加勢鳥に向かって水をかけることに繋がったようである。

 

 民俗芸能が途絶えたり、復活したりで、意味すら不明のことが多い。それでも何らかの形が継承され続くことで、どのようにでも理屈はつけられる。実際のところや上山町においても後継者の不足に直面しているようで、継続することの難しさに悩まれている。下着一枚で、藁で作った蓑をかぶるのも冬場の寒さが厳しい時期、さらに水をかけられるのだから、加勢鳥のなり手がいなくなるのは当然であろう。

 

 このような地域に伝わる民俗芸能やイベントの存続は難しい時期に入ったともいえる。少子高齢化や過疎化は現実の姿として、厳しい状況にあり、その打開策すら見えない状況である。将来の見通しも、決して明るいとは言えず、悪化の傾向に進んでいる。そこで民俗芸能などの場においても後継者とその育成についても、何らかの対策を立てないと、せっかく復活した加勢鳥のような民族芸能もいずれは廃れてしまう。

 

 単なる人集めで、イベント化したがる社会風潮があるのも事実であるが、地域の住民がかかわりあうことが必要で、単なる見学者ではなく、実行部隊として企画から後片付けまで関与させる、またはすることで、相互の人間関係と、意義を感じることが重要であろう。一方では、都会の町内会や自治会が機能不全に陥っている。マンネリ化し、町内会費で役員が茶飲み話に興じていれば、地域から存在そのものを否定され、任意加入が大手を振ることになり、年々、脱退者が増えていることも由々しき問題ではある。