君ヶ伏床砦の山から再び県道439号へ戻り、新東名の高架を目指しました。高架が目の前に見えた所で右折して豊川を渡ります。
飯田線の踏切があり、越えて高架を潜る手前で史跡があるのに気付きました。予定外でしたが早速右折。
見えました、あれがその史跡です。
手前で車を停め、歩いて近づきました。知っている絵が見えます。
鳥居強右衛門。先に訪問した五砦に関連して、武田軍に包囲された長篠城を抜け出し、岡崎城まで織田・徳川連合軍に援軍を要請しに行った強右衛門さん。援軍と共に翌日戻ることを勧められながらもすぐに長篠へ向かいました。しかし長篠城の手前で捕まり、援軍は来ないと伝えれば助けると言われたものの、援軍が来るから頑張れと言って処刑されてしまいました。
そんな強右衛門さんで驚くのは、長篠城と岡崎城は、片道65㎞ほどあり、それを1日余りで往復したらしいのです。
マラソン選手でも2レース以上を続けて走るのは辛いだろうし、100キロマラソンよりも長く、川を渡り山道もある道のり、トライアスロンよりもシンドイんじゃないかと思います。死も恐れない強右衛門さんの武士(もののふ)の道、立派です。
ちょっとした山城も登り切れず、車で走っている私は、強右衛門さんを尊敬します。この時代の人は、皆そうだったんだろうな・・・。
砦方面です。
この向こう側が豊川を挟んで長篠城です。
強右衛門さん、さようなら・・・。
さあ、再び市街地方面へ向かいます。