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昨日は東博の庭園散歩。東洋館地下のシアターで27日まで「国宝松林図屏風 乱世を生きた絵師・等伯」をやっているのでそれを見に。シアターは鳥獣戯画を見に来て以来。
もとは寛永寺の境内で本館が立ってるところが本坊、庭園はもともと寛永寺のものだったと考えられているそうな。とはいえ改修を何度も繰り返し、しかも茶室がいろんなところから移築されているので、寛永寺当時の面影は築山くらいしか残ってないらしい。博物館創立当初「天産部」があったため多種多様な植物があるのも、この庭園の特徴だそうだ。というわけでまず、満開の紅梅に迎えてもらった。
築山の麓には五重塔、徳川綱吉が法隆寺に奉納したという銘文が線刻されている
第二回内国勧業博覧会の碑、これがね・・・
薄っ(苦笑)
その先にある立派なのは、初代博物館長 町田久成の碑
さらに進むと、最初の茶室春草盧に到着
江戸時代に河村瑞賢が淀川改修工事をする際に建てた休憩所。その後大阪、さらに横浜の三渓園に移築、所沢に移築された後寄贈でこちらへ。木造平家建て、入母屋造茅葺、座敷は5畳と3畳。
春草盧を振り返りつつ
春草盧から池のほうに降りていくと
本館の北側の下に出る
ここは以前素敵すぎる〜と感激したラウンジを、外から見たところってことになる。この桜も咲いたら美しいだろうね〜。
本館側から見る転合庵
あとから近くから見るんだけど、ドウダンツツジ、アセビ、椿、サンゴジュや萩など多様な植物が植えられてるのに、ものすごくスッキリしてるお庭が、ここから本当によく見える。
応挙館
尾張国の天台宗寺院、明眼院の書院として建てられ、益田孝邸に移築、その後寄贈されて今の位置に。室内の墨画は円山応挙のもので、保存のため収蔵庫に入っているけどデジタル画像処理を用いた複製画が設置されているらしい。木造平屋建て、入母屋、瓦葺。
九条館
赤坂の九条邸にあり当主の居室として使われていた。寄贈されて今の位置に。床張付には狩野派の筆と伝わる楼閣山水画が描かれている。木造平屋建て瓦葺、寄棟造。
六窓庵
奈良の興福寺慈眼院に建てられたもので、明治に博物館が購入しこちらに移築。第二次世界大戦中には解体され、戦後現在の位置に再建された。入母屋造、茅葺で、席は3畳台目出炉、金森宗和好み。水屋、寄附、腰掛などは明治に増築。
にじり口にある手水鉢は四方仏水盤と言われる形式。925年に関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つだ。その後銀閣寺を含む複数の所有者をへて明治に東博の所有となった。
奈良博にある八窓庵、東大寺塔頭四聖坊の隠岐録(東京移転の後戦災で消失、Twitter友が調べてくれた)と並び称された、大和の三茶室の一つ。こちらは戦時中に解体したため消失を免れたんだね。
隣にあるのが転合庵
小堀遠州が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、そのお披露目のために伏見の六地蔵に建てた茶室。大原の寂光院に移築されたあと、茶入と共に寄贈されて今の場所に。木造平屋建て、切妻屋根、瓦葺、二畳台目向切席、遠州好み。四畳半座敷、水屋などからなる。
本館側から見えていたお庭
越前藩主有馬家の墓石
明治に公園として整備するために博物館敷地内の墓所が整理された、と記録にあるため、なぜこれらのお墓だけがここに残っているのかは謎だという。茶室は茶会や句会などさまざまな催しに有料で利用可能。桜をはじめとして植物が多いので、東博に来たついでにお庭を覗くのも悪くないなぁと思った。
参考にしたのは東博のサイトにあった庭園散歩マップ☟。もれなく堪能できるのでお出かけ前にプリントアプトするのがおすすめ。
羨ましい~!!
どれか一つでもいいから、お茶室でお茶をいただきた~い!!
こういう庭園の散策、いいですね!
お茶の先生に相談してみるとか?
コロナが終わったら皆さんで、みたいな
あたしが以前目撃したのは何かの法要みたいな感じでした。
いろんな催しで使えるみたいでしたよ