首里城公園を出て、首里金城町石畳道を歩くことにした。16世紀の琉球王朝時代に作られた。20-30センチの琉球石灰岩がモザイクの様に敷き詰めて、表面を小叩き上げという方法で整えた道。写真は、分岐点にある魔除け石の「石敢當(いしがんとう)」。この道は首里城と那覇港とを繋ぐ主要な道路だったけれど、沖縄戦でそのほとんどが破壊され300mくらいの距離だけが残された、という。
真珠道(まだまみち)
1522年頃に首里王府が敷設した「国道」とのこと。日本の道百選であることを示す石碑も立っている。
ザ・沖縄って感じの一角
途中、樹齢推定200年という大アカギを見に行って蚊に刺されまくったり(苦笑)しつつぶらぶら歩く。すれ違ったのは向こうから来たドイツ人の4人組だけ、暑いからね〜
金城村屋(かなぐしくむらやー)
石畳散策の休憩所として、地域住民の憩いの場として提供されている。首里金城町は那覇の歴史や文化を色濃く残す地域として、那覇市に都市景観形成地域の指定を受けている。この村屋は観光客も使えるトイレや休憩所としてのサービス機能を果たしつつ、この地域の街づくりの中核とすべく伝統的な琉球木造建築として整備されたとあった。ガジュマルが大きな木陰を作っていて、のどかな沖縄の原風景、と言う感じだった。
ここから坂を降りてタクシーを拾い那覇へ。那覇では牧志公設市場でお昼を食べ、壺屋やちむん通りで焼き物のお店を冷やかし、壺屋焼物博物館で涼みつつ、沖縄の民藝やちむんのお勉強をしてからホテルに立ち寄って着替えて、荷物をピックアップして空港へ。ホテルはチェックアウト後はプールのシャワーなどは使用不可なのが残念だったけど、綺麗なおトイレで汗取りシートで体を拭いて着替えてスッキリできたのはよかった。
というわけで、長々と書き連ねた沖縄旅行記は以上となりまする。
この日は遅い時間に羽田に着き、帰宅して新しいお風呂に入って、翌日はウチでゴロゴロして、その次の日から一泊で京都に出かけたのでした。暑い島から暑い盆地へ、である(苦笑)。京都の旅行記はまた後ほど。
建物や石垣など こちらとは違う雰囲気です。
食事も民家も異国の情緒だし お墓がとても立派ですね。
世界遺産の首里城が再建されつつありますね。
沖縄旅行記ありがとうございました。
やはり一度沖縄に行かねば と思いました。
そもそも琉球王国でしたし、日本になっても戦後日本に復帰するまでは外国だったし
考えてみれば「外国」だった期間の方が長い沖縄です。
お墓も食生活も文化も生活様式も、
東アジアや東南アジアとの交流の深さを感じます。
超仲良しじゃなかったとしても、喧嘩しないで交流することで、
文化も生活も豊かになるんだって教えてくれます。
ぜひいらしてみてください!
車も左ハンドルでお金も💲でした。
そうでしたよね
沖縄が日本に復帰した時あたしは小学生でした。
ところで地震大丈夫ですか?
これからしばらく、特に気をつけてくださいね