8月2日は最終日、予約してあるフライトはほぼ最終便。チェックアウトして荷物をホテルに預けた。レンタカーは昨日18:00に返してるので、今日は近場を観光する予定。見せる修復をしている首里城と首里の街並みを散策し、市内に戻って食事をしてお買い物して、時間が余ったら早めに空港に行きましょう、ということでタクシーでお出かけ。
最初の写真は守礼門、昨日までの中城と今帰仁城とは違い観光客が多い。海外のブロガーかなと思える人が、首里城前を独占して撮影を繰り返していた(苦笑)。負け惜しみっぽいけど(苦笑)守礼門は有名だけど沖縄戦で破壊され、1958年に復元されたもの。首里城公園は琉球王国のグスクおよび関連遺産群として世界遺産登録されているけれど、その対象となっているのは、下の写真の御嶽石門と周辺文化財である玉陵(たまうどぅん)だけ。
園比屋武御嶽石門(そのひゃん うたきいしもん)
国王が外出する時の安全をこの石門の前で祈願したとされる門。沖縄戦で一部破壊されたものを1957年に復元し、2000年12月に世界遺産に登録された。こっちは誰も居座らないので写真撮り放題(笑)。
歓会門
奥に見える人は、琉球王国時代の警備員の装束を纏っておられる。写真撮っていいですか?と聞くと快く門の近くに立ってくださり「お二人で写真を撮ってあげましょう」と逆に撮影していただいた。城郭内に入る第一の正門。会えて嬉しいって言う意味だよね〜、警備の方の接し方がまさにそれだったね〜なんて言いながらさらに進む。
隅頭石(すみがしらいし)
城壁の角が上を向いて丸みを帯びている部分を言う。いろんな説があるらしいけど、角には悪い気が集まりやすいので角を落としているとか、角がない人あたり・風当たりをよくする、とか言う意味合いがあるらしい。守礼門の扁額にある「守禮之邦」は、琉球は礼節を重んずる国であるという宣言のようなものなので、人あたり・風当たりをよくするという意味あいに清き一票を投じたい気持ち。
久慶門(きゅうけいもん)を上から見たところ
別名「ほこり御門(ほこりうじょう)」といい、主として女性が利用したと言われている。
東(あがり)のアザナからみた城郭
城郭の東側にある物見台から右に久慶門、その先歓会門、守礼門がみえる。東は陽が登る場所なので「あがり」と言うそうだ。その先は那覇の街並み、その先は太平洋。見たいものは全部カバーできたかな?と地図をみて、龍樋(りゅうひ)を見そびれたことがわかり、瑞泉門近くに戻る。
龍の口から湧き出る水
王宮や来客の大事な飲料水だったとされる。ここから一旦復元工事エリアに戻って展示を見て、休憩所で涼んでから公園を後にすることにした。首里城は今再建の途上にある。「見せる復興」をテーマにして、正殿のあった御庭(うなー)に、木材倉庫、原寸場、素屋根が建てられて、見学エリアが併設されて、原則土日以外に復元作業・工事の様子を見ることができる。
建物入り口
龍頭棟飾の残骸
焼き物を組み合わせて作られ屋根装飾
建物内部は3階建になっていて、順を追って下から修復の様子が見られるようになっている。前日たまたま見たローカルニュースで、職人さんたちがテレビのインタビューを受けていた。みなさん若くて、見られながらの修復に最初は緊張したと答えていた。中には奈良から来たと言う人もいて、木造建築のプロの県だからね〜なんて話をしたその場所に、翌日立っている不思議を感じた。
階段を登ると次の工程が見られるような設計
素屋根の裏の壁に描かれた原寸大の首里城正殿
高さ18メートル、幅29メートルの大きさを実感できるように描かれていた。この辺りは有料区域だけど、大龍柱補修展示室は下之御庭(しちゃぬうなー)の無料区域にあり、誰でも見られるようになっている。正殿正面の階段の入り口に立っていた1対の大龍柱は火災を耐えた。倒れないように応急処置をして、クレーンで補修場に移動し、エポキシ樹脂による補修を行った様子などが説明されている。
今後は新しく作成される大龍柱の見本として、火災の歴史を後世に伝えるための資料として、展示されることが予定されているとあった。このあと、京の内とよばれる植物園を突っ切って西(いり)のアザナまで行ってみてから公園を出た。
出口付近に石碑があった
左奥の小さなのは、琉球大学があったことを示す碑。首里城は14世紀ごろに作られた、琉球王国最大の木造建築物。国王と家族が居住する王宮であり、行政機関である首里王府の本部でもあり、王国祭祀を運営する宗教上の拠点でもあった。1879年に沖縄県となったあとは、日本軍がここに駐屯し、各種の学校として首里城を使うようになり、沖縄戦では焼失し、戦後は琉球大学のキャンパスとなった。大学が移転した後復元事業が始まり、1992年に首里城公園として開園。2019年10月31日に火災で9つの施設が焼損。焼け落ちる首里城をどうすることもできず、見つめて涙する沖縄の人たちをニュースで見た、あの映像は忘れられない。中には沖縄戦での様子を思い出した人もいるかもしれない、と思った。
でも見られる方は辛いかも。
観に行くのなら修復完了後にします。
ただ、見せる修復をしていなかったら、修復の様子を細かく取材して番組にしたり
修復にあたっている方達がテレビに出ることもなかったかも?と感じました。
皆さんの名前が棟木に記されるんでしょうね、がんばってね〜と思いました。