kebaneco日記

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離宮と利休の旅 初日 利休の巻

2022年12月28日 | 旅行記&その他
桂離宮参観を終えて、大徳寺へ向かった。桂駅から阪急京都線で四条烏丸へ、地下鉄烏丸線で北大路へ。そこからバスで大徳寺前下車。電車に乗ってしまえばあっという間。バスを降りて道を渡ったら、その角に紫野和久傳が!ここにあったんだぁ〜、知ってたらランチ奮発しちゃったかも〜、でも今日はスケジュール的には無理だったなぁ〜と、未練タラタラで周囲をうろうろ(笑)。
 
 
大徳寺聚光院の特別公開の予約は4時で、時間にはかなり余裕がある。順番逆だけどね〜、とかいいつつ門前のお店を覗いてから(京都で買ったもの - kebaneco日記)境内へ。
 
 
 
総門を入り南門に向かう石畳
 
ここで龍源院が公開されていることを発見。ガイドブックには、畠山義元・大友義長らが創建したと言われる、大徳寺にある約20ある塔頭の中で最古、枯山水と石庭が見どころ、とあった。
 

 
方丈前石庭



室中(しっちゅう)の筆者不明の竜の図


 
阿吽の石庭 聚楽第のものと伝えられる阿の基礎石
 
 
隣の黄梅院は通常非公開で現在特別公開中ではあったんだけど、残り時間がゆっくり拝見するには短すぎる。利休作庭と伝わるお庭があると聞いて心は動いたけど、諦めた。「びみょ〜に時間があるけど、ぶらぶら歩いて行きますか」と、聚光院に向かう。
 
 
大徳寺は鎌倉時代に大燈国師が開山、臨済宗大徳寺派の総本山。1315年建立の小院を起源とし、のちに一休宗純(あの一休さんっすよ)が再興。小堀遠州が自身の菩提寺として作った狐蓬庵(今年5月から6月にかけて約3週間だけ、7年ぶりに公開して賑わっていたらしい)や、細川三斎・ガラシャ夫人の墓所の高桐院(当分拝観休止中)、我が国最古の方丈建築の本堂をもつ大仙院、などなど歴史あふれる禅林なのだが、公開されている塔頭とそのタイミングは限られている。お目当ての塔頭の公開時期に合わせて、旅程を組まねばならない。今回2か所も拝観できてラッキーだったのかも。
 

 
重要文化財建造物の勅使門



おなじく重要文化財の山門
 
 
この山門、金毛閣という。1階まで建立されていたものに、千利休が2階を継ぎ足して完成させた。そこに自分の像を安置したことが豊臣秀吉の怒りを買い、自刃を命じられるきっかけとなったといわれている。山本兼一の直木賞作品「利休にたずねよ」では、嫉妬した秀吉が、利休が大事にしているものを次から次に奪おうとする。娘を側室に差し出せと迫り、断った父を思って娘が自害。この山門に置かれた像を、通るたびに自分を見下ろすつもりかと蟄居を命じる。肌身離さず持つ香合を差し出せば許すと伝えるものの、自分に生きることと美を教えてくれた、権力者への献上品として買われてきた高麗の女の爪の入った香合を渡すくらいなら、と死を選ぶ。という場所として描かれている。生誕500年の今年この場にいるとは何たる偶然か、と思った。
 
 
さて聚光院、「早く着いちゃったんです」と受付に行ってみたら「ちょうどこれから1つ前のグループが出るところですから、そちらとご一緒にどうぞ」と通された。1566年三好義継が養父長慶(ながよし)の菩提を弔うため創建。開祖は大徳寺第107世の笑嶺宗欣(しょうれいそうきん)。笑嶺和尚が千利休参禅の師であったことから、ここが利休の菩提所となる。茶道三千家歴代の墓所でもある。
 
 
 
国宝 狩野永徳・松栄筆 本堂障壁画(聚光院のサイトから)
 
 
見学は20人ぐらいのグループで、係の人に先導され説明を受けながら回っていく。写真は一切禁止なので、荷物はスマホも含めて全て預けた。創建当時に手掛けられた障壁画は、狩野永徳と父の松栄によるもの、全部で46面もある。本堂の室中に描かれた花鳥図は、写真では閉じられている正面の襖を開くと仏像がありその下に小襖がある。小襖までそうだったのかはわからないのだけど、1979年にモナリザが来日した、その返礼としてフランスで展示されたのが聚光院本堂の障壁画だった。オリジナルは通常京都国立博物館で保存されている国宝。本堂には5年半ぶりの里帰りとなる。本来あるべきコの字に配置するからこそ、描かれた鳥たちの関係性が見えてくる、という説明を受けた。
 
衣鉢の間の竹虎遊猿図(右と中)は松栄の柔らかなタッチ、左の琴棋書画図は永徳の作
 
DiscoverJapan 2022年11月号から
 
お猿さんは木の上にあと2匹いて、狩野一族の男たちがモチーフ、虎は夫婦喧嘩を描いているとか、説明を受けながら1か所1か所十分すぎるほど時間を割いて見学させていただいた。茶道三千家との関わりがあるお寺である、重要文化財の茶室も説明を受けた。閑隠席という茶室は千利休150回忌に表千家の寄進によって建てられた、3畳という狭さ。明かりを極限まで制限した緊張感のある作り。枡床席はその70年後に建てられた。貴人口などもあり、緊張感ある閑隠席とは全く異なる。
 
 
コースには、2013年に落慶した書院の障壁画である千住博の「滝」も入っていたので当然観た。納品に至るまで3度の書き直しを命じられたことや、技法が特殊であることなどの説明があった。京都のお寺には現代の作家に壁画を依頼するところがいくつかある。2年前に夜間拝観した、天龍寺の宝厳院(秋の京都旅行 初日夜のお庭編 - kebaneco日記)の障壁画は田村能里子作だったし、大徳寺にも開祖が一休さんの塔頭、真珠庵が漫画家やイラストレーターに障壁画を依頼した様子がテレビで放映されていたのを記憶している。千住博も数年前に高野山金剛峯寺に障屏画を奉納している。その作品制作の様子は、テレビ番組で見た。
 
 
寺院がその時代の画家のパトロンとなり、檀家や観光客に眼福を得てもらうことは素晴らしい。そのアーティストを選んだことが正解だったのかどうか?はその判断を後世に委ねればいいことだし。そういう意味では、狩野永徳にも負けてないんじゃないか?なぜこの人あたしノーマークだったんだろう?と思った海北友松の障壁画が方丈を飾る、当初予定していなかった建仁寺を拝観できたことは、今回最大のラッキーな偶然だった。
 
 
でもそれは、二日目にね。
 
 
 

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2 コメント

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大徳寺の月釜 (みどり)
2022-12-28 23:14:15
kebaさんのブログを読んでいると行くべき場所が増えて困ります。
大徳寺、茶道の先生からも行くように言われてました。
毎月28日に月釜があり、それに参加すればということでした。
できれば、そのついでに大徳寺の見学もすれば良いかもなんて考えてます。
大徳寺のある紫野という地名、和歌にも詠まれているし、確か男子新体操が強い紫野高校ってあったなと調べてみたら、なんと大徳寺の敷地の中にある京都市立の高校でした。
京都の歴史は奥深いですわ。
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Unknown (keba)
2022-12-28 23:57:43
みどりさま

えへへ、自分が行きたいところを決めて、あとは主人の行きたいところを加えて
時間が余ったら行き当たりばったりに動いてたらこんな感じになりました。

月釜などというお茶会があるんですね
三千家どれでもオッケーなんでしょうか?
紫野、実はうちの鎮守の今宮神社の親玉(なんていうのかな?)もここにあります。
次に行ったらお参りせねばと思ってます。

お茶から歌、そして男子新体操、深すぎますね(笑)
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