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主人が好きな画家の佐伯祐三、東京ステーションギャラリーで展覧会「自画像としての風景」が始まった(1/21-4/2)ので、昨日早速行ってみた。
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丸の内北口ドームの中央奥やや左に入り口
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チケットはサイトで入館日時指定で購入
大阪で生まれ、25歳で東京美術学校を卒業し、その年パリに向かい2年間パリに、その後1年半帰国して再びパリへ。結核が悪化して1年後にパリ郊外の病院で30年というあまりにも短い人生を閉じた。パリの街並み、ポスターが貼られた建物の壁、などを多く描いたこの画家の作品を展示するには、レンガの壁が残るステーションギャラリーがぴったり。
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ステーションギャラリーは駅舎復元に伴い再出発した美術館
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エレベーターで3階の展示室へ、建築当時のままのレンガ壁の階段を降りて2階の展示室へとつながる
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4時半に入って出てきたのは6時前
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すっかり暗くなった東京駅と丸の内仲通り
渡欧して錚々たる画家から影響をうけ、どんどんと作風が変わっていく様子、気に入った風景をなん度も繰り返して描いた様子、他の画家とは異なる佐伯祐三の世界。東京で住んでいた下落合をテーマに描いた絵がなん枚もあり、「郵便配達夫」しか知らず去年国立近代美術館で「ガス灯と広告」をみてかっこいい〜と気に入って今回の鑑賞。絵の具やペインティングナイフの使い方、効果的な赤の配置、全部かっこよかった。
今週もめちゃくちゃ忙しいんだけど、おかげで乗り切れそうな気がするよ〜ん。
おっしゃるとおり山本發次郎の目利きあってこそ、ですね。
残念なことに東京でも大阪でも空襲で焼失した作品もありますが。
おっしゃる通り、郵便配達夫、なくなる4ヶ月前の作品、絶筆と考えられます。
父が残してくれた小学館の原色日本の美術の「27近代の洋画」号に
佐伯祐三の郵便配達夫を含む3枚の絵が掲載されています。
弟に「もの好きだね〜」という目で見られつつ東京に送った美術全集ですが
掲載されている作品を見ると、日本美術を知るための羅針盤のようだなぁと
開けば開くほど感慨深いです。
忙しかった父は、いったいどれだけあれを開く機会があったのかしらん。
こちらが、建物を際立たせる形で再開衣鉢されたのと対照的に、
八重洲側が大規模に再開発したため背景には高層ビルが(苦笑)
ま、それも東京らしいと言えばらしいけど。
はい、結核を病んでいたので青空の絵はたったの2枚しかないとか、
死を意識しない日はなかったのかもしれません。
その人が残した作品は、永遠に生き続けます。
この『郵便配達夫』は佐伯画伯が亡くなった1928年に描かれていますね。
佐伯画伯がまだ世に出てない頃から 彼の才能を見抜き絵を収集した
山本發次郎の目が確かでしたね。
美術館で写真が撮れなかったのが残念です。
残っていることが奇跡みたいな。
ギャラリーが出来ているとは聞いていました。
佐伯祐三、若くして逝った才能。
絵は今も生き続けている・・・。